「想いはひとつ、頂点への道」
振り返ればそこには、素晴らしきライバルとの覇を競った日々がある。
激闘の末に咲かせた菊の大輪がある。
だが君はひたむきに走り続けていく。
しのぎを削った友たちがターフを去った後も、
世代の誇りを胸に抱き、新たなる戦いに挑む。
君と、そしてみんなの想いはひとつ。
頂点(トップ)への道(ロード)。
※JRAポスター「ヒーロー列伝」No.53 ナリタトップロードより
───────────────────────────────────────
誘導
ウマ娘の方に関しては、こちら。→ナリタトップロード(ウマ娘)
データ
馬名 | ナリタトップロード |
---|---|
英字表記 | Narita Top Road |
生産 | 佐々木牧場(北海道 旧門別町) |
生年月日 | 1996年4月4日 |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
父 | サッカーボーイ |
母 | フローラルマジック |
母の父 | アファームド(Affirmed) |
5代内のインブリード | Nasrullah5×4 |
競走成績 | 30戦8勝(GⅠ1勝) |
生涯獲得賞金 | 9億9011万2000円 |
近親 | ペイパーレイン |
没年 | 2005年(9歳) |
概要
99世代の三強をテイエムオペラオーと共に形成し続けた良血の競走馬。
父譲りの美しい毛色を持つ栗毛の牡馬で、額から鼻筋に伸びたスマートな流星が特徴。
世代でも特にファン人気の高かった馬で、厩舎での愛称は「トップ」。
ファンの間では「トプロ」と呼ばれることが多い。
通算成績は30戦8勝で、主な勝ち鞍は菊花賞。
善戦しながらも勝ちきれないレースが多く、ナイスネイチャに並ぶ同一GⅠ3年連続3着という珍記録も持っている。
父のサッカーボーイは88年三強の一角で、“弾丸シュート”と呼ばれた快速の名マイラー。尾花栃栗毛の美しい馬だったが、父親のディクタスに似た荒々しい気性の持ち主だった。
母フローラルマジックはアメリカから輸入された未デビューの繁殖牝馬。
母の父が米三冠馬アファームド、というのは同期ライバルのメイショウドトウと共通しており、なにか運命めいたものを感じる。
半姉ペイパーレインは母と同じく輸入繁殖牝馬で、中山競馬場が大得意だったマツリダゴッホが代表産駒。
馬主はナリタ&オースミの冠名で知られる山路秀則氏。
主戦騎手は厩舎所属の渡辺薫彦で、オペラオーの主戦騎手だった和田竜二の2年先輩に当たる若手。
デビュー前
馬主の山路氏から牧場に呼ばれた沖調教師が、数頭の候補の中からステイヤー体型だった1頭の幼駒を選び、預かることになった。それが後のナリタトップロードだったという。
沖厩舎入厩直後はおっとりのんびりとして、厩舎スタッフにしてみれば、あまり競馬ができそうには見えなかったとも。また、人を乗せることを極端に嫌がる傾向もあった。父が父だから気性が悪いのかと言えばそうではなく、体ができていないので重いものを載せられると辛かったのだとか。骨がしっかり固まるまでは、何度か股関節が外れそうにもなった。
「本当にサッカーボーイ産駒か?」というほどにとても大人しく繊細な性格で、言うことをよく聞く手のかからない馬だった。付き合うほどに賢さ、感受性の豊かさをもっていることもわかってきた。一方で、他の馬に対しては父譲りの負けん気の強さを見せることもあったという。
2~3歳(旧3~4歳)-99年クラシック三強-
1998年12月5日、阪神競馬場の新馬戦(芝2000m)でデビュー。稍重の馬場で、1番人気に推されたもののスタートで出遅れ、マイネルサクセスの2着に終わった。
中2週あけて12月27日、同条件の新馬戦に出走。良馬場で終始2番手を走り、直線後半で逃げるタイグビジンソウを差し切って1番人気に応え、初勝利。
この1~2戦目はずっと引っかかっていて、レース後には口角が切れて血が出ていたという。
年明けの3歳初戦は中1週の500万下「福寿草特別」。掛かり癖を気にした沖師は渡辺に「折り合いを重視して乗れ」と指示。慎重に乗った結果、スリリングサンデーとトゥザヴィクトリーに届かず3着だったが、トップはこのレースで渡辺との呼吸を学習。以降のレースでは口を切るようなことはなくなくなり、渡辺が折り合いで苦労することもなかったという。
2月のGⅢ「きさらぎ賞」で重賞初挑戦。武豊が駆る1番人気エイシンキャメロンとの叩き合いを制し、人馬揃って重賞初勝利。渡辺はデビュー6年目で掴んだ初重賞制覇を、師匠とともに涙を流して喜んだ。
第1ラウンド 皐月賞
3月、クラシック戦線。皐月賞トライアルはGⅡ「弥生賞」に出走。トップはこの時点で厩舎始まって以来の期待の牡馬(※)だったが、沖師は弟子の成長を願ってトップの鞍上を任せ続け、馬主の山路氏も沖師の判断を黙って受け入れた。
