誘導
- JRAにかつて所属していた競走馬・種牡馬。
- 1をモチーフとしたウマ娘プリティーダービーに登場するウマ娘。→サクラチトセオー(ウマ娘)
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プロフィール
生年月日 | 1990年5月11日 |
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英字表記 | Sakura Chitose O |
性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
父 | トニービン |
母 | サクラクレアー |
母の父 | ノーザンテースト |
5代内インブリード | ハイペリオン4×5 |
近親 | 半妹サクラキャンドル、半兄サクラヤマトオー |
生産 | 谷岡牧場(北海道静内町) |
馬主 | さくらコマース |
調教師 | 境勝太郎(美浦) |
主戦騎手 | 小島太 |
戦績 | 21戦9勝 |
主な勝鞍 | 天皇賞(秋)(GⅠ 1995年) |
獲得賞金 | 5億2097万9000円 |
現役期間 | 1992年10月11日~1996年1月7日 |
死没日 | 2014年1月30日(24歳没) |
概要
サクラチトセオーは1990年5月11日生まれ、93世代の競走馬。
父トニービンの名を知らしめた初年度産駒の中の1頭。
母はサクラクレアー。
半妹サクラキャンドルは95年エリザベス女王杯の勝ち馬。
谷岡牧場生産で、馬主はさくらコマース。
管理調教師は境勝太郎。主戦騎手は小島太で、21戦中20戦に騎乗している。
通算21戦9勝、主な勝鞍は95年天皇賞(秋)。
同期はビワハヤヒデ、ナリタタイシンだが、ウイニングチケット等だが、本馬は遅咲きの晩成馬だった。
現役時代
1992年10月11日、東京競馬場の新馬戦(芝1600m)でデビュー。見事に勝利したものの脚部に不安が生じて2ヶ月休養。2戦目は12月19日の500万下「ひいらぎ賞」で、1着入選のカノープス降着により繰り上がりで2連勝。しかしまたも脚元が思わしくなく、長期休養。
1993年、青葉賞での復帰を予定していたが、軽微な口角癤(口内炎)で急遽出走取消。翌週のNHK杯にエントリーし、3着でダービーの出走権を取った。
GⅠ初挑戦の日本ダービーではBNWの激しい争いについていけず、11着。その後、腰に不安が生じて長期休養に入る。
1994年2月の900万下「節分賞」で復帰すると、テレビ埼玉杯で2勝目。
ここで中山記念に格上挑戦し、見事に重賞初制覇。
エイプリルステークス(OP)2着の後、メトロポリタンステークスを勝利して挑んだ宝塚記念は同期ビワハヤヒデの6着。夏はゆっくり休み、笹針治療を受ける。
秋は秋天へのステップとして京王杯オータムハンデキャップに出走。小島が騎乗停止となったため的場均の代打騎乗となったが、なんとこのレースで87年ダイナアクトレスのタイムを上回る芝1600m日本レコード(1:32.1)を叩き出し、重賞2勝目。
本番の天皇賞(秋)では同期ネーハイシーザーの6着。当時オープンの富士ステークスを勝った後、有馬記念はナリタブライアンの6着。
1着と6着を交互に3回繰り返したことから、この年のチトセオーは「イチロー」などと呼ばれた。
1995年アメリカジョッキークラブカップではホクトベガとの叩き合いを制して重賞3勝目。連覇を狙った中山記念はフジヤマケンザンとの叩き合いに敗れ2着惜敗。
安田記念ではハートレイクと激しい叩き合いの末、2着惜敗ながらGⅠ初連対。
故障馬続出の第36回宝塚記念はダンツシアトルの6着で終えた。
続く天皇賞(秋)では三冠馬ナリタブライアンが伸びを欠く中、菊花賞ではなく天皇賞に挑んできた皐月賞馬ジェニュインが抜け出しを図る。
しかしトニービンの血のなせる技か、ほぼ最後方からチトセオーの上がり最速の末脚が爆発し、大外から直線一気で10頭以上まとめてブチ抜き、ついにはジェニュインをハナ差差し切ってGⅠ初制覇を果たした。
このレースの後、年内引退が決定。ラストランの有馬記念を待つ間に、半妹サクラキャンドルがエリザベス女王杯を勝利。グレード制導入後、87年ニッポーテイオー&タレンティドガール、88年8タマモクロス&ミヤマポピーに続く史上3組目の秋天エリ女兄妹同年制覇となった。
引退レースの有馬記念ではヒシアマゾンやナリタブライアンを差し切ったものの、マヤノトップガンとタイキブリザードには届かず3着に終わる。
この年、チトセオーはJRA最優秀5歳以上牡馬を受賞した。
秋天優勝の白帽1番ゼッケンで登場し、スタンド前ではレース本番さながらに1ハロン11秒台というもの凄いキャンター(駈歩)を披露。
境調教師は「こんな凄いキャンターは、この馬を見ていた4年間で初めてだよ」などと驚いていた。
ネーハイシーザーとは2勝2敗、フジヤマケンザンとは2勝1敗、タイキブリザードとは1勝2敗、 ナリタブライアンとは2勝1敗。
引退後
1996年より北海道静内町の静内スタリオンステーションで種牡馬入り。
静内SS閉鎖後の2005年からはレックススタッドに移動するが種付け数が激減、2010年にはゼロとなり、2011年に種牡馬を引退。
新ひだか町で功労馬として余生を過ごし、2014年1月30日、老衰のため24歳で永眠。
主な産駒
・ラガーレグルス(99年ラジオたんぱ杯3歳S)
・ナムラリュージュ(05年阪神スプリングジャンプ)
関連項目
トニービン初年度産駒の同期