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ステイゴールドは、日本の競走馬である。
重賞戦線で安定して馬券に絡むもなかなか勝ちきれないシルバー&ブロンズコレクターとして独自の人気を得た。2001年、引退レースとして挑んだ香港ヴァーズで悲願のGⅠ制覇を果たし、有終の美を飾った。引退後は種牡馬としてオルフェーヴルゴールドシップオジュウチョウサンほか個性豊かな活躍馬を数多く輩出した。

名前の由来はスティービー・ワンダーの往年の名曲「Stay Gold」。
しかしその気質と競走馬としての生き様より、競馬ファンからはHi-STANDARDの同名の楽曲になぞらえられる事も多い。

My life is a normal life 俺の生き様つまんねぇ
Working day to day ずっと走ってばっか
No one knows my broken dream 誰も俺の挫折を知らない
I forgot it long ago 俺自身長いこと忘れてた
I tried to live a fantasy 夢見てた時期もあったっけ?
I was just too young まあ、あんときゃ若かったんだよ
In those days you were with me そんときゃお前もいたっけ?
The memory makes me smile まったく笑っちまうよな

I won't forget 忘れてないよ
When you said me "STAY GOLD" 「輝き続けろ」って俺に言ってくれたこと
I won't forget 忘れられやしないよ
Always in my heart "STAY GOLD" その言葉、いつも胸の中に仕舞ってあんだ

I won't forget 忘れもしないよ
I won't forget 忘れないよ
Always in my heart "STAY GOLD" いつも心に「ステイゴールド」がいる事を

プロフィール

生年月日1994年3月24日
死没日2015年2月5日(21歳没)
欧字表記Stay Gold
香港表記黄金旅程
性別
毛色黒鹿毛
サンデーサイレンス
ゴールデンサッシュ
母の父ディクタス
生産白老ファーム(北海道白老町)
調教師池江泰郎(栗東)
主戦騎手熊沢重文武豊
生涯戦績50戦7勝(JRA48戦5勝、海外2戦2勝)
獲得賞金7億6299万3000円(日本)+120万米ドル(UAE)+800万香港ドル(香港


※この記事では、競走馬の馬齢表記を旧表記で記述します。

競走馬時代

誕生~

1994年3月24日、北海道の白老ファームにて誕生。
父は大種牡馬サンデーサイレンス、母はGⅠ馬サッカーボーイの全妹ゴールデンサッシュで、母の父が重賞ウィナーを数多く輩出したディクタスという良血馬だった。
(しかし、ヘイロー系とディクタス系を掛け合わせるということは…多少なりとも競馬の血統のことを知っている人ならば、既にお気付きであろう。)
当初は大人しかったものの、馴致を始めてからは一転して(案の定)気性の悪さを見せ、突然立ち上がって他の馬にのしかかろうとする、調教中に立ち上がって騎手を振り落とそうとするなど問題児だった。

1996年(旧3歳)

1996年12月1日、阪神競馬場でデビューし3着。
12月21日の次走も右前脚の骨膜炎により16着と大敗。

1997年(旧4歳)

2月15日、4歳未勝利戦に出場するも、右回りのコースなのに左に旋回し始め、鞍上の熊沢重文騎手が落馬。調教再審査を通告された。その後2度の2着を経て、5月11日の新馬戦で初勝利を挙げた。
6月7日、特別競走のすいれん賞に1着。
6月29日、やまゆりステークス4着。
9月6日、阿寒湖特別1着。ごく普通の条件戦ではあるが、この後ステイゴールドは重賞レースで度々馬券に絡む好走をみせながら、2000年の目黒記念での重賞初勝利まで3年間近く「主な勝ち鞍:阿寒湖特別」のままであったため、「阿寒湖特別」という呼称そのものがステイゴールドの(やや揶揄を含んだ)ニックネームとなった時期があった。

10月12日、初重賞として菊花賞トライアルのGⅡ神戸新聞杯に格上挑戦するも4着に終わり、菊花賞への優先出走権には手が届かなかったが、抽選を潜り抜け何とか菊花賞へは出場できた。
11月2日、菊花賞では8着と惨敗。

11月30日、1600万下特別のゴールデンホイップトロフィーで2着。準オープンとなった。

1998年(旧5歳)

