概要
愛称は「クニ(さん)」・「タケクニ(さん)」。
騎手時代は「ターフの魔術師」と呼ばれた名手であった。
騎手としての通算戦績は7679戦1163勝。
調教師としての通算戦績は4193戦375勝。
4名の男子があり、三男の豊は1980年代末に騎手となり30年以上にわたり活躍中。四男の幸四郎も1990年代に騎手、後に調教師になっている。
データ
経歴
実家は函館市郊外で大牧場を営んでいたが、第二次世界大戦後、GHQの農地解放令により接収されている。
中学2年生の時に京都競馬場で厩舎を開いていた叔父・武平三の厩舎で騎手見習いとなる。しかし騎手試験には何度も落ち、高校卒業後の19歳にようやく合格。珍しい高卒ジョッキーとなった。
1957年、武平三厩舎所属で騎手デビュー。
1967年、戸山為夫厩舎(京都競馬場)に移籍。
1970年、武田作十郎厩舎(栗東トレーニングセンター)に移籍。1960~1970年代にかけて関西の騎手として活躍。繊細な手綱さばきと理にかなった確実な騎乗から「ターフの魔術師」「絹糸一本で馬を御せる」と称されたが、全盛期が10歳下の「天才」福永洋一の登場と重なったため、一度もリーディング・ジョッキーにはなれなかった。
関西騎手ながら当時としては珍しく関東馬も多く騎乗し、今の特定の厩舎に所属しないフリーランス騎手の先駆けとなった(実際にフリーランスとなったのは1984年)。
1984年、調教師免許を取得して騎手を引退。通算勝利数1163は引退当時関西所属騎手で史上最多記録だった。また、これほどの名手だった邦彦も旧八大競走では優駿牝馬と天皇賞はついに勝てなかった。
1987年、栗東トレーニングセンターで厩舎を開業。バンブーメモリーやメジロベイリーなどを管理した。
2009年、定年により引退する。調教師引退後は競馬評論家として活躍した。
2016年8月12日、病気のため滋賀県栗東市内の病院で死去。77歳。葬儀では"メイショウ"の冠名で知られる松本好雄氏が友人代表として弔辞を述べた。
人物
- 非常にスマートかつ都会的なイメージを持ち、騎手としては群を抜く172cmという長身や端正な顔立ちから、当時としては珍しく女性ファンが多かった。記者とも談笑し、休日には家族サービスに努めるなどといった邦彦の姿は、当時の騎手像であった勝負師然としたイメージに当てはまらないもので、競馬への造詣も深かったことで知られる寺山修司(歌人・劇作家)に「サラリーマン時代のアイドル」とも称された。
- ちなみに邦彦の長身ぶりは息子の豊(170cm)や幸四郎(177cm)にも受け継がれている。
- 長身故に減量に大変苦労したが、落馬事故の療養中に温泉療法に真面目に取り組んで以降は脂肪が落ちて減量に苦労しなくなったという。
- 酒豪としても有名。騎手時代は食べる代わりにビールで満腹感を得ていたなど酒にまつわるエピソードは多く、落馬事故で重傷を負って入院していた際もストローでビールを飲んでいたり、関東遠征から帰る新幹線の車中において、車内販売で売りに来たウイスキーのミニボトルをすべて飲んでしまったこともあった。
- 息子豊の事は滅多に褒めなかったが息子のいