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トニービン

とにーびん

トニービンはアイルランド生まれ、イタリア調教の競走馬で、日本で種牡馬として活躍した。
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概要

トニービンは1983年4月7日アイルランド生まれの競走馬

父:カンパラ、母:セヴァーンブリッジで、血統的に見るべき点はまるでなかった。


1983年11月のゴフス・セールでピエロ・ブロットにより3000ギニー(当時の為替レートで約90万円)で購入された安い馬だった。

ブロットは実業家のルチアーノ・ガウチが所有するアレヴァメント・ホワイト・スター牧場の獣医であり、イタリアに渡ったトニービンはガウチの妻デル・ボノ・ガウチ名義で競走馬となり、ルイージ・カミーチ調教師に預けられた。

馬名はガウチ夫妻の知人の画家アントニオ・ビンのニックネームから。


通算戦績27戦15勝(内GⅠ6勝)。


現役引退後は日本で種牡馬として数多くの活躍馬を出す。


デビュー〜競走馬時代

1985年にコルシカ賞でデビューし1着。


1986年はダービー・イタリアーノ(GⅠ)で4着、イタリア大賞(GⅠ)で3着、ジョッキークラブ大賞(GⅠ)で2着と善戦するも勝ち切れず、リパ賞ヴィラボルゲーゼ賞での2勝のみに終わった。


1987年は年明けからサルナノ賞エリントン賞(GⅢ)、イタリア共和国大統領賞(GⅠ)、ミラノ大賞(GⅠ)と4連勝。その後フランスへ遠征しサンクルー大賞(GⅠ)で2着、イングランドに遠征しキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス(GⅠ)で5着。イタリアに戻ってベロッタ賞で1着。再びフランス遠征し凱旋門賞(GⅠ)で2着。イタリアに戻ってジョッキークラブ大賞で1着、ローマ賞(GⅠ)で2着と、飛躍の年となった。


1988年は再びキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスに挑むも3着に終わるが、凱旋門賞で最強馬と見做されていたムトトを破り1着。日本にも遠征し、ジャパンカップ(GⅠ)で5着。トニービンはレース中に骨折していた。


凱旋門賞の勝利が評価されて欧州最優秀古馬に選ばれる。


種牡馬としての活躍

現役引退後は社台グループが購入し、その金をガウチはプロ・サッカー・チーム「ペルージャ」の購入資金に充てた。


1989年に日本に輸入され、初年度産駒からベガウイニングチケットなど産駒が大活躍。90年代後半から00年代前半は、サンデーサイレンスブライアンズタイムと合わせ3強種牡馬と言われた。


その後もノースフライトサクラチトセオーエアグルーヴオフサイドトラップジャングルポケットレディパステルテレグノシスなどGⅠ馬や重賞馬を多数輩出。


トニービンにとって無念のラストランであったジャパンカップを2001年にジャングルポケットが内国産3歳馬として初の制覇を成し遂げ、父の無念を晴らしている。


トニービン産駒の特徴として東京専用と言われたほど東京競馬場府中市)のGⅠに強い点が挙げられる。

13勝中11勝が東京競馬場での勝利で、他はノースフライトのマイルチャンピオンシップとベガの桜花賞だけである。


2000年3月10日、急性心不全のために死亡した。


創作

漫画ウマ娘シンデレラグレイ』(久住太陽)にトニービンがモデルと思われる海外ウマ娘トニビアンカ」が登場している。


漫画みどりのマキバオー』(つの丸)にトニービンがモデルと思われるミドリマキバオーの父「タマーキン」の名前が出ている。


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競走馬 86世代 イタリア

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