※沖厩舎の当時の出世頭は97年GⅠエリザベス女王杯勝ち馬のエリモシック。他に95年GⅡNZT勝ち馬のマル外牝馬シェイクハンドもいたが、牡馬ではGⅢ「函館3歳ステークス」の勝ち馬ダイイチオイシ(90世代)が最高。
トップは初の関東遠征。1番人気は武豊騎乗の超良血馬アドマイヤベガ(サンデーサイレンス×ベガ)。トップは道中中段で待機し、後方に控えたアドマイヤベガが馬込みに包まれていると見るや、第3コーナーで大外からロングスパートを開始。アドマイヤベガが馬群を避けている間に先頭に立って一気に押し切り、猛烈に追い込んでくるアドマイヤベガを振り切って重賞連勝。トップは一強状態だったアドマイヤベガのライバルとして一躍注目を集めるようになった。
そしてクラシック三冠初戦、GⅠ皐月賞。1番人気アドマイヤベガ、2番人気トップの二強対決となる。スタート前にワンダーファングがゲートに引っかかって出走除外となるアクシデントがあり、17頭で争われることになった。
レースが始まると、トップはしとつく雨で滑る芝と周囲の馬からのマークに苦しみ、鞍上の渡辺もせわしなく対応に追われてプラン通りのレースができない。それでも第3コーナーで外に活路を見出して前に出るが、その外目をアドマイヤベガがピッタリとマーク。中山競馬場の短い直線に入ったところで馬群がバラけ、トップは外から一気に上がり最速の末脚を繰り出して追い込んだ。そして、先頭のオースミブライトを捉えようかというその刹那。
更に大外の後方から、信じられないような鬼脚で、1頭の栗毛馬が文字通り「飛んで」来た。
その馬は5番人気のテイエムオペラオー。その末脚はトップと同じ上がり3ハロン最速ながら、手前を変えたラスト1ハロンの切れ味は全く次元が違った。鞍上の和田竜二は4年目で初のGⅠ、初のクラシック制覇。トップはオースミブライトにクビ差及ばず3着、馬体重12kg減が響いたアドマイヤベガは5着に終わった。
敗因はオペラオーの切れ味は勿論のことだが、大レースで周囲からマークされたことがなかった渡辺の経験不足、そしてトップが苦手とする雨にもあった。
トップは繊細な性格で、変わったことがあると慎重になる。とりわけ雨が降るなどして馬場が湿っていたり柔らかい状況だと集中力が削がれ、更に大跳びの追い込み脚がノメって切れなくなってしまう。特に最悪の相性だったのが小回りな中山競馬場だった。
それでも、それだけの悪条件で接戦になったのだから、それは馬の力自体は世代最速王に何ら引けを取らないという証でもあった。
第2ラウンド 日本ダービー
皐月賞の結果、クラシック戦線はトップとアドマイヤベガ、オペラオーで三強状態となった。そして舞台は二冠目のGⅠ「東京優駿」へと移る。渡辺は皐月賞のビデオを繰り返し確認し、前年の武豊の騎乗(同じくきさらぎ賞、弥生賞を勝って皐月賞で敗れたスペシャルウィークのダービー)を手本として、泰然として馬の気持ちに従う騎乗を心がけるよう肝に銘じた。
ダービー当日は晴れの良馬場。さらに直線が長く広い東京競馬場と、トップが力を出し切れる状況が揃った。三強はトップが1番人気でアドマイヤベガが2番、オペラオーは3番と続いた。
レースはワンダーファングの逃げで縦長に伸びた展開ながら、ペース自体は1000mを60秒1と平凡なタイムで進む。トップは中段のオペラオーを後方からマークし、直線に入ってオペラオーが早めに仕掛けると、即座にトップもオペラオーをめがけてスパートし、2頭のマッチレースとなる。そして残り1ハロン付近でとうとうオペラオーを差し切り、あとはゴールを先頭で駆け抜けるだけとなった。
しかし、そのときには既に大外からもう1頭が追ってきていた。
アドマイヤベガである。オペラオーに集中していた渡辺の意識の外、武豊の手に導かれた一等星がゴール寸前でトップを鮮やかに捉え、クビ差かわしてゴールを駆け抜けた。その勝ち時計2:25.3はアイネスフウジンのダービーレコードと同タイム。トップ2着、オペラオー3着。
焦ってオペラオーの仕掛けを早まった和田、アドマイヤベガを軽視しオペラオーだけ見ていた渡辺。慣れないダービーでガチガチだったそんな2人に対し、最後方から全てを俯瞰し冷静に脚を溜め、一気に爆発させた武豊。馬の力が拮抗していただけに、鞍上の経験の差が最後にものを言った。レースから戻ってきた渡辺は、トップに最高のパフォーマンスを出させながら勝ちきれなかったことに無念の涙を流した。
最終ラウンド 菊花賞
橈骨の骨膜炎という持病がある為、夏は北海道に戻って休養。帰厩後はしっかり調教を積んだ。
秋は菊花賞トライアルのGⅡ「京都新聞杯」で始動。アドマイヤベガへの雪辱を期するが、トップは直線で先頭に立ったところで大外急襲のアドマイヤベガに差される、というダービーの再現のようなレースで再び2着。
