概要
馬名は、アメリカの競走馬セリ市でこの馬を落札した社台ファームの吉田照哉氏が、電話で父・善哉氏に報告した際「北海道に帰ったら寿司が食べたい」という話をしたことから、父ノーザンダンサーからの連想で「北の(Northern)味(Taste)」と名付けたもの。
※本記事の表記は旧馬齢表記(現在の表記より+1歳)を用いる。
生涯
日本輸入まで
父はカナダ生まれの競走馬で、アメリカ最高峰のレース・ケンタッキーダービーを1964年に制覇、そして引退後は世界的な大種牡馬となったノーザンダンサーである。
1972年夏の競走馬セリ市にて、北海道千歳市の牧場・社台ファームが落札。その後フランスで競走馬生活に入り、G1・フォレ賞制覇など20戦5勝の戦績を残した。
引退後、種牡馬として日本に輸入される。
……ところが、初めて実際にノーザンテーストを見た当時の社台ファーム代表・吉田善哉氏は仰天した。
ノーザンテーストは身体は小さく、脚が短く、そして顔は大きいという、お世辞にも見栄えのする馬ではなかったのである。実際に買い付けに行った息子の吉田照哉氏に「セリに出ているノーザンダンサーの子で一番いいのを頼む」と言って後は任せた善哉氏は、「照哉に任せたのが失敗だった。こんな小柄でにぎやかな顔の馬は成功するわけない」と頭を抱えた。その不細工さは「わざわざアメリカで大金を払ってヤギを買ってきたのか」と周囲から陰口を叩かれるほどだったという。
だが、照哉氏は「骨格や筋肉の付き方が一番良かったから選んだ」とこの馬を信じていた。
尤も善哉氏も善哉氏で、この後気性難・X脚・地味母系のトリプルパンチで種牡馬としての価値が全く見出されていなかったサンデーサイレンスを大枚はたいて購入しアメリカの競馬界から笑い者にされたのでなんだかんだで似た者親子である(サンデーサイレンスの種牡馬としての活躍ぶりは最早語るまでもない)。
種牡馬として大活躍
1977年に初年度産駒たちが誕生。その中から、早くもアンバーシャダイ(1981年有馬記念・1983年天皇賞春、メジロライアンの父)を輩出、種牡馬として注目され始める。
1982年には日本リーディングサイアーに輝く。以後、通算10年間(1982~88、1990~92)日本種牡馬の頂点に立った。
1986年、ダイナガリバーが牧場初のダービー馬に輝く(他に1986年有馬記念、同年年度代表馬受賞)。
その後、孫世代が出始めるとブルードメアサイアー(母父)としても優秀な産駒を輩出し、1990~2006年の17年連続リーディングブルードメアサイアーに輝いた。
2000年に種牡馬引退。リーディングサイアーの獲得回数はその後サンデーサイレンスに抜かれたが、18年連続(1979~96)・20世代連続(1977~96産)の重賞馬輩出、JRAでの28年連続産駒勝利(1979~2006)は未だに日本記録である。
晩年
種牡馬登録抹消後は、牧場最大の功労者として、専用馬房と自由に出入りできる専用パドックが与えられ、悠々自適の老後を送った。2004年12月11日、社台スタリオンステーションにおいて老衰のため死去。33歳の大往生だった。
死後、その遺体は社台スタリオンステーション敷地内の高台に埋葬された。また、社台グループの一員であるノーザンファームが運営するテーマパーク「ノーザンホースパーク」には、吉田善哉氏とノーザンテーストの等身大ブロンズ像が建立されている。
余談
メイン画像の通り、明るい栗毛の毛色に、顔の左側面に偏った大作(額から鼻先まで通る大きな白班)があるという、特徴的で見分けやすい馬だった。体格は小さくとも骨格・筋肉とも頑健で、最晩年まで大変に健康であり、老いを感じさせなかったという。
晩年のエピソードとして、彼の馬房に野良猫が出入りするようになった。牧場関係者が好きにさせておいたところ(猫は家畜の餌を食い荒らしたり伝染病を媒介したりするネズミを狩ってくれる動物なので、伝統的に牧場では大事にする)、ノーザンテーストもこの小さな訪問者を可愛がる好々爺ぶりを見せ、じゃれ合ったり背中に乗せてやったりした写真が何枚も残されている。
繁殖成績
主な産駒
1977年生:アンバーシャダイ(有馬記念・天皇賞春、メジロライアン父)
1983年生:ダイナガリバー(日本ダービー・有馬記念、1986年年度代表馬)
1983年生:ダイナアクトレス(1987・88年最優秀5歳以上牝馬)
1989年生:アドラーブル(オークス)
1989年生:マチカネタンホイザ(獲得賞金約5億1000万円、産駒中の最高)
