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テイエムオペラオー

ていえむおぺらおー

日本中央競馬会(JRA)に所属していた競走馬・種牡馬(1996 - 2018)。主な勝ち鞍は1999年の皐月賞、2000年の天皇賞(春)・宝塚記念・秋古馬三冠(天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念)、2001年の天皇賞(春)。現役時代は古馬以降圧倒的な強さを誇り、特に2000年に年間無敗を達成したことから、漫画『北斗の拳』のラオウに擬えて文字通りの「世紀末覇王」とも呼ばれた他、獲得賞金世界記録を16年間保持した。2000年のJRA賞年度代表馬、JRA顕彰馬(2004年選出)。
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※この記事の馬齢表記には特に断りがない限り、旧表記を用います


誘導編集

  1. 競走馬(99世代
  2. 1をモチーフとしたウマ娘プリティーダービーに登場するウマ娘。→テイエムオペラオー(ウマ娘)

こちらでは1に関して解説をする。2に関してはリンク先のタグを使用する事を推奨。


JRA広告編集

ヒーロー列伝No.48編集

【王者の讃歌。】


衝撃のGⅠデビュー。その後のたちとの熱い勝負。

正攻法で、しかも堂々と戦いあうことで、

風格と成長を身につけてきたテイエムオペラオー。

完璧な勝利を重ね、歴史が認める英雄へ――。

王者を讃える歌が、力強く、声高らかに聴こえてくる。


THE LEGEND編集

2000年、有馬記念

勝ち続けると、全ての馬が敵になる。

その馬は、完全に包囲された。

“道は消えた”筈だった。


テイエムオペラオー。

お前は何故走れたのか。


「年間全勝のレジェンド」


その戦いに、人は夢を見る。

さあ、夢を見よう。


名馬の肖像 2018年宝塚記念編集

【ただ彼だけが】


勝ち続ける。

絶対に負けない。

それがどれほど

困難なことか

ただ彼だけが知る。


重圧に耐え

剣戟を潜り抜け

包囲網を打ち砕いた

その先にある未到の地を

ただ彼だけが知る。


第63回有馬記念 柱巻広告編集

【奇跡を起こした無敗の王者】


ゴール目前、

目の前に立ちふさかるライバルたちの群れ。

そのわずかな隙間を異次元の末脚で抜け出した。

ハナ差で掴み取った年間無敗という奇跡。

この伝説にたどりつく馬は、いまだ現れない。



概要編集

生年月日1996年3月13日
英字表記T.M.Opera O
性別
毛色栗毛
オペラハウス
ワンスウエド
母の父ブラッシンググルーム
競走成績26戦14勝
生涯獲得賞金18億3518万9000円(+特別褒賞金2億円)
没年2018年5月17日(馬齢22)

誕生~デビュー編集

1996年3月、北海道浦河町の杵臼牧場で誕生。

父はキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスなどを制したオペラハウス。母ワンスウエド、母の父がブラッシンググルームという血統だった。

この血統は現在では評価されているが、当時は父オペラハウスの2年目産駒ということでまだ種牡馬成績を残していなかった事、日本であまり活躍しないサドラーズウェルズ系の馬だった事もあり、そこまで注目度は高くなかった。

(※後にメイショウサムソンという名馬も生まれるが、それはまだ先の話)

しかし、牧場を訪れた後のオーナー・竹園正繼氏(耐震補強材メーカー・テイエム技研の創業社長)は「光輝いて見えた」とこの馬を高く評価した。


その後、セリに出された同馬は竹園氏に購入される。

上記の通り当時は全く注目される馬では無かったので誰も競る者がおらず、購入価格はスタート価格の1000万で即落札。

そんな安馬が後に大活躍するのだから、世の中分からない物である。


1998年、竹園氏の幼馴染でもある栗東の岩元市三調教師に託され、入厩。

  • 竹園氏は熱心な競馬ファンだったが、一時期事業に打ち込むため競馬から離れていた。そんな1982年のある日、騎手時代の岩元がバンブーアトラス日本ダービーを勝利し、勝利騎手インタビューを受けていた所をテレビで偶然目撃する。これに非常に驚いた竹園氏は「馬主になって再会しよう」と決意、5年後の1987年に馬主資格を取得したというエピソードがある。それ故に、中央競馬に所属する竹園氏の所有馬は、そのほとんどが岩元厩舎に所属していた。

この時に、冠名の「テイエム」と父の名前の「オペラ」、サラブレッドの王になれという願いを込めて「オー」、つなげて「テイエムオペラオー」と名付けられた。


当時岩元厩舎に所属していた和田竜二を鞍上に迎えたオペラオーがデビューしたのは8月、京都競馬場の3歳新馬戦。

単勝オッズ1.5倍の1番人気だったが、1着のクラシックステージに6馬身差ちぎられて完敗。

その後骨折してしまい、長い休養に入る事となった。

4歳時代編集

復帰したオペラオーはダートの未勝利戦へ向かい、2戦目で5馬身差つけての圧勝。

未勝利を脱し、500万下特別のゆきやなぎ賞も勝利した。


そして、初重賞として彼が挑んだのがGⅢ毎日杯

このレースは皐月賞トライアルではないが、春の4歳重賞戦線の前哨戦として位置付けられており、クラシックを狙う陣営が賞金を加算するために出走してくる。

そしてこのレースで、オペラオーは2着のタガノブライアンに4馬身差つけて圧勝。

「追加登録料」を支払い、皐月賞へと向かった。


「追加登録料」とは「クラシック未登録の競走馬でも追加登録料を払えば出走可能とする」という制度。

かつて実力・人気共に絶大だったオグリキャップがクラシックレース登録をしておらず、クラシックレースに出走できなかったことに批判が噴出。世間の声はJRAの経営判断にも影響を及ぼし、1992年からクラシック未登録の競走馬でも追加登録料を払えば出走可能となった。

この「追加登録料」は200万円と決して安くはないのだが、かつて制度の壁に泣いたオグリキャップ関係者からも「テイエムオペラオーの皐月賞出走」に働きかけがあったと言われている。


皐月賞編集

そして本番、GⅠ「第59回皐月賞」。

クラシック競走だけあり、父サンデーサイレンスベガという良血馬アドマイヤベガ、そのアドマイヤベガに初めて実力で土をつけた父内国産の雄ナリタトップロードサッカーボーイ産駒)など、有力馬が集結した。

オペラオーは、単勝オッズ11.1倍の5番人気とあまり人気ではなかった。


しかしレースでは大外を通って残り1ハロンから鬼の末脚を爆発させ、オースミブライトをクビ差で制し1着。

クラシック1冠目、皐月賞を見事に制し、GⅠホースとなったのだった。

「外からテイエム!外からテイエム~!外からテイエムオペラオ~~ッ!」

(フジテレビ・三宅正治アナ)


テイエムオペラオーは上述の「追加登録」を初めて優勝に結びつけた馬となった。また、「毎日杯を勝った馬は皐月賞に勝てない」というジンクスも破った。


しかし、このあとオペラオーは好レースを続けるものの、勝利から遠ざかってしまう。

クラシック2冠をかけ出走した「日本ダービー」では、焦った早仕掛けがたたりナリタトップロードアドマイヤベガに差され3着。

秋初戦はトライアルではなく古馬混合戦のGⅡ京都大賞典を選択したが、調整ミスのスペシャルウィークをマークしたことが響き、追い込み届かずツルマルツヨシメジロブライトの3着。

そしてクラシック最後の1冠「菊花賞」では2番人気に推されたものの、アドマイヤベガをマークしたことが響いて先行したナリタトップロードを捉えきれず2着。

この結果に竹園氏は激怒、主戦を和田騎手から変えるよう岩元調教師に申し入れるが、和田騎手を一人前の騎手に育てたかった岩元調教師はこれを一貫して反対。最終的に岩元調教師は「どうしても乗り替わるというのなら竹園の馬はもう預かれない。みんな転厩してもらう」と半ば脅迫じみたことを言ってまで説得し、これに竹園氏が折れたことで引き続き和田騎手が主戦を担うこととなった。

  • 一説にはこの際、竹園氏はアドマイヤベガの故障を知って武豊騎手への騎乗依頼を考えていたらしい。

続くGⅡステイヤーズステークスも、ペインテドブラックにクビ差で敗れ2着。

3000m超の超長距離戦を続けて走るという過酷なローテーションを経て挑んだ年末のグランプリ「第44回有馬記念」も3着惜敗。

しかし、このレースではサイレンススズカエルコンドルパサーと並び「3強」と称されたグラスワンダー、未だサンデーサイレンス産駒の最高傑作と名高いスペシャルウィークにタイム差なし(クビ差)でゴールインしており、翌年の大躍進を予感させる結果となった。

古馬時代編集

オペラオーの年明け初戦は、GⅡ京都記念

このレースでは、4歳時に敗れたナリタトップロードをクビ差で制し1着。

更に天皇賞(春)へのステップレース、GⅡ阪神大賞典では2着ラスカルスズカ(菊花賞3着馬)に2馬身半の差をつけて勝利。3着はナリタトップロードで三強決着となり、史上初の「ワイド馬券全通り元返し」という珍事が起きた。


重賞2連勝を飾り、勢いに乗ったオペラオーは古馬の最高峰を決める戦い、GⅠ天皇賞(春)に出走。阪神大賞典と同じく三強対決となったが、オペラオーはマークしたナリタトップロードをきっちり差し、追ってきたラスカルスズカも振り切って見事勝利。


岩元市三調教師にとっては「春の楯を掴む」という騎手時代からの悲願が叶った瞬間だった。

「三強の頂点は俺だ!高らかに歌うは楯の唄、テイエムオペラオーです!」

(関西テレビ・杉本清アナ)


それからはもう、レースに出れば勝つこと勝つ事。

グランプリ宝塚記念では彗星の如く現れた同期メイショウドトウを2着に引き連れ、貫禄の勝利。

「楯の舞台に次いでグランプリの舞台でも、高らかに歌うはオペラオーです!」

(関西テレビ・杉本清アナ)


秋は京都大賞典で始動し、ナリタトップロードを2着に破る貫禄の勝利。

続く天皇賞(秋)は和田竜二騎手が東京競馬場で勝ったことがなく、「一番人気の馬は勝てない」というジンクスもあり、一番人気ではあったが単勝2.4倍と5連勝中の馬にしては低めのオッズになった。

「昭和62年ニッポーテイオー以来13年ぶり、一番人気のVロード!」

(フジテレビ・塩原恒夫アナ)

しかしオペラオーはそんなことは関係ないとばかりに、2着メイショウドトウに自身のGⅠ最大着差となる2馬身半をつけて勝利し、一番人気の連敗記録を12で止めた。

この勝利によって、オペラオーは史上3頭目の天皇賞春秋制覇、史上初の中央4場GⅠ制覇を達成。


続くジャパンカップでは当時欧州最強と謳われた米国産馬ファンタスティックライトが2番人気の単勝8.9倍となる中、オペラオーは単勝1.5倍の圧倒的一番人気に推された。

「強い!本当に強い!まさに敵なし!」

(フジテレビ・三宅正治アナ)

ステイゴールドが作り出したスローペースの中、直線で先頭に立ったメイショウドトウを猛追し、追ってくるファンタスティックライトとの3頭の叩き合いをクビ差で制し、三度目となるメイショウドトウとのワンツーフィニッシュ。ファンタスティックライトの鞍上ランフランコ・デットーリをして「Crazy Strong!」と言わしめた。


オペラオーはこのレースでも一番人気の連敗を14で止め、さらには重賞7連勝というJRA新記録を打ち立て、アメリカのシガーを抜き世界初の獲得賞金12億円馬となり、この時点で世界歴代賞金王となった。


そして、年末のグランプリ「第45回有馬記念」に出走したオペラオー。

当日朝、他馬が暴れている様子に興奮し、壁面に顔を打ち付け鼻血+腫れで片目が塞がるというアクシデントが起こり、レースどころではない状態で出走。

しかもほぼ全ての馬からガチガチにマークされ、進路が完全に塞がれた。しかし、そんな中でも僅かな隙間をこじ開けて鬼脚を炸裂させ、先に抜け出していたメイショウドトウをハナ差交わして見事に1着。

「テイエム!テイエム!テイエムか!テイエムか!僅かにテイエムか~!?」

(フジテレビ・堺正幸アナ)

実況も観客も最後の直線に入るまで悲鳴をだすような絶望的な展開から1着を毟り取り、見事に春秋グランプリ連覇を果たすと同時に、日本の古馬中長距離GⅠ五冠の年間完全制覇を達成した。


人間で言えば大相撲の年六場所完全制覇、テニスの4大大会年間完全制覇くらいの大記録・大偉業である。


加えて、オペラオーは重賞8連勝(JRA新記録)、GⅠレース5連勝ナリタブライアンに並ぶ当時JRAタイ記録)も達成。

また、JRAはクラシック三冠とは別に、この年から「秋古馬三冠」の特別報奨金制度を設けた。

これは「天皇賞(秋)」「ジャパンカップ」「有馬記念」の3つのGⅠを同一年に制した場合に特別報奨金2億円が贈られるという制度である。

創設初年度であるので、オペラオーはこの制度の初達成馬となり、報奨金2億円を獲得した。

それから年間獲得賞金10億円突破という、前代未聞の記録も達成された。

 

そして当然のように彼は満票で年度代表馬に選出された。


こうして、5歳時のオペラオーは文字通りの負け無しで世紀末を駆け抜けた。


そして翌年、オペラオーはGⅡ産経大阪杯に出走。

しかし、この時は和田騎手の落馬骨折や大雪によって調整が遅れてしまった為か、1番人気に推されながら4着に敗れてしまう。

しかし、次走の天皇賞(春)は1番人気に応え、前を行くナリタトップロード(3着)を交わして追いすがるメイショウドトウ(2着)を振り切り、見事に1着。

「世紀は21世紀に変わっても、やはり王座は譲れませんでした!」

(関西テレビ・馬場鉄志アナ)

この勝利で史上2頭目の天皇賞(春)連覇、秋と合わせて史上初の天皇賞3連覇の快挙を達成。さらにGⅠ6連勝というJRA新記録も達成した。


この時点で、オペラオーはかの「皇帝」シンボリルドルフに並ぶGⅠ7勝を記録しており、宝塚記念ではGⅠ最多勝利数の記録更新がかかっていた。


            しかし、競馬界のジンクスは恐ろしかった。


宝塚記念で、オペラオーは対オペラオー5戦連続2着のライバル・メイショウドトウについに敗れて2着。

秋初戦のGⅡ京都大賞典は2着入線だったが、1着のステイゴールドが斜行によって失格となり繰り上げ1着という結果であった。

本番の天皇賞(秋)では先頭に立ってソラ癖が出た所、大外を急襲してきた伏兵のマルチラウンダー・アグネスデジタルに敗れ2着。

さらに、ジャパンカップでも同様にソラ癖が出たところを外から奇襲してきたこの年の日本ダービー馬ジャングルポケットにかわされ、僅差の2着となった。


そして、年末のグランプリ有馬記念へ出走したオペラオー。

GⅠ最多勝利の記録更新を願ってか、単勝オッズ1.8倍の1番人気だった。


ところが、オペラオーはここでなんとこの年の菊花賞馬マンハッタンカフェの5着。

ライバルのメイショウドトウ(4着)にすら届かない、完敗であった。


そして、オペラオーはこのレースをもって引退。2002年1月13日、世紀末を共に駆け抜けた好敵手メイショウドトウとの合同引退セレモニーが京都競馬場で行われた。

(合同引退式は1983年のモンテプリンス&シービークロス、1984年のメジロティターンアンバーシャダイ以来となるが、オペラオー&ドトウの場合は同期の馬同士で執り行われる異例の合同引退式となった)