今度は注意を怠らなかったのに、同じように敗れてしまった。そこで沖師と渡辺はもう一度戦法を練り直し「長く使える末脚を活かし、後ろからではなく先行策に全て懸ける」という結論に達する。
しかし、それは切れ味鋭い後方一気の脚を持つ2頭にとって、丁度良いターゲットにされてしまうということでもある。トップ陣営は熟考の末、最終的に山路氏の「悔いが残らぬよう好きに乗りなさい」との言葉に背中を押され、一か八かの賭けに出ることを決めた。
そして迎えた11月7日、GⅠ「菊花賞」。晴れの良馬場、地元関西とトップにとっては好条件。それでも1番人気はアドマイヤベガ、2番はオペラオー、トップは3番人気に落ちた。
レースはタヤスタモツが引っ張り、1000m64秒3、2000m2分8秒9という超スローペースで進む。トップは作戦通り4番手と前目の競馬。トップはもう少し前に行きたがったが、すぐに渡辺と呼吸を合わせて脚を溜めた。アドマイヤベガとオペラオーは中段待機で進む。
渡辺は1200m地点で股の間から後方の2頭の位置を確認し、下り坂を利用してペースを上げた。最終コーナーでアドマイヤベガのマークをやめたオペラオーが外に大きく回してスパート。一方、好位置につけていたトップは前が空くため、コースロス無く一直線にスパートして先頭へと躍り出る。そしてその貯金を活かして前で粘りに粘り、上がり最速で突っ込んでくるオペラオー、そして4番人気だったラスカルスズカ(※)の猛追をクビ差で凌ぎきり、先頭でゴールを駆け抜けた。
とうとう辿り着いたGⅠ勝利。トップはもちろん渡辺にとっても初のGⅠ、そして、沖師にとっては初のクラシックタイトル。左手を高々と掲げた渡辺、そしてその師匠の顔に涙はなく、朗らかな笑顔があふれた。そして、場内には「ワタナベ」コールならぬ「ナベちゃん」コールが響き渡った。
2着はマークミスが響いたオペラオー。3着はクビ差でラスカルスズカが入った。アドマイヤベガは距離が長かったのか伸びを欠き6着。その後長期休養に入るが、その間に繋靭帯炎を発症してしまい、このレースがラストランとなった。
※ラスカルスズカ…ダービー後の6月にデビューしたサイレンススズカの半弟。主戦騎手は兄と同じ武豊だが、菊花賞では蛯名正義が騎乗。
EXラウンド 有馬記念
3歳の締めくくりとして、トップはGⅠ「有馬記念」に出走。ファン投票ではトップが99世代で最も票を集め6位、アドマイヤベガは7位、オペラオーが8位と続いていた。
トップはサイレントハンターに続く2番手でレースを進めるが、中山ということもあって初めて戦った古馬の壁に跳ね返され、7着に終わる。
一方でライバルのオペラオーはといえば、直前でステイヤーズステークスを走った上でグラスワンダー、スペシャルウィークのクビ差3着に入るという強さを見せていた。
4歳(旧5歳)春 -新・三強体制-
2000年2月、古馬となったトップの初戦はGⅡ「京都記念」から始動。菊花賞とは逆にオペラオーを後ろからマークし、先に抜け出したオペラオーを大外から強襲して差す。しかし、オペラオーはそこから再び差し返してきて、2着に敗れた。
3月、春の天皇賞のステップとしてGⅡ「阪神大賞典」を選択。生憎の雨で馬場状態は稍重という、トップにとっては苦しいコンディション。レースはオペラオーが自ら好位置をキープする先行策を取り、その後ろからオペラオーをマークするトップ、ラスカルが続くという形で進んだ。直線に入ってラスカルが内からスパートを仕掛けると、それに合わせる形でオペラオーがスパートしてすぐさまラスカルを捉え、千切り捨てる。トップは雨で鈍り、ラスカルにクビ差まで迫るのが精一杯だった。
このレースのオッズは1番人気オペラオー、2番人気ラスカルスズカ、3番人気トップと、99世代の3頭が単勝2倍台で人気を分け合い、4番人気のメジロロンザンに65.5倍がつくという状態。複勝馬券は全て元返し。それだけではなく、ワイド馬券も史上初めて全て元返しになった。
こうして、アドマイヤベガの代わりに武豊が騎乗するラスカルスズカが加わり、新たな三強を形成することになる。
オペラオーの連勝で迎えた春の古馬王道GⅠ「天皇賞(春)」は曇天模様で、良馬場の発表。1番人気オペラオー1.7倍、2番トップ3.5倍、3番ラスカル4.0倍と、オッズはオペラオーに寄った。なお、4番人気はステイゴールドの11.7倍。
レースでは阪神とは逆にトップが果敢に前に行き、オペラオーが後ろからマーク、ラスカルは最後方で脚を溜める展開。渡辺は2周めのバックストレッチで後方のオペラオーを振り返って確認。その後、淀の坂でペースが上がり、トップが2番手に上がって、オペラオーも7番手から3番手まで位置取りを上げる。最終コーナーまで来たところでラスカルもスパートを開始。