古馬になったステイゴールドは1月17日、オープン特別の万葉ステークスへ出走するが、前走に引き続き2着。
2月8日、1600万下の特別競走松籟ステークスでも2着。

2月21日、重賞のGⅢダイヤモンドステークスでも2着。
まさかの4連続2着となるが、重賞のダイヤモンドステークスで2着になった事により、ステイゴールドはオープンクラスへの昇格を果たした。

3月29日、GⅡ日経賞へ出走するが、4着に敗れる。

5月3日、GⅠ天皇賞(春)に出走。3200mの長丁場は未知の領域で、それまで負け続きのステイゴールドの単勝オッズは57.9倍で10番人気だった。
ところがステイゴールドは思わぬ好走を見せ、メジロブライトの2着に入る。勝つことこそは出来なかったが、グランプリホースのシルクジャスティスに先着しての2着であり、確かな実力をつけていることを見せた。

6月13日、GⅡ目黒記念では、3番人気に推され3着。

7月12日、春のグランプリ、GⅠ宝塚記念に出走し、ここでは9番人気と人気を落としたが、またも2着に好走する。1着馬に4分の3馬身という僅差まで詰め寄っての惜敗だった。
1着は「影をも踏ませぬ快速馬」サイレンススズカで、エアグルーヴグラスワンダー、さらにはエルコンドルパサーといった名馬達すら届かなかったその影を、ステイゴールドは確かに踏んでいた。

ここまでの戦績は、19戦3勝、2着が8回。数々の実力馬相手にキッチリ2着を獲り続けるステイゴールドは、ある意味で馬主孝行な馬だったと言えよう(JRAでは本賞金は5着まで出るが、クラス分けなどの基準となる「収得賞金」は1着本賞金と重賞のみ1着と2着本賞金を元に加算される)。
さらには、この頃からステイゴールドは「シルバーコレクター」として妙な人気を博し始めていた。まさに「ゴールドの前でステイ」「金の前で待たされている」かのようなその走りの歯がゆさからか、不思議な人気を得ていたのである。名は体を表すと言った所だろうか。(そしてよしだみほにネタを提供するはめに

10月11日、GⅡ京都大賞典では2番人気に推されたが4着。

11月1日、天皇賞(秋)はオフサイドトラップに敗れ2着。しかし、サイレンススズカが骨折・予後不良・安楽死となったレースであったため、あまり話題にならなかった。

11月29日、GⅠジャパンカップでは10着。
12月27日、グランプリレースの有馬記念でも3着と、この年は未勝利に終わった。

1999年(旧6歳)

6歳になっても、善戦するが勝てないレースは続いた。
この年はむしろ「ブロンズコレクター」となっており、GⅡ日経賞を初め、GⅡの金鯱賞、鳴尾記念、宝塚記念の計4戦で3着に入る結果となった。
そして、その年の天皇賞(秋)で2年連続2着となった。このレースでは自身もレコードとなる走りを見せたがスペシャルウィークに敗れる。
結局、この年も未勝利だった。

2000年(旧7歳)

1月23日、GⅡアメリカジョッキークラブカップに出場し2着。
その後は京都記念3着、日経賞2着、天皇賞(春)4着と、いずれも掲示板に載るだけで終わってしまう。
ここで長い間主戦騎手を務めた熊沢重文が降板。

新たに、以前に一度だけ騎乗経験のある武豊が鞍上として迎えられた。
5月20日、GⅡ目黒記念へ出走したステイゴールドは、単勝オッズ2.8倍の1番人気となった。
このレースでステイゴールドは2着のマチカネキンノホシに1と4分の1馬身差をつけて優勝したのである。初の重賞制覇と同時に、4歳以来実に2年8ヵ月、29戦ぶりとなる白星を手に入れた。

この勝利を受けて、GⅠ未勝利馬にも関わらず異例のヒーロー列伝への抜擢となり、彼の競争成績を表した『愛さずにはいられない』の一文が付けられた。
しかし、テイエムオペラオーの絶対王政や鞍上の変遷もありこれ以降2・3着に入ることはなくなった。

2001年(新7歳/旧8歳)

1月14日、GⅡ日経新春杯に出走し優勝。重賞2勝目を飾った。

ちなみにこの年から世界に合わせる形で馬齢表記が改められており、ステイゴールドはこのレース以降も引退まで「7歳」として走っている。
7歳にもなれば一般的な競走馬はいい加減衰えも隠せない年齢だが、ステイゴールドはむしろこれまで以上の仕上がりを見せていた。