2000年が圧巻過ぎるが、その競走成績に於いて掲示板を外すことは一度もなく、引退レースの有馬記念の5着が生涯最低の着順。

この成績は賞金にも大いに影響を与え、生涯獲得賞金はなんと18億3518万9000円。購入価格の約183.5倍である。


2004年4月26日、JRA顕彰馬に選出されて殿堂入り。

同年6月27日、阪神競馬場では「JRAゴールデンジュビリーキャンペーン」の一環として、宝塚記念の前座となる準メインレース(1000万下、芝1600m)が「テイエムオペラオーメモリアル」と銘打って開催された(勝ち馬マチカネメニモミヨ)。


競走成績編集

3歳時編集

3歳新馬 2着

4歳時編集

4歳未勝利 4着

4歳未勝利 1着

ゆきやなぎ賞 1着

毎日杯(GⅢ) 1着

皐月賞(GⅠ) 1着

東京優駿(GⅠ) 3着

京都大賞典(GⅡ) 3着

菊花賞(GⅠ) 2着

ステイヤーズステークス(GⅡ) 2着

有馬記念(GⅠ) 3着

5歳時編集

京都記念(GⅡ) 1着

阪神大賞典(GⅡ) 1着

天皇賞(春)(GⅠ) 1着

宝塚記念(GⅠ) 1着

京都大賞典(GⅡ) 1着

天皇賞(秋)(GⅠ) 1着

ジャパンカップ(GⅠ) 1着

有馬記念(GⅠ) 1着

6歳時編集

大阪杯(GⅡ) 4着

天皇賞(春)(GⅠ) 1着

宝塚記念(GⅠ) 2着

京都大賞典(GⅡ) 1着(ステイゴールド失格により2着入線後繰り上げ)

天皇賞(秋)(GⅠ) 2着

ジャパンカップ(GⅠ) 2着

有馬記念(GⅠ) 5着


引退後の馬生編集

社台との交渉がうまく行かずシンジケート交渉がポシャってしまい、オペラオーは竹園氏の個人所有種牡馬として繁殖入り。しかし、繁殖成績は芳しくは無い。重賞勝ち馬は全て障害馬であり、中央の平地重賞を勝利した馬は1頭たりとも存在しておらず、GⅠ馬に至っては障害競走ですら出ていない。

元々日本では成績が上がらない血統のサドラーズウェルズ系な事もあり、残念ながら種牡馬としては結果を出すことが出来なかった。


2010年に門別種馬場閉鎖に伴いテイエム牧場日高支場へ、更に半年弱でレックススタッドへ、1年ちょっとで今度は白馬牧場へと居場所を転々とした末、最終的に所在地非公開で種牡馬活動を続行。

2018年5月17日、2頭への種付けを終えた矢先に心臓麻痺で急死した。22歳没。


評価と人気編集

牡馬では歴代1位タイのGⅠ7勝、通算獲得賞金は当時歴代1位を記録し、同時に当時の世界競馬史上1位の獲得賞金額であり、間違いなく日本競馬史上トップクラスの実績を残しており、当時の競馬関係者や騎手からもその強さに関しては認められていたが、当時のファンの人気という点では現役当時はあまり評価されていなかった。


オペラオーはディープインパクトサイレンススズカのような派手な勝ち方はあまりなく、良く言えば手堅い、悪く言えば地味な勝ち方が多い馬であった。この点は強いことは強いがレース展開がつまらないと言われたシンボリルドルフやメジロマックイーンと似ている。他にも一つ上で黄金世代と呼ばれた98世代の存在、同期のアドマイヤベガやナリタトップロードが血統面で注目を集めていた点、1996年を境に競馬の売り上げが減少に転じたように競馬人気自体が下火になりつつあるなど、そういった背景から成績の割にオペラオーはあまり評価されていなかった。実際、2000年と2001年の春秋グランプリのファン投票において1位ではあったものの、前年より獲得票数を減らしたように、数字の面でも下火になっていることが表れていた。