直線でトップがレオリュウホウを交わして先頭に立つが、すぐさまオペラオーが外から馬体を合わせてきて、叩き合いに入った。更に後方からは上がり最速の脚でラスカルが突っ込んできて、三強の争いとなる。
最後はラスト1ハロンでオペラオーが力強く抜け出し、勝利。後方からはラスカルが追い込んできて、トップは寸前でかわされてしまい、阪神大賞典と同じ三強決着の3着となってしまった。
オペラオーは戦う度に強さが増していく。一方、トップは持病の骨膜炎のケアのため、秋までの休養に入った。
4歳(旧5歳)秋 -世紀末覇王、最強の2番手とみたび三強-
2000年秋。トップはじっくり休養を取り、しっかり調教を積んで、GⅡ「京都大賞典」に出走。宝塚記念をも制したオペラオーと、秋の天皇賞の前哨戦としてぶつかることになった。
トップは今回も思い切った先行策を打つが、オペラオーにしっかりとマークされて進む。そして直線で逃げるスエヒロコマンダーを捉えるが、馬体を合わせてきたオペラオーがほんの僅か先を走り、クビ差の2位に終わる。他の馬なら競り落とせるはずのそのほんの僅かの差が、どうしても届かなかった。
10月、秋の王道GⅠ「天皇賞(秋)」。捲土重来を期すトップだったが3番人気で、馬場状態は最悪の重馬場。そして、屈腱炎を発症してしまったラスカルに代わって、夏のグランプリ宝塚記念で突如オペラオーの2着に入った同期馬メイショウドトウが2番人気だった。1番人気は勿論、重賞5連勝で天皇賞春秋制覇のかかるオペラオー。
結論から言うとトップは渋い馬場に足を取られて見せ場も作れず、5着が精一杯。“秋の府中は1番人気が敗れる”というジンクスすら乗り越えてしまったオペラオーが重馬場も苦にせず後続を千切り捨て、同じく重馬場得意のドトウが宝塚に続いてオペラオーとのワンツー。
こうして、三強体制はオペラオー、ドトウ、トップという3頭で形成されることになった。
こうなれば次のGⅠ「ジャパンカップ」で雪辱を…と行きたいところだったのだが、なんとGⅠ馬にもかかわらず除外となってしまう。賞金不足というわけではなく、出走希望が多かった為「過去1年以内の重賞を勝利していない」という除外規定に引っかかってしまった為。オペラオーと前哨戦からぶつかり続けたことが原因だった。
仕方ないので、国内最長距離レースとなるGⅡ「ステイヤーズステークス」に出走。オペラオーも他のGⅠ馬もいないここでは単勝1.3倍の圧倒的1番人気に推されるが、苦手の中山競馬場な上、スタッフがコースに水を撒いていたため馬場が湿っていた状態。結果、ホットシークレットの4着と複勝圏すら逃してしまった。
そして、オペラオーに次ぐファン投票2位(※)に推された古馬王道GⅠ最終戦、グランプリ「有馬記念」。中山競馬場を避けたい沖師は乗り気ではなかったと言うが、ファンから選ばれた以上は…と出走を決定。なんとか一矢報いたい渡辺だったが、沖師は的場均騎手への鞍上変更を決意。的場は2月で騎手を引退する予定のため、沖師は落ち込む弟子に対し「必ず戻すから」と約束した。
しかし、苦手コースの中山で今の状態では、いかに有馬連覇中の的場でも勝ち負け云々を言える状態ではなかった。翻って、ライバルのオペラオー、ドトウはGⅠジャパンカップでファンタスティックライトをも退けて3度目のワンツーフィニッシュと上り調子。彼我の差は果てしなく大きかった。
レースはオペラオーが完全包囲という致命的な不利を打ち砕き、ハナ差でドトウをかわして史上初の秋古馬三冠、そして古馬王道の年間グランドスラムを達成するという伝説を打ち立てた。ドトウはGⅠ4戦連続2着。トップはというと、第3コーナーで2番手にまで押し上げたものの脚が続かず、馬群に沈んで9着。
結局、2000年は未勝利に終わってしまった。
※メイショウドトウのファン投票順位は5位。
5歳春 -復活-
馬齢表記が数え年齢から満年齢に変更された2001年。再び鞍上に的場を乗せてGⅡ「京都記念」で始動。
後方から上がり2位のタイムで一気に前年のダービー馬アグネスフライトを差しにかかるが、大外からドトウの主戦・安田康彦が駆るマックロウが上がり最速で差し切り、トップはフライトにも届かず3着に終わった。
阪神大賞典 -世界レコード-
そして、天皇賞へのステップとして今年もGⅡ「阪神大賞典」に出走。的場の引退により、鞍上は再び渡辺に戻ってきた。晴れ渡った阪神競馬場は馬場も良好な状態。渡辺とのコンビ再結成によって、トップの闘志も蘇ってきた。
レースでは中段につけ、第3コーナーから前へ進出。最終コーナーで大外を回して一気にスパートをかけると、直線に入って先頭に立つと、あっという間に後続を突き放して独走状態。
最終的に2着エリモブライアンを8馬身千切り、菊花賞以来1年4ヶ月ぶりの復活勝利を果たした。