1998年生:ビッグテースト(中山グランドジャンプ)
後継種牡馬はアンバーシャダイ ⇒ メジロライアン ⇒ メジロブライトと順調に受け継がれていたが、メジロブライトが多くの産駒を残せないまま早世。2010年にマチカネタンホイザが種牡馬を引退したのを最後に、残念ながら日本国内の父系は絶えてしまった。
2019年現在、確認されている限り唯一のノーザンテースト直系の種牡馬は、中国にいるウーディー(Wu Di、中国語で「無敵」の意味、2002年生)である。
これは、ノーザンテースト産駒アスワン(1982年NHK杯・京成杯)の子メジロアルダン(1989年高松宮杯)が引退後に中国へ輸出され、北京の地で同じく中国へ輸出された繁殖牝馬ヤマニンディライトとの間に生まれた牡馬である。ウーディーは中国競馬界で活躍ののち、2019年現在も新疆ウイグル自治区の牧場で現役種牡馬を務めているという。
主なブルードメアサイアー産駒
1985年生:サッカーボーイ(父ディクタス、阪神3歳S・マイルCS)
1987年生:レッツゴーターキン(父ターゴワイス、天皇賞秋)
1988年生:イブキマイカグラ(父リアルシャダイ、阪神3歳S)
1989年生:サクラバクシンオー(父サクラユタカオー、スプリンターズS)
1992年生:サクラキャンドル(父サクラユタカオー、エリザベス女王杯)
1992年生:フラワーパーク(父ニホンピロウイナー、高松宮杯・スプリンターズS)
1993年生:エアグルーヴ(父トニービン、オークス・天皇賞秋)
1994年生:ファストフレンド(父アイネスフウジン、帝王賞・東京大賞典)
1996年生:アドマイヤコジーン(父コジーン、朝日杯3歳S・安田記念)
1997年生:ギルデッドエージ(父ティンバーカントリー、中山大障害)
1999年生:デュランダル(父サンデーサイレンス、スプリンターズS・マイルCS)
1999年生:アドマイヤマックス(父サンデーサイレンス、高松宮記念)
2001年生:ダイワメジャー(父サンデーサイレンス、皐月賞・天皇賞秋・マイルCS・安田記念)
2001年生:カンパニー(父ミラクルアドマイヤ、天皇賞秋・マイルCS)
2004年生:ダイワスカーレット(父アグネスタキオン、桜花賞・秋華賞・エ女王杯・有馬記念)
2006年生:トーセンジョーダン(父ジャングルポケット、天皇賞秋)
2007年生:レインボーダリア(父ブライアンズタイム、エリザベス女王杯)
幅広い父馬とのコンビで活躍馬を輩出しており、父系は絶えたが現在でも血統表にノーザンテーストの名自体は非常によく見られる。
むしろノーザンテースト(ならびにノーザンダンサー)の血が入ってない馬の方がたいそう珍しく、事実2021年JDD勝ち馬キャッスルトップはサンデーサイレンスはもちろんのことノーザンダンサーの血が入ってないことにも驚かれた。
他に大種牡馬と呼ばれる存在とでは、トニービンと早くから相性が良かった。
だがなぜかサンデーサイレンスとは相性が良くなく、初めてGⅠ勝ち馬を出したのはサンデーサイレンス死後の2003年、8世代目のデュランダルである。その後ダイワメジャー、アドマイヤマックス、エアメサイアが輩出された。
ブライアンズタイムとのコンビでは最後までGⅠ馬が出ていなかったが、2012年にレインボーダリアがエリザベス女王杯を獲り、初の例となった。
その他、1988年生まれの娘スカーレットブーケはダイワメジャーとダイワスカーレットを産み、この兄妹でのGⅠ合計9勝はJRAのきょうだいGⅠ勝利数タイ記録である。
また、全兄弟でGⅠ合計9勝を挙げたドリームジャーニー・オルフェーヴル(父ステイゴールド・母オリエンタルアート)は、ノーザンテーストの4×3=18.75%の奇跡の血量(簡単に言えばノーザンテーストのひ孫と孫が結ばれて生まれた馬。身体的問題を起こさず近親交配が可能なギリギリのラインと考えられている)を有している。
ちなみにノーザンテースト自身も名牝レディアンジェラの3×2=37.50%という濃い血量を有していた。濃い血量は祖先の特徴をそれだけ強く引き出せる反面、健康面の問題や気性難などのリスクも高まる諸刃の剣だが、本馬の気性は非常に穏やかであり、人間でいうなら90~100歳以上の長寿を保った。さらに37.50%の血量は交配相手側の5代以内の血統に同じ祖先(もしくは祖先と両親が同じ全兄弟)が存在しない場合、産駒の血量が必然的に18.75%となる。これは事実上、全ての産駒に奇跡の血量が成立し得ることを意味し、種牡馬として成功した一因もこの血量にあるのかもしれない。