3月、トゥザヴィクトリーの帯同馬としてステイゴールドはドバイへと飛んだ。
そして現地でナドアルシバ競馬場で行われる重賞レース、GⅡドバイシーマクラシック(現GⅠ)へ出走することになる。
この年のドバイシーマクラシックは国際GⅠ香港カップを初めGⅠを2勝している前年度覇者にして、世界最強の競走馬をポイントによって決めるワールド・レーシング・チャンピオンシップの2代目チャンピオン、ファンタスティックライトも出走し、その他にもGⅠ馬が大勢犇めいている魔窟ぶりを見せていた。
そんな中ステイゴールドは輸送による疲労ですっかり食欲が落ちてしまい、レース当日にはガリガリに痩せこけ、掲示板入りはおろか最後まで走れるかどうかすら不安視されていた。
どうやらステイゴールド自身が食べきれない餌を寝床に隠したり、他の馬に食べさせるなどしてちゃんと食べたふりをしていたせいで発覚が遅れたらしい。
しかし、ドバイシーマクラシックに出走したステイゴールドはそのファンタスティックライトを相手に驚異の末脚を見せてハナ差で差し切り、見事勝利を収めた。「サンデーサイレンス産駒の海外重賞初制覇」という偉業でもあった。

ドバイシーマクラシックの勝利でステイゴールドにも種牡馬となる目途が付いたものの、社台スタリオンではサンデーサイレンス系のGⅠ勝利馬が多数種牡馬入りし、故障により引退したアグネスタキオンも種牡馬に加わって既に十分な種牡馬を抱え込んでおり、ステイゴールドは売却する方向で話が進んでいた。
ところが、ライスシャワーと同じ理由で評価は低く(明らかに晩成かつ短距離・高速化が進んでおりステイヤーは敬遠される)、価格交渉も不調に終わり、繁殖シーズンにも間に合わなくなったため現役続行となる。 

その後も順風満帆とはいかず、帰国後の6月24日、宝塚記念で4着。休養に入る。

10月7日、GⅡ京都大賞典ではテイエムオペラオーを半馬身差制し1着…と思われたが、直線で左に斜行したためテイエムオペラオーと接触。挟まれる形となったナリタトップロードに騎乗していた渡辺薫彦騎手を落馬させ、失格処分が下されてしまう。前々からの気性難で直線でもたれる悪癖が、最悪の形で出てしまった。

そして、このときの鞍上を務めていた後藤浩輝は、馬を真っ直ぐ走らせる騎手の注意義務を怠ったことを理由に約3週間の騎乗停止となり、それ以降、同馬引退まで騎乗する機会はなかった(後藤は、その前にも別の馬に騎乗時にオペラオーの進路を妨害したことがあり、オペラオーの馬主からは「お前は一体何を考えて乗っとるんだ! これで3度目だぞ!!」とレース直後に厳しく叱責されたという)。

そして武豊を久々に鞍上に迎えての10月28日の天皇賞(秋)も斜行し7着。これを受け調教で徹底的に矯正し、11月25日のジャパンカップは久しぶりに斜行せず走り4着。テイエムオペラオーには先着されるもこのレースでメイショウドトウに初めて先着した。
そして次走でステイゴールドは引退させる事に決まった。

引退レースとして選ばれたのは、12月16日、香港のシャティン競馬場で行われる国際GⅠ香港ヴァーズ。武豊が鞍上のステイゴールドは1番人気に推された。そして、ステイゴールドに付けられた現地表記での馬名は「黄金旅程」。まるでこれまでの長い旅の終着点を表しているかのような馬名に、人々は心を躍らせた。
レースは第三コーナーでエクラールが抜け出し独走体制に入ろうとする中、ステイゴールドは後方待機。最後の直線、残り200メートル時点で先頭を行くエクラールとは約5馬身の差があったが、ステイゴールドは凄まじい勢いで一完歩ごとにエクラールに迫って行く。それでも残り100mの地点ではまだ3馬身の差があったが、ついにゴール直前にエクラールをアタマ差で差し切り、1着でゴールを駆け抜けた。その時ステイゴールドと3着馬の間は実に6と3/4馬身もの差があった(ここでは着差は全て1着基準)。