ただ、時が経つにつれ、日本の古馬中長距離GⅠ五冠の年間完全制覇を達成したことの意味や全レース掲示板内での完走の成績が再評価されるようになった。

というのも、オペラオーの成績を見直すとコース(右周り・左周り・競馬場のコース形状)・馬場状態(良~重)・距離(根幹・非根幹も含む2000~3200)を問わず、勝利もしくは連対を引退までに最低1回は記録。そもそも、レース条件によって成績が左右されることは当たり前で、この条件の時だと好成績を記録するという競走馬は珍しくなく、現にナリタトップロードはGIに関してはコースと馬場状況に苦戦を強いられ、GI2勝目を挙げることができなかった。


しかも、クラシック三冠を全て出走するローテを取る馬すら少なくなっているうえ、着順や年跨ぎも気にせず、春秋の天皇賞・2大グランプリ・ジャパンカップ全てに出走した経歴のある競走馬を数えたとしても、ごく少数しか該当しない。この背景はクラシックだと、成績を気にせずクラシック三冠へ出走するという伝統や名誉を重んじるより、得意そうな距離で勝ちを狙うという実利が増え始めたからである。また、クラシックでも皐月賞出走を目指す馬は多いものの、その前哨戦の段階でその距離でも対応できないと考えた場合、そのままNHKマイルカップも含むマイル路線といった距離短縮へ進むことも珍しくない。また、日本ダービーは理由もなく出走を回避するケースは少ないが、ダービーより長い距離の菊花賞は距離適性の観点から嫌厭ないし断念することが増えたからである。

古馬だと、上半期で言えば、2017年からの大阪杯を含めない春の古馬中長距離GⅠにあたる2つのレース(天皇賞春と宝塚記念)を両方出走するケースは珍しくないが、下半期のいわゆる秋古馬三冠のローテは過酷になりやすいため、その三冠のどれに出るか選択して出走することが多い。また、秋の海外戦のほうが賞金額で日本を上回るようになった結果、国内に関しては三冠対象レースを出走せず、GⅡなどの前哨戦的なレースを経て海外へ向かい出走し、シーズン終了というケースも珍しくない。


実際、秋古馬三冠の達成という点ではオペラオー以降だとゼンノロブロイのみ。同一年度ではないがその三冠の対象レースを勝利しているというくくりに広げた場合でも、キタサンブラックとイクイノックスのみ。そのうち、イクイノックスは出走した4歳時に出走したGIを全勝かつキャリアとしては全戦連対という記録となったが、4歳で引退したため、前提が異なる。さらに言えば、古馬5冠を年間で全て連対した馬でさえオペラオー以降1頭も記録出来ていないのである。年間グランドスラムどころか、生涯グランドスラム(古馬5冠を年に関係なく全て勝つ事)を達成した馬でさえ誰もいない。グランドスラムを全連対した馬で見てもゼンノロブロイとキタサンブラックは対象レースの出走経験はあったものの、2頭とも宝塚記念だけ連対以上の成績を記録できず、オペラオー以前の世代となるタマモクロスとスペシャルウィークの2頭しか達成できていない記録となっている。


しかも、見落とされがちなのが、出走するレースを絞ることが多い影響や年間の重賞のレース数が年度によって違う点があることを考慮しても、中央重賞計12勝という記録は、前提条件が違うものの、スピードシンボリ・オグリキャップ・オジュウチョウサン・オペラオーの4頭以外到達ないし更新できていない。それでも、年間でGIを5戦出走したことのある馬は探せばいるのだが、5戦出走して4勝もしくは4戦4勝にとどまっており、年間GⅠ5勝を達成する馬は表れていない。そのうち、年間GⅠ4勝を達成できたのはシンボリルドルフ・ナリタブライアン・ディープインパクト・オルフェーヴル・ジェンティルドンナ・キタサンブラック・アーモンドアイ・イクイノックスのたった8頭しかいない。その点から見ても、その過酷なローテーションをこなして結果を出し続けたことも再評価の一因とされている。


