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密林から飛び出せ


姿はサラブレッド。

だが体内に流れる血は

野獣たちのハイブリッド。


オオカミの鋭さ

ピューマの俊敏さ

ハイイログマの剛力で

獲物を狩っていく。


密林では狭すぎる。

この広大な荒れ野でこそ

彼の天性は生きる。


≪「名馬の肖像」2018年日本ダービー≫


曖昧さ回避編集

メディアミックスプロジェクト『ウマ娘プリティーダービー』において、当馬をモデルとするウマ娘については「ジャングルポケット(ウマ娘)」を参照。


概要編集

ジャングルポケットは日本の競走馬種牡馬

1998年5月7日、ノーザンファーム北海道勇払郡安平町)で誕生。父トニービン、母ダンスチャーマー

馬名は童謡の「ジャングルポケット」から。


通算13戦5勝。主な勝ち鞍は東京優駿日本ダービー)、ジャパンカップ

2001年、年度代表馬および最優秀3歳牡馬に選出される。アグネスデジタルマンハッタンカフェクロフネを抑えての年度代表馬受賞となった。

2003年、競走馬を引退。社台スタリオンステーション種牡馬となり実績を残す。

2020年、種牡馬を引退し、北海道沙流郡日高町ブリーダーズスタリオンステーションで余生を送る。

2021年3月2日、病死。23歳だった。


主な産駒編集

アベンチュラ オウケンブルースリ トーセンジョーダン トールポピー ジャガーメイル クィーンスプマンテ ジャングルスマイル


戦績編集

2000年編集


2001年編集

  • 2月4日、共同通信杯で勝利、ゴール後に舌出しカメラ目線。
  • 4月15日、皐月賞に出走するが、スタートで大きく出遅れてアグネスタキオンの3着に終わる。
  • 5月27日、〇外開放元年となった東京優駿でクロフネやダンツフレームを抑え勝利。角田晃一騎手にとって初の東京優駿制覇となった。ゴール後に雄叫び、天にいるタガノテイオーへの勝利報告(馬場に他の馬がいなくなり、寂しくて仲間を呼んで鳴いたとも)。
  • 5月27日、札幌記念エアエミネムの3着に敗れた。
  • 10月21日、5ヶ月の休養を経て臨んだ菊花賞ではマンハッタンカフェの4着に敗れた。
  • 11月25日、ペリエ騎手に乗り替わりジャパンカップに出走。テイエムオペラオー古馬を破り、内国産3歳馬として初のジャパンカップ制覇を成し遂げ、世代交代をアピール。父トニービンの無念を晴らした。

2002年編集


余談編集

公式サイト ジャングルポケットワールド編集

現役当時、馬主の「応援してくれるファンのためにお礼がしたい」という意向により、馬自身の公式サイトジャングルポケットワールドが運営されていた。

デフォルメイラストのジャンポケが「ようこそ!ジャングルポケットワールドへ!」などと話しかけたり、名前の由来の童謡のジャングルポケットを歌ったり、ファンとの交流の場になるなどしていた。

ジャンポケ引退と共に閉鎖され、サイトのコンテンツはCD-ROMジャングルポケットワールド.フォーエバーにまとめられ、ファンに配布された。


フジキセキとの関係編集

本馬は馬主・調教師・厩務員・主戦騎手すべてが三冠確実と言われながらクラシック前に故障で引退したフジキセキと同じである。そのため、ダービーを制した際には「フジキセキの無念を晴らした」といった論調で報じられた。


関連タグ編集

JRA 競馬 競走馬 東京優駿 ジャパンカップ ジャングルポケット


斉藤舞子:ジャングルポケットの馬主・齊藤四方司の娘。ほうとうイエー!でお馴染み。そもそものジャングルポケットの名前の由来が、幼少期に同名の歌をよく歌っていたことから。

ジャングルポケット(お笑いトリオ):トリオ名はこのジャングルポケット号に由来する。

アフリカンゴールドメロディーレーン:ネットを駆使する競走馬の後輩たち

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