勝ちタイム3:02.5は芝3000mのワールドレコード(当時)であり、現在(2022年2月)も阪神のコースレコード。さらに59kgという重い斤量を背負ってのレコードタイムという点も特筆すべき所。更に上がり3ハロンのタイムも2位(エリモブライアン)よりも1秒速いという、まさに次元の違う強さを見せての圧勝だった。
春の天皇賞 -三強の戦い、されど覇王は止まらず-
2度目のGⅠ「天皇賞(春)」。かつての輝きを取り戻したトップ。陣営は今度こそオペラオーに雪辱をと意気込んでいたのだが、この日の京都競馬場にはまたも雨が降り注いでいた。
レースは1年半ぶりの出走となるセイウンスカイの逃げでスタート。トップはかつて菊花賞を制した時と同じように前につけ、最終コーナーで抜け出し、ぐんぐんと前に出ていく。
…しかし、長距離で輝く彼の世界トップクラスの切れ味は、渋い馬場に殺されていた。思ったように末脚が伸びない中、後方からは馬場状態不問のオペラオー、そして3000m以上は初挑戦のドトウまでもが突っ込んでくる。
結局、オペラオーにかわされて1馬身離され、更にゴール直前でドトウにも差されてしまい、昨年に引き続いて3着。重馬場に苦しみながら、それでも最善を尽くしたが、前の2頭にはあとほんの少し届かなかった。
レース後、沖師は「テイエムオペラオーはもう別格の存在」「もうライバルではなく、目標に変わりました」と語っている。
5歳秋 -大アクシデントと99世代三強の終焉-
京都大賞典 -落馬とトラウマ-
前年同様、トップは骨膜炎のケアのために長期休養に入ってリフレッシュ。その間に行われた宝塚記念で、ドトウが6度目の正直でとうとうオペラオーに勝利し、GⅠタイトルを手にしていた。
トップはといえば、10月のGⅡ「京都大賞典」で再始動。7頭立てで1番人気がオペラオー、2番がトップ、3番人気にはドバイシーマクラシックを制して一皮むけたステイゴールドが推されていた。
しかし最後の直線で内のステイゴールドが斜行してきて前が塞がれ、外から上がってきたオペラオーとの間に挟まれたトップは行き場をなくして一瞬止まろうとし、反動で渡辺が落馬し競走中止。
ステイゴールドは1着入線したものの失格処分となり、オペラオーが繰り上がりで勝利となった。
レース後、京都の厩舎に戻ってきたトップはそれっきり立ち竦み、動かなくなってしまった。曳いても、押しても、宥めても、何をしても嫌がってしまう。このまま置いて帰るわけにも行かず、結局スタッフ総出でなんとか馬運車に押し込んで競馬場を後にした。
住み慣れた馬房に戻ってきても、植え付けられたトラウマのせいか怯えがとれない。どこか悪いのではないかと獣医を呼んだが、体を触わるたびにガチガチに緊張してしまい、どこかに痛みがあるのかどうかすらわからずじまい。レントゲンをとっても異常は見つからなかった。
沖厩舎ではすっかり困ってしまい、秋の天皇賞は出走を取りやめ。手探りでいろいろな運動を少しずつ試し、時間を懸けてゆっくりと怯えを解きほぐしていった。
そして、その間にオペラオー、ドトウは秋の天皇賞に出走し、1世代下のアグネスデジタルにまさかの敗北。世代交代の波が静かに近寄っていた。
ジャパンカップ -それでも、まだ走れる-
1ヶ月半かけてなんとか普通の調教が出来るような状態まで状態が戻ったトップは、11月末のGⅠ「ジャパンカップ」でレースに復帰。
トップの状態は決して万全とは言えず、ちゃんと走れりきれるかるかもわからない。そんな中で、トップは最高峰からレースをすることになる。中間地点あたりからはトップの近くにいたトゥザヴィクトリーが派手にロングスパートを仕掛け、レースは一気にペースアップ。最終コーナーを回ったところでオペラオーが早めのスパートを仕掛けて先頭に立ち、後続を千切っていく。
しかし、先頭に立ったところでオペラオーのソラを使う(力を抜く)癖が出る。そして、外から馬体を合わせずに離れた外から追ってきた2世代下のジャングルポケットがクビ差で交わし、3歳でJCを制覇。
トップはというと前2頭から3馬身半離されたものの、最終コーナーから大外に回って後方から一気に追い込み、ドトウとステイゴールドを差して3着。ちゃんとしたレースで走りきれたし、初めてドトウに先着することもできた。
有馬記念 -三強、最後のレース-
年末のGⅠ「有馬記念」はどうにも苦手な中山な上、メンタルの傷もまだ心配されるトップには辛いが、ファン投票では4位(1位オペラオー、2位クロフネ、3位ドトウ)とファンの声には応えたい。なによりオペラオー、ドトウはこれがラストランで、トップが三強として走れる最後のレースでもある。
トップは後ろめにつけ、最終コーナーで大外を回して上がっていこうとするが、中山の柔らかい馬場に負けてスピードが乗らず、10着に終わった。