通算獲得賞金のランキングでも、2017年に世界競馬史上ではアロゲートが更新。国内でも2017年にキタサンブラックが18億7,634万3,000円で記録を更新し、ランキング1位の座は譲っているが、逆に言えば、年々レースの賞金額が上がっている(今の賞金額で計算すればオペラオーの獲得賞金は25億~30億円に近いとも推測される)にもかかわらず、2016年までランキング1位をキープしていたことになる。キタサンブラックに破られた2017年以降は順位が下がり始め、2024年4月現在はウシュバテソーロ(22億1,567万8,200円)、イクイノックス(22億1,544万6,100円)、アーモンドアイ(19億1,526万3,900円)、キタサンブラック、パンサラッサ(18億4,466万3,200円)に次ぐ第6位にまで下がったものの、その時点でトップ10圏内が2010年代生まれの馬で占領される中、1990年代(99世代)生まれでありながら、ランキングに踏みとどまっているのも驚異的である。


そのため、生涯獲得賞金額では年々レースの賞金額が上がっているため更新する馬も出てきたが、オペラオーは国内のレースだけでこの金額を記録したのに対し、ウシュバテソーロ、イクイノックス、アーモンドアイ、パンサラッサは海外GⅠの賞金も含まれているため、国内のレースの金額だけというくくりをつけた場合、その4頭を上回れる可能性があり、その条件で見る場合、当面の間、上位にいられる見込みである。また、通算獲得賞金についてはレースの本賞金のみらしく、オペラオーの場合、秋古馬三冠の報奨金を加算するとそれに伴い金額が変わるため、そういった内容も含む総額で見た場合、順位が変動する可能性がある。また、年間獲得賞金額では解釈にもよるが、日本馬でオペラオーを完全に超えた馬はいない(2000年の1年間にオペラオーが獲得した賞金額は10億1,800万円、ボーナスを入れれば14億円以上。その額面だけ見れば超えた馬もいるが、今の賞金額に換算し直すと年間で18億円以上となる見込みなため、その条件の場合では超えていないからである)。



余談編集

オペラオーの意外な欠点(?)編集

JRAの「競走馬総合研究所」が調べたところ、オペラオーは普通のサラブレッドよりもデカくて強い、レースに適した心臓を持っていたという。精神面も強く真面目で、ことレースとなると集中力が高まり、どういう展開でも状況に適応できる器用さも合わせ持っていた。

しかしただ一点。海外遠征の話が出た時、岩元調教師が「この馬は飼い食いが悪いのが心配で…」と心配するくらい、牡馬にしては珍しく食が細かった

この事に頭を悩ませた岩元調教師は競走馬用のサプリメント「サラLG」を食事に混ぜることでオペラオーの飼い食いの悪さを凌いでいたという。

当時は競走馬用のサプリメントは数が少なく、現在25年以上の歴史を持ち馬業界に浸透している本商品はオペラオーが2歳の時点で試験段階から2年経過しやっと形になったものであった。そういった経緯があり「サラLG」を一番最初に食べた競走馬がオペラオーであると公式サイトで紹介されている。



