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ファンタスティックライト

ふぁんたすてぃっくらいと

アメリカ生まれの元競走馬、世界中を駆け巡って重賞戦線に挑んだ。2001年欧州年度代表馬。
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概要編集


1996年2月13日生まれ。

父は大種牡馬ラーイ、母はJood。通算戦績25戦12勝。


米国で生まれ、イギリスで調教され、馬主はアラブ首長国連邦王族が運営する競走馬管理団体ゴドルフィンという、少しややこしい馬である。

L.デットーリを主戦騎手にアメリカ、ヨーロッパなど世界中を駆け巡って重賞戦線に挑んだ。ブリーダーズカップターフや香港カップなどで活躍。モンジューガリレオジャイアンツコーズウェイ、日本のテイエムオペラオーメイショウドトウといった有名馬と競った。

また主戦騎手・馬主共々、ステイゴールドとは妙な因縁があった。


日本の馬に3回負けているため、日本では低く評価されていたこともあるが、ワールドシリーズ・レーシング・チャンピオンシップにて2年連続でチャンピオンに君臨した名馬である。


戦歴編集

デビューから3歳時編集

1998年にデビューしてから安定した成績を上げていたが、英国のダービートライアルにて他の馬と接触するアクシデントがあり4着に破れる。

これでダービーを断念し、プリンスオブウェールズSなどで古馬相手に善戦して経験を積む。

そして9月のアークトライアルSでは当年の英国ダービー馬ハイライズを下して勝利。


10月には凱旋門賞へ乗り込み、フランスのモンジューや日本のエルコンドルパサーといった強豪たちと対決する。

しかし記録的な重馬場に悩まされ、初めて掲示板を外し11着に惨敗した。


4歳時(2000年)編集

古馬となり、初戦は当時まだGIIIだったドバイシーマクラシックへ出走、レコードを叩き出して見事に圧勝する。

しかしその後はコロネーションカップ2着、エクリプスステークス5着、キングジョージでも2着と勝ちきれないレースが続いた。

秋にはアメリカへ遠征し、初戦のマンノウォーSでGI初勝利を達成するも、その後ターフクラシック招待Sは4着、BCターフも前が詰まったせいで5着と入着止まりだった。

なお、ターフクラシック招待S以降は引退までデットーリ騎手が乗っている。


その次はジャパンカップへ出走すべく日本へ向かう。

しかし当時無双状態だった世紀末覇王テイエムオペラオーと、最強の二番手ことメイショウドトウに敗れ、3着。


ここまでだけでも現在の競馬から見ればかなりのハイペースで、しかもドバイ、英国、アメリカ、日本を渡り歩いてレースに出ていたが、さらに12月には香港へ遠征。

香港カップを見事に快勝してGI2勝目を上げ、この順位点でワールドシリーズ・レーシング・チャンピオンシップの王者に君臨した。

負けたレースは多いにせよ、この年は一度も6着以下にはならなかった。


5歳時(2001年)編集

5歳初戦はGIIへ昇格したドバイシーマクラシック。馬主からすればホームグラウンドであり、連覇を狙った一戦であった。

ファンタスティックライトは最終直線で抜け出してそのまま押し切るかに見えたが、後ろからガリガリに痩せこけた馬が凄まじい勢いで追ってきて、ハナ差で差し切られてしまう

その馬こそ日本の善戦ホースステイゴールドであった。ゴール前のリプレイ映像を見るとステイゴールドに驚きしこたまムチを振るうデットーリ騎手の様子が見られる

ちなみに前年のジャパンカップにて、デットーリ騎手はスローペースを敗因に挙げている(ただし勝ったオペラオーを絶賛してもいる)が、その時のスローペースを作ったのもステイゴールドである


予想外の伏兵に出鼻をくじかれたファンタスティックライトだが、再びヨーロッパへ戻ると本領発揮。

アイルランドのタタソールズGC(GI)、英国のプリンスオブウェールズS(GI)を連勝した。

キングジョージでは当時無敗だったガリレオの2着だったが、雪辱を果たすべく挑んだアイリッシュチャンピオンステークスでは叩き合いを制して勝利(これがガリレオの初敗北)。


10月には引退レースのため再びアメリカへ飛び、前年度敗れたBCターフを見事に勝利。


2年連続でワールドシリーズ・レーシング・チャンピオンシップの王者となり、カルティエ賞年度代表馬、エクリプス賞最優秀芝牡馬を受賞し、大団円で引退した。


余談だがその後、長らく主戦を勤めたデットーリ騎手は同じ馬主のエクラールと共に香港ヴァーズへ出走。

コーナーを抜けて後続を引き離し、圧勝は確実かと思われたが、「背中に羽が生えたかのよう(by武豊)」な勢いで追ってきた馬にアタマ差で差し切られた

またしてもステイゴールドである

デットーリは武豊からステイゴールドがこれで引退だと聞き、「君は寂しいだろうけど私にとっては朗報だ」と答えた。

ステイゴールドが「ゴドルフィンキラー」と呼ばれる所以である。


種牡馬として編集

2002年度から種牡馬入りし、2007年には日本に輸入された。

GI馬を2頭輩出し、他にも重賞勝ち馬をそこそこ出したものの、自身の戦績からすれば今ひとつな結果に終わっており、現状サイアーラインの存続は厳しい。

現在はイギリスで功労馬として余生を送っている。


日本だと母父として重賞馬も何頭かいる。

また、父ラーイの母父がヘイローである為かss系(主にssの孫)との組み合わせでヘイローのインブリードができる。(タイキシャトルの子との配合もあるがシャトルの場合父デヴィルズバッグとラーイの母グローリアスソングが全姉弟なのでデヴィルズバッグ•グローリアスソングと表記される。)


データ編集

性別
血統父:ラーイ/母:Jood/母父:ニジンスキー
生年月日1996年2月13日
主な勝利レースマンノウォーS(米GI)、香港カップ(香港GI)、タタソールズGC(愛GI)、プリンスオブウェールズS(英GI)、BCターフ(米GI)

ウマ娘では編集

「Rivals」CM第3弾「テイエムオペラオー編」でファンタスティックライトと思しき青い勝負服のウマ娘が写っている。(2000年のジャパンカップ。ゴドルフィンの勝負服は青色)


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