その追撃の凄まじさたるや、ラジオ日本の加藤アナウンサーが、

「さあ一気にステイゴールドが2番手まで上がってきた!
 残り300m、しかし前まではまだ5馬身ある、200を切った!
 さあステイゴールドがくる! ステイゴールド追ってくる! ステイゴールドくる!
 前まではまだ3馬身ある! ステイゴールド! ステイゴールド! 差し切れ!
 ステイゴールド! ステイゴールド! エクラール! ステイゴールド!
 ステイゴールドぉ! 差し切ったぁ! ラストランを見事に飾ったステイゴールド!」

と、もはや実況ではなく応援をしてしまうほど。
特に残り200mを切ってからはただひたすらにステイゴールドの名を連呼するだけであり、その時いかにこの馬に熱が入っていたかが窺える。
英語実況ですらエクラールが3位以下を更に突き放す走りをしているのに「Ekraar is stopping!」と実況していた。

鞍上の武豊をして「ディープインパクトは飛ぶような走りを見せたが、あの時はまるで背中に羽が生えたようだった」と言わしめた驚異的な末脚で、ステイゴールドは、引退レースで最初で最後のGⅠタイトルを手に入れたのである。
しかもこの勝利は『内国産・日本調教馬による史上初の海外G1制覇』という日本競馬界全体の悲願でもあった(それまでの海外G1を勝った日本馬はいずれも外国産馬であり、内国産馬で勝った例もイギリス調教馬でアイルランドのタタソールズゴールドカップを制したシーヴァがいるのみだった)。この勝利を受け、ステイゴールドはJRA賞特別賞を受賞することになった。

そして翌2002年1月20日に京都競馬場で引退式が執り行われた。本来は行われる予定はなかったが、ファンとJRAによる要請で実施された。馬名の由来であるスティービー・ワンダーの「Stay Gold」をバックに、彼の競争生活は終わりを迎えた。

世紀が変わろうとするとき、日本競馬の名レースにはいつも脇にステイゴールドがいた。
早逝した兄の無念の分も激走したマチカネフクキタル菊花賞制覇。
サイレンススズカ沈黙の日曜日
日本競馬史上最強の一角と評される98世代の激闘。
スペシャルウィーク日本総大将の意地と矜持を示したジャパンカップ
世紀末覇王テイエムオペラオーの覇道と落日。

そして、愛された名脇役は最後の最後に立派に主役を張り、ターフを去っていった。
競走成績は、50戦7勝。2着が12回、3着が8回だった。

種牡馬時代

引退したステイゴールドは、種牡馬となって第2の馬生をスタートさせた。種牡馬時代は2年おきに日高町のブリーダーズ・スタリオン・ステーションと新冠町のビッグレッドファームを往復していた。
小柄、晩成、ステイヤー体質と敬遠される要素も多く苦戦がも予想されたが、当初は種付料が安く設定されたこともあり、「国際G1に勝ったサンデーサイレンス系が格安で種付けできるなら」と意外な人気を博した。
現役時代には牝馬に興味を示さなかったことが心配されていたが、いざやらせると牝馬に飛びかかるような勢いで仕事にかかり、さらに自分より大柄な牝馬相手でも器用に種付けを済ませたという。

2003年産のマイネルネオスがJ-GⅠ中山グランドジャンプを制し、早くもGⅠウィナーを誕生させるという順調な滑り出し。
さらに、まさかの朝日杯を制し晩成のイメージを覆した上にグランプリレース有馬記念宝塚記念の両方を制したドリームジャーニーや、グランプリホースにして凱旋門賞2着のナカヤマフェスタと、多くのGⅠウィナーを輩出する。
そして2011年、産駒の1頭であるオルフェーヴルが史上7頭目となるクラシック三冠馬となり、三冠馬の父という種牡馬として最高クラスの栄誉を手に入れた。
さらに2012年にはゴールドシップも牡馬クラシック2冠を達成するなど、種牡馬としては大成功ともいえる成果を残していた。

母父メジロマックイーンで立て続けに好成績を出したことは当然のことながら注目を浴びたが(→ステマ配合)、既にメジロマックイーンは種牡馬を引退しており、新たなメジロマックイーン産駒の牝馬の供給が不可能になっていたことから、繁殖牝馬を引退し乗馬になっていた馬までが引っ張り出されるという事態にまで発展している。

ステイゴールドはサンデーサイレンスの初期後継種牡馬として活躍し、ステイゴールドより7~8歳年下に当たる後期後継種牡馬のディープインパクトハーツクライらの産駒が競走馬デビューした後もしのぎを削っていたが、2015年2月5日、大動脈破裂により現役種牡馬のまま繋養先のブリーダーズスタリオンステーションで急逝した。享年21歳。前日にも種付けをこなした直後の、突然のことだった。

