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岩元市三

いわもといちぞう

JRAに所属していた元調教師、元騎手。テイエムオペラオーを管理した。
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概要編集

JRAに所属していた元調教師、元騎手

騎手時代はラフオンテースバンブーアトラスなどの主戦、調教師時代はテイエムオペラオーなどを管理した。

テイエム技研会長竹園正繼とは幼馴染だった。


来歴編集

1947年

10月30日、鹿児島県垂水町(現在は垂水市)に誕生。


1959年

父が亡くなり母子家庭となる。


1963年

中学校を卒業し集団就職大阪市北区天神橋筋六丁目天六)の花屋の店員となる。岩元は非常に背が低く、それを活かせる職業はないかと考えていたが、園田競馬場へ行った際、騎手が良いのではないかと気づいた。


1965年

阪神競馬場布施正厩舎を訪ね、下乗り騎手として布施に師事する。


1969年

栗東トレーニングセンター開設にともない布施正厩舎も栗東へ移転。


1974年

27歳で騎手デビュー。馬事公苑22期生(加藤和宏根本康広佐々木晶三池添兼雄木藤隆行小西一男など)と同年のデビューとなる。1年目は10勝を挙げた。


1977年

2月6日、キングラナークに騎乗して中日新聞杯を勝ち、重賞初勝利。


1979年

ラフオンテースの主戦となり年間無敗(5連勝)。


1982年

バンブーアトラスに騎乗して東京優駿を勝ち、八大競走初勝利。テレビを見ていた竹園正繼は岩元が騎手になっている事に驚き、「馬主になって岩元に再会しよう」と決心。


1987年

竹園が馬主資格を取得。冠名は「テイエム」。


1989年

2月、調教師免許を取得し現役を引退。騎手成績は通算4917戦578勝。

11月、死去した夏村辰男調教師の厩舎を引き継ぐ形で栗東トレーニングセンターに厩舎を開業。


1990年

1月15日、京都競馬場第2競走のミヤジペガサスで調教師として初勝利を挙げた。

9月2日、小倉3歳ステークスを竹園が馬主のテイエムリズムで勝ち、調教師として重賞初勝利を挙げた。


1996年

和田竜二が入門し厩舎の所属騎手となる。


1997年

2月28、布施正師が調教師を引退。


1998年

テイエムオペラオーが入厩し、和田を主戦に抜擢。


1999年

4月18日、テイエムオペラオーが皐月賞GⅠ)を勝つ。


2000年

テイエムオペラオーが年間無敗(8戦全勝)、GⅠ5勝。


2018年

2月28日、定年の為、調教師を引退。JRA通算497勝。


関連タグ編集

騎手 調教師 JRA

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