ライバル達もドトウが4着、オペラオーは自己最低着順の5着で、ドトウが対オペラオー2勝目。勝ったのはまたも2世代下のマンハッタンカフェ。落日の覇王を目の当たりにした競馬ファンはとうとう世代交代なのだな、と実感した。
6歳 -世代の最後の壁として-
京都記念 -99世代ここにあり-
2002年。三強として共に戦ったライバル達は皆引退してしまい、残されたトップはGⅡ「京都記念」に出走。トップは最重量60kgの斤量を背負って出走。それでもスタート直後から逃げる7歳馬サクラナミキオーに続く2番手と積極的に前でレースを進める。
そして直線で58kgを背負った同世代の善戦ホース・マチカネキンノホシと並んで抜け出し、一旦は差されたものの、持ち前の闘志に火がついてキンノホシを差し返し、きわどくアタマ差で勝利。99世代ワンツーフィニッシュを決めた。
阪神大賞典 -まだ俺がいる-
これまでと同じように、続いてGⅡ「阪神大賞典」に出走。このレースにはオペラオーに勝った01世代のダービー馬ジャングルポケットも出走してきたが、堂々の1番人気で最重量の斤量59kgを背負い、またも積極的に前でのレースを展開。
トップは直線で一気に抜け出し、大外から追い込むジャングルポケットよりもなお速い最速の末脚で2馬身千切って圧勝。
「オペラオーとドトウに1度勝ったとしても、三強にはまだ俺がいる!」と言う強さを見せつけた。
春の天皇賞 -2度あることは…-
ステップを連勝し、3度目のGⅠ「天皇賞(春)」に出走。これまで苦杯を舐めた三強はもういない。堂々の1番人気に推され、2番人気のマンハッタンカフェ、そして3番人気のジャングルポケットを迎え撃つ。
しかし、これがトップの運命というものなのだろうか。これまで3回通ってきた馬場中央の最短コースはマンハッタンカフェが走り抜け、勝利。外を回ったトップはコースをロスして遅れを取った上、さらに外からは武豊に乗り代わったジャングルポケットが突っ込んできて2着。
トップは春の天皇賞3年連続3着という、かのナイスネイチャに並ぶ“異”業を達成。どうしても、GⅠになるとあと一歩が遠いトップだった。
なお、この記録は長く力を保ち続けなければできないことであり、讃えられるべきであることだけは申し添えておきたい。
京都大賞典 -世代交代?何だそれは!-
例によって夏場を休養にあて、例年通り京都大賞典から復帰。しかし休養の間に渡辺が落馬負傷してしまい、秋は四位洋文騎手が代役を務めることになった。
このレースでは00世代のタップダンスシチー、01世代のツルマルボーイを相手取り、スパートで前を逃げるタップダンスシチーを捉えると一気に交わし、ツルマルボーイとタップダンスシチーを2馬身半千切って圧勝。
※映像の実況はラジオたんぱ(現ラジオNIKKEI)・白川次郎アナ
このレースで、関西テレビの馬場鉄志アナは
「世代交代?何だそれは!関係ない!ナリタトップロードです!」
と言う名実況を残した。
秋の天皇賞 -たとえ内枠でも-
そして秋の古馬王道GⅠ初戦「天皇賞(秋)」。しかし東京競馬場がよりによって馬場改修に入ってしまい、秋古馬三冠レースは全て中山で行われることになってしまった。
そんな暗雲垂れ込める中、トップは他馬へのトラウマも拭いきれていない状態で最悪の最内枠を引いてしまい、さらにスタート直後にぬかるみに脚をとられてもたついて後方からのレースを強いられた。レースは3歳馬、02世代の新鋭シンボリクリスエスが強さを見せつけて勝利。
それでもトップはメゲなかった。最終コーナーで大外を回り、上がり最速の末脚で前の若駒達をまとめて差し切って3/4馬身差の2着に飛び込んだのだ。
負かした後輩たちはエアシャカール、アグネスフライト、ダンツフレーム、テイエムオーシャン、エイシンプレストン、ツルマルボーイ等々、そうそうたるメンバー。もしこれが得意の府中だったら或いは…と思わずにいられない。
ジャパンカップ -中山じゃなければ…-
続く秋の古馬王道GⅠ2戦目「ジャパンカップ」も、やはり中山開催。2番人気に推されたものの、前走とは打って変わって何もできずに10着敗北。勝ったのはイタリアの天才騎手ランフランコ・デットーリが駆るイタリア馬ファルヴラブだった。
これが有馬記念以外で掲示板を外した唯一のレースであり、とことん中山競馬場とは相性が悪かった、という証明にもなっている。
有馬記念 -ファンに愛されたラストラン-
いよいよ次が引退レース。元々は香港GⅠ「香港ヴァーズ」が予定されていたが、急遽変更して古馬王道GⅠ最終戦「有馬記念」に出走することにした。
理由は「ファン投票で1位に推された」ため。香港であれば、念願の古馬GⅠタイトルを掴める可能性は高かっただろう。それでも沢山のファンが応援してくれるならば、たとえ苦手な中山で勝つ見込みは低くとも、これ以上の幕引きはない。