産駒成績

ステイゴールド産駒は宝塚記念(5勝)や有馬記念(4勝)に強くグランプリレースを計9勝している。宝塚記念が事実上現在のGⅡ級とみなされていた時代(グレード制導入前の「八大競走」にジャパンカップを加えたレースが最高峰とされていた時代。宝塚記念はこれに含まれていなかった。なお宝塚記念自体は1984年のグレード制導入当初からGIレースである)にヒンドスタン産駒が7勝(宝塚4勝・有馬3勝)したり、ロベルト系のブライアンズタイムシルヴァーホーククリスエス産駒が94年~03年間の有馬記念を7勝した事はあるが、同一種牡馬の産駒がこれほどの成績を上げたのは皆無で空前絶後。馬券師たちの間で「グランプリではとりあえずステゴ産駒を買っておけ」というのが定石となった時期もある。
加えて自身と同じく海外に強い馬も多く、重賞勝利を挙げた国は香港、フランス、シンガポール、サウジ、ドバイと多岐に渡る。孫世代では何と凱旋門賞以上の鬼門と言われていた米ダートGⅠのひとつBCディスタフでオルフェーヴル産駒のマルシュロレーヌが勝利を挙げ海外ダートGⅠ初制覇の偉業を成し遂げている。


ステイゴールドは2015年初めに急死したため、唯一の2016年生まれの牝馬・ハルノナゴリが最後の産駒である。そのハルノナゴリは早くに繁殖に上がったため、事実上は2015年生まれが最後の世代であり、直接のステイゴールド産駒は現役から徐々に少なくなりつつある。
しかしそんな中でも父の晩成っぷりを受け継いだ馬たちが活躍を続け、2021年の中山大障害でオジュウチョウサンが勝利を収めたことでJRAでの連続GI勝利数が13年となり、産駒の重賞勝利数も114となり、ヒンドスタンを抜いて単独4位となった。翌年にも最終世代から2022年2月の京都記念(GⅡ)でアフリカンゴールドが7歳で重賞初制覇。これで17年連続の重賞産駒輩出となり、偉大なる父サンデーサイレンスの記録に肩を並べた。
更にオジュウチョウサンが同年の中山グランドジャンプを制したことにより産駒の連続G1勝利数が14年になり、父サンデーサイレンスと並ぶ一位になった。8歳という遅めの年齢で種牡馬入りし21歳と馬の平均寿命より早い段階で亡くなったとは思えない大記録ぶりであり、改めてステイゴールドの凄まじさを体感させられることになった。

主な産駒(GⅠ馬に限る)

マイネルネオス中山グランドジャンプ
エルドラドシンガポールゴールドカップ3回優勝/内2連覇、日本初の内国産父子二代による海外G1制覇)
ナカヤマフェスタ宝塚記念、セントライト記念、東京スポーツ杯2歳ステークス+凱旋門賞2着)
フェノーメノ天皇賞(春)2連覇、青葉賞、セントライト記念、日経賞)
レッドリヴェール阪神ジュベナイルフィリーズ、札幌2歳ステークス)
オジュウチョウサン中山グランドジャンプ6勝/内5連覇、中山大障害3勝/内2連覇 現役)
アドマイヤリードヴィクトリアマイル
レインボーライン天皇賞(春)阪神大賞典、アーリントンカップ)
ウインブライトクイーンエリザベス2世カップ香港カップ
インディチャンプ安田記念マイルチャンピオンシップ

ステマ配合(母父メジロマックイーン
ドリームジャーニー宝塚記念有馬記念朝日杯フューチュリティステークス・大阪杯・神戸新聞杯・朝日チャレンジカップ・小倉記念)
オルフェーヴル牡馬クラシック三冠有馬記念2回、宝塚記念、スプリングステークス、神戸新聞杯、産経大阪杯、フォワ賞2連覇+凱旋門賞2着2回)
ゴールドシップ皐月賞菊花賞有馬記念宝塚記念2連覇、天皇賞(春)、神戸新聞杯、共同通信杯、阪神大賞典3連覇)