世紀末覇王編集

彼は『北斗の拳』のラオウから捩って「世紀末覇王」と呼ばれる事もある。

活躍した時期が丁度文字通りの世紀末だったため、圧倒的な強さと相まってそのような呼び名がついたのだろう。

ところで、彼の名前をよく見ると「テイエムオペラオー」だが・・・確かに世紀末覇王っぽい。


黄金の旅路と共に編集

京都大賞典くらいしか目立った競り合いはないが、ステイゴールドとは12回にもわたり対戦。何気にメイショウドトウ(9戦)よりも対戦回数が多い。

ファンタスティックライトと対戦した2000年ジャパンカップでは何故か逃げを打ったステイゴールドによりかなりスローなレースとなり、オペラオー勝利の遠因となった(鞍上のランフランコ・デットーリが敗因にスローペースを挙げている)。デットーリとステイゴールドとの因縁はある意味ここから始まったかもしれない。

余談だがデットーリはオペラオーのことを「クレイジーストロング」と評しており、翌年のジャパンカップ(ファンタスティックライトは招待を辞退)の際は「サキーガリレオでもなければ去年の2頭(オペラオーとドトウ)には敵わない」とまで言っている。またステイゴールドがドバイへ遠征した際、ステイゴールドの戦歴を見た海外の関係者は「このテイエムオペラオーって何者だよ?」とツッコミを入れたという。


オペラオーの涙編集

引退レースの有馬記念を5着で走り終えた後のこと。原口政也厩務員が戻ってきたオペラオーを労い、人参を差し出したが、オペラオーは何故か食べようとしない。いつもは喜んでかぶりつくのに…と顔を見ると、オペラオーの瞳からは涙が溢れていたという。その光景を見ていたスポーツニッポンの鈴木正記者は「悔しかったんだろう。あと、これが最後とわかっていたんじゃないか」と語っている。

(動画の8:19より当時のエピソードを語る鈴木正記者)


オペラオーと唯一無二のパートナー・和田竜二編集

競馬の世界では優秀な馬には優秀な騎手が乗るのが当然なので、馬が好成績を出すと大レース前に騎手が変わったりするような事も珍しくないのだが、テイエムオペラオーは新馬戦から引退まで、まだ当時デビューして3年目の若手騎手・和田竜二が手綱を握り続けた(全戦騎乗)。

これ程の成績を残した馬が成績上位でもない騎手を乗せ続けると言うのは滅多にないことで、和田騎手は「オペラオーにはたくさんの物を貰ったが、あの馬には何も返せなかった。これからは一流の騎手になって、オペラオーに認められるようになりたい。」との言葉を残し、名コンビとして知られていた。

しかし上記のように2018年、テイエムオペラオーが急死する。中央競馬G1で勝ちきれない年が続く中での訃報であったが、なんと同年の第59回宝塚記念をミッキーロケットで制覇、実にオペラオー以来17年ぶりの中央G1制覇だった。

また、ミッキーロケットの枠番は2枠4番。第42回宝塚記念のテイエムオペラオーの枠番も2枠4番であった。

さらに、ミッキーロケットのタイムは2:11.6。第42回宝塚記念の勝ち馬であるメイショウドトウのタイムは2:11.7。かつてのライバルに0.1秒の差をつけゴールインした。

勝利騎手インタビューで、和田は「オペラオーが背中を押してくれた」と語り、7番人気で有りながら大歓声で祝福された。

2018年 第59回宝塚記念


関連タグ編集

競馬 競走馬 和田竜二 秋古馬三冠

テイエムオーシャン(2世代下の牝馬二冠馬


オペラオーとともに三強と呼ばれた同期(99世代

メイショウドトウ ナリタトップロード

アドマイヤベガ ラスカルスズカ


和田竜二のGⅠ級お手馬達

ワンダーアキュート ミッキーロケット ミツバ(競走馬)


天皇賞ジャパンカップ連覇

スペシャルウィーク ゼンノロブロイ(史上2頭目の秋古馬三冠)

アーモンドアイ

イクイノックス


天皇賞(春)連覇

メジロマックイーン フェノーメノ

キタサンブラック(オペラオーに次ぐ2頭目の天皇賞3勝馬)


グランプリ春秋連覇

リユウフオーレル シンザン スピードシンボリ

イナリワン メジロパーマー グラスワンダー

ディープインパクト ドリームジャーニー

リスグラシュー クロノジェネシス

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