そして、ラストランの鞍上にはケガの癒えたベストパートナー・渡辺薫彦が戻ってきた。
開催前日の中山には雨が降り続いていた。当日は雨は上がっていたものの、馬場状態は稍重。大一番になるとどうしてもどこかで不運がつきまとう。
でも、こんなことは厩舎スタッフ一同もう慣れっこ。トップがいつもの調子を崩さないよう、ルーティンはいつもどおりに平静に。トップが気にしてしまうようなものは、予め全部先回りして取り除く。全てはトップのため。そして、トップを応援してくれたファンのため。
そして、どの馬よりも大きな声援を受けたトップは力一杯走った。
ハナを切るファインモーションとタップダンスシチーに続いて、積極的に前に出た。
そして「頂点への道」を目指して、最後まで精一杯走リ続けた。
最後はシンボリクリスエスの凄い鬼脚、タップダンスシチーの逃げ、コイントスの力強い走りを、キレの鈍った脚で必死に追いかけ…4着。
苦手な中山、苦しい馬場で、それでもスタッフに愛されて、相棒に導かれて、そして何よりファンの大声援に押されて…初めて有馬記念で掲示板に載ることができた。
2003年1月19日、京都競馬場で引退式が執り行われた。鞍上には長い付き合いとなった相棒の渡辺薫彦。そして、ゼッケンは菊花賞の時と同じ「1番」をつけていた。
通算成績:30戦8勝(GⅠ1 GⅡ5 GⅢ1) 2着6回(GⅠ2 GⅡ3) 3着8回(GⅠ5 GⅡ2)
通算獲得賞金:9億9011万2000円
暮れの中山競馬場を除いては大崩れなく好走しつづけ、8勝中重賞7勝と常に一線で活躍し続けた。テイエムオペラオーという強大なライバルに正面から挑み続け、あと一歩の好走に「次こそは!」と思わせる姿がファンに愛された。
同期の綺羅星達が引退した後も走り続け、自分が戦ってきたライバル達が如何に強かったかということを、その走りで証明し続けた。
生涯獲得賞金は世代2位。ライバルのメイショウドトウを上回り、GⅠ1勝馬としてはステイゴールド、シュヴァルグランにつぐ3位(2022年2月現在)。山路秀則氏所有馬の中では三冠馬ナリタブライアン(10億2691万6000円)に最も迫っている。
引退後
引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬入り。実は社台側の方から「預かる余裕がない」と一度断られており、もう1年現役を続行するという話も出ていたが、最終的には吉田勝己氏の口添えでなんとか入ることが出来たという。
サッカーボーイの後継種牡馬として期待され、2003年は131頭、04年は95頭に種付け。05年2月に膀胱結石が見つかった。全85頭への種付けを終えた後、10月8日に摘出手術を受けたが、1ヶ月後に急性心不全で急死。まるで前年に死亡したアドマイヤベガを追いかけるかのように、急いで天へと駆けていってしまった。
ナリタトップロード9歳の秋、その命日は11月7日。かつて彼が最も輝いた、1999年の「菊花賞」開催日だった。
現在、ナリタトップロードの後継種牡馬はおらず父系は残っていないが、母父として血統が残っている。
代表産駒
初年度産駒の牝馬ベッラレイアが唯一の中央重賞勝ち(GⅡフローラステークス)。優駿牝馬で1番人気に推されながら2着、秋華賞4着、エリザベス女王杯と、父のようにGⅠで善戦を繰り返した。
同じ07世代にウオッカ、ダイワスカーレットという強すぎる牝馬のライバルがいたという点も、父を彷彿とさせるところがある。
牡馬はエーティーボス(騙馬)が唯一の古馬オープン馬。あとは2歳オープンを勝ったインパーフェクトくらいか。
地方では、園田競馬場の地方重賞「園田クイーンセレクション」を勝った牝馬ニックバイエフオー(136戦14勝)がいる。
母父としての代表産駒は、2020年のJpnⅡ日本テレビ盃に勝利したダート馬ロードブレス。
エピソード
ライバルとの対戦成績
テイエムオペラオーとの対戦成績は2勝11敗と大きく負け越しているが、そもそもオペラオーに2回先着したことのある馬はナリタトップロードとメイショウドトウだけ。
三強を構成したアドマイヤベガには3勝2敗、ラスカルスズカとは1勝2敗、メイショウドトウとは1勝4敗だった。
他に、対戦が特に多く因縁もあるステイゴールドとは5勝1敗(+落馬1回)。
繊細、雨、重馬場、冬、中山…
レースへの意欲は高く闘志も強いが、一方で非常に繊細な一面も持ち合わせている複雑な馬だった。慣れた厩舎にいるときでも道端に空き缶が落ちているだけで止まってしまったり、見慣れない足跡を見つけると逃げてしまったりと、なにか違和感があると反応してしまう。
その為、調教でもレースでもルーティンをしっかりと作り、競馬場へは金曜日から入って予行演習を繰り返したりして慣れさせ、パドックでは耳覆い付きの白いメンコ被せをるなど、厩舎では馬が平静を保てるように細心の注意を払っていた。