その他特殊な産駒(例外的に記載)
エタリオウ2歳未勝利・菊花賞2着・テレビ東京杯青葉賞2着・神戸新聞杯2着・日経賞2着)
別名「最強の1勝馬」。生涯1勝ながら2億近い賞金を稼ぎ、ほぼ功労馬扱いながら種牡馬入りしている。
ステイフーリッシュ(京都新聞杯・レッドシーターフハンデキャップ ドバイゴールドカップ 現役)
サウジアラビアの国際GⅢレッドシーターフハンデキャップとドバイGⅡドバイゴールドカップを勝利。前者は賞金150万ドルとG1並であり、後者は「7歳でドバイGⅡを勝ち重賞連勝」「ゴール直前で一番人気のゴドルフィンの馬を差し切る」などまるでステイゴールドのドバイシーマクラシックの再現のようだった。

競走成績

重賞勝利数はさほど多くないが、他の競走馬には到底真似できない異業とも言える成績を残している。

  • 通算50戦。中央の多出走で有名なイクノディクタスが51戦であり、かなり多いのだが短期間でレースに出まくった向こうに対しこちらは夏季以外およそ月一ペースの出走で長期間現役を続けた結果増えたためか、「出走しまくった馬」として取り上げられることがあまりない。
  • 重賞36戦、GⅠ20戦でGⅠ出走数はJRA史上最高記録だった。GⅠ出走数は後にコスモバルクが更新したが彼はGⅠの1着が1回掲示板入りが8回で2桁順位も多かった。
  • JRA古馬王道3年皆勤し、更にどこかで入着し賞金を稼いでいた。海外遠征がなければ4年皆勤も普通にあり得たが、3年連続の時点で空前絶後、2年連続すらテイエムオペラオー程度で息の長さが途轍もない。その2頭は2歳差なのに12回も対戦している。
  • 重賞未勝利のまま5億5466万稼ぐサウンズオブアースカレンブーケドールは4億半ばである。

1996年

3歳新馬 3着
3歳新馬 16着

1997年

4歳未勝利 競走中止
4歳未勝利 2着
4歳未勝利 2着
4歳未勝利 1着
すいれん賞 1着
やまゆりステークス 4着
阿寒湖特別 1着
京都新聞杯(GⅡ) 4着
菊花賞(GⅠ) 8着
ゴールデンホイップトロフィー 2着

1998年

万葉ステークス 2着
松籟ステークス 2着
ダイヤモンドステークス(GⅢ) 2着
日経賞(GⅡ) 4着
天皇賞(春)(GⅠ) 2着
目黒記念(GⅡ) 3着
宝塚記念(GⅠ) 2着
京都大賞典(GⅡ) 4着
天皇賞(秋)(GⅠ) 2着
ジャパンカップ(GⅠ) 10着
有馬記念(GⅠ) 3着

1999年

京都記念(GⅡ) 7着
日経賞(GⅡ) 3着
天皇賞(春)(GⅠ) 5着
金鯱賞(GⅡ) 3着
鳴尾記念(GⅡ) 3着
宝塚記念(GⅠ) 3着
京都大賞典(GⅡ) 6着
天皇賞(秋) 2着
ジャパンカップ(GⅠ) 6着
有馬記念(GⅠ) 10着

2000年

アメリカジョッキークラブカップ(GⅡ) 2着
京都記念(GⅡ) 3着
日経賞(GⅡ) 2着
天皇賞(春)(GⅠ) 4着
目黒記念(GⅡ) 1着
宝塚記念(GⅠ) 4着
オールカマー(GⅡ) 5着
天皇賞(秋)(GⅠ) 7着
ジャパンカップ(GⅠ) 8着
有馬記念(GⅠ) 7着

2001年

日経新春杯(GⅡ) 1着
ドバイシーマクラシック(GⅡ) 1着
宝塚記念(GⅠ) 4着
京都大賞典(GⅡ) 失格(1着入線)
天皇賞(秋)(GⅠ) 7着
ジャパンカップ(GⅠ) 4着
香港ヴァーズ(GⅠ) 1着

関連イラスト

ステイゴールドで有馬記念
『1』


ステイゴールド
ステイゴールド


黄金の旅路は続く
ステイゴールド


ありがとう
さよなら。


関連タグ

競走馬 競馬 ドリームジャーニー ナカヤマフェスタ オルフェーヴル ゴールドシップ

キンイロリョテイ-ウマ娘プリティーダービーに登場する、同競走馬をモチーフにしたと思われるウマ娘。名前が違うのは大人の事情と言うやつである。

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