概要
父:カンパラ、母:セヴァーンブリッジで、血統的に見るべき点はまるでなかった。
1983年11月のゴフス・セールでピエロ・ブロットにより3000ギニー(当時の為替レートで約90万円)で購入された安い馬だった。
ブロットは実業家のルチアーノ・ガウチが所有するアレヴァメント・ホワイト・スター牧場の獣医であり、イタリアに渡ったトニービンはガウチの妻デル・ボノ・ガウチ名義で競走馬となり、ルイージ・カミーチ調教師に預けられた。
馬名はガウチ夫妻の知人の画家アントニオ・ビンのニックネームから。
通算戦績27戦15勝(内GⅠ6勝)。
現役引退後は日本で種牡馬として数多くの活躍馬を出す。
デビュー〜競走馬時代
1985年にコルシカ賞でデビューし1着。
1986年はダービー・イタリアーノ(GⅠ)で4着、イタリア大賞(GⅠ)で3着、ジョッキークラブ大賞(GⅠ)で2着と善戦するも勝ち切れず、リパ賞、ヴィラボルゲーゼ賞での2勝のみに終わった。
1987年は年明けからサルナノ賞、エリントン賞(GⅢ)、イタリア共和国大統領賞(GⅠ)、ミラノ大賞(GⅠ)と4連勝。その後フランスへ遠征しサンクルー大賞(GⅠ)で2着、イングランドに遠征しキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス(GⅠ)で5着。イタリアに戻ってベロッタ賞で1着。再びフランス遠征し凱旋門賞(GⅠ)で2着。イタリアに戻ってジョッキークラブ大賞で1着、ローマ賞(GⅠ)で2着と、飛躍の年となった。
1988年は再びキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスに挑むも3着に終わるが、凱旋門賞で最強馬と見做されていたムトトを破り1着。日本にも遠征し、ジャパンカップ(GⅠ)で5着。トニービンはレース中に骨折していた。
凱旋門賞の勝利が評価されて欧州最優秀古馬に選ばれる。
種牡馬としての活躍
現役引退後は社台グループが購入し、その金をガウチはプロ・サッカー・チーム「ペルージャ」の購入資金に充てた。
1989年に日本に輸入され、初年度産駒からベガやウイニングチケットなど産駒が大活躍。90年代後半から00年代前半は、サンデーサイレンスやブライアンズタイムと合わせ3強種牡馬と言われた。
その後もノースフライト、サクラチトセオー、エアグルーヴ、オフサイドトラップ、ジャングルポケット、レディパステル、テレグノシスなどGⅠ馬や重賞馬を多数輩出。
トニービンにとって無念のラストランであったジャパンカップを2001年にジャングルポケットが内国産3歳馬として初の制覇を成し遂げ、父の無念を晴らしている。
トニービン産駒の特徴として東京専用と言われたほど東京競馬場(府中市)のGⅠに強い点が挙げられる。最終直線の長い東京競馬場ではトップスピードで他を圧倒していた。
13勝中11勝が東京競馬場での勝利で、他はノースフライトのマイルチャンピオンシップ(京都競馬場)とベガの桜花賞(阪神競馬場)だけである。
2000年3月10日、急性心不全のために死亡した。
創作
漫画『ウマ娘シンデレラグレイ』(久住太陽)にトニービンがモデルと思われる海外ウマ娘「トニビアンカ」が登場している。
漫画『みどりのマキバオー』(つの丸)にトニービンがモデルと思われるミドリマキバオーの父「タマーキン」の名前が出ている。