そんな繊細さに加え、大跳び(ストライド)走法ということもあって雨や水溜り、フワフワの柔らかい馬場や冬枯れの荒れた馬場などは天敵で、スタッフ一同天候には常にやきもきさせられた。特に大レースでは何かと雨に見舞われ続けており、本来の走力を発揮しきれなかったレースも多い。総じて、ダッシュ力に乏しく、小回りや荒れた馬場も苦手……と、大跳びの短所が浮き彫りになりやすい馬だったと言える。
特に最悪の相性だったのが、当時馬場がまだ柔らかく、かつ直線が短い=コーナーが多い中山競馬場。馬場状態が比較的良好だった春や秋のレースこそいずれも複勝圏に持ち込んでいるが、それ以外の5戦は馬場の荒れた冬季だったこともあり全て着外(有馬3回、JC1回、ステイヤーズS)に終わっている。(意外だが、アドマイヤベガには雨の中山という条件で2戦2勝だった)
そんなこともあって、沖調教師は「(2回走ったジャパンカップでは)心身ともに良い状態で、良い馬場の東京競馬場で競馬をしたかった」と振り返っている。
相棒ナベちゃん
30戦中25戦に騎乗した主戦騎手・渡辺薫彦にとっては初重賞、そして唯一のGⅠ、クラシックを取らせてくれたかけがえのない一頭。その魅力については「完璧な馬ではなく、未完成なのにいつも一生懸命に走ってくれたところ」と語る。厩舎に来た時はいい感触の馬という程度だったが、レースに乗る毎に「凄い馬やな」と思わされたという。
2000年の有馬記念で乗り替わりになった的場均騎手は引退時「やっぱり僕では馬の良さを出してやることはできなかった。この馬のことを一番知っているナベちゃんじゃないとね」と声をかけてくれた。その直後のレースが、あの阪神大賞典のスーパーレコードである。
また、ラストランとなった有馬記念で再び鞍上に戻ったときには、ナリタトップロードを京都大賞典と秋天で好走させていた四位洋文騎手が「(俺は)ナベちゃんが元気になって戻ってくるまでのピンチヒッターやから。この有馬記念はトップロードのラストランやから思い切って乗って来いよ」と言って送り出してくれたという。
渡辺は調教師になってからも「ナリタトップロードのようにファンに愛され、印象に残る馬を作りたい」と常々語っており、厩舎の調教服にも沖厩舎とナリタトップロードのイメージカラーを取り入れている。
東厩務員
担当厩務員の東康博氏はナイーヴなナリタトップロードが力を出せるよう、いつも心を落ち着けて世話をするよう心がけていた。厩舎周りに異物がないよう常に気を配り、何事も決まった時間にいつもどおりの世話を続けられるよう心を砕いた。
誰よりもナリタトップロードの強さを信じていて、惜敗のたびに「トップの力はこんなもんじゃない」と言い続け、後々にも「牡馬三冠をとってもおかしくなかった」と話している。
そんな東厩務員はラストランの有馬記念でも大歓声の中、パドックを回っていつもと同じように心を揺らさず、平常心で引き馬をしてレースに送り出した。それでも、レースが終わって戻ってきた後は「有難うって聞こえた時には胸が熱くなった。この馬はそれだけ頑張ってきたんだなって。ファン投票で一位になったのも、勝てそうで勝てない馬に冠を取らせてやりたいっていう気持ちだったんだろうなぁ」と、ナリタトップロードに贈られたファンからの声の数々に感激しっぱなしだったという。
引退直前に…
実は、現役ラスト1年くらいは馬っ気(牡馬が時をわきまえずに発情すること)が出始めていたといい、調教の際には牝馬をできるだけ離すように心がけていたという。
猫との関係
牧場や厩舎では伝統的に猫を大切にする。しかしトップロードは一度猫が脚元をすごい勢いで横切られた出来事から他の厩舎の猫を嫌っていた。しかし担当調教師が餌をあげているのを見た野良猫については嫌うことなくじーっと見ていたという。
名馬の肖像
今日こそは
届かないこともあれば
抜き去られることもある
一瞬の油断も許されない
だがこの緊迫した雰囲気
悪いものではない
強敵たちと競り合う日々は
自分を強くしていくのだから
その実感に魂を震わせながら
今日こそは駆け上がろう
目の前になる頂点への道を
《名馬の肖像 2023年菊花賞より》
関連項目
同期ライバル
テイエムオペラオー アドマイヤベガ ラスカルスズカ メイショウドトウ
血縁
マツリダゴッホ…甥
同一重賞3年連続惜敗の仲間たち
・ナイスネイチャ……GⅠ「有馬記念」で同一GⅠ3年連続3着(1991~1993年)
・ディープボンド……GⅠ「天皇賞(春)」で同一GⅠ3年連続2着(2021-2023年)
・ワンダーアキュート……GⅠ「ジャパンカップダート」で同一GⅠ3年連続2着(2011-2013年)
・クロコスミア……GⅠ「エリザベス女王杯」で同一GⅠ3年連続2着(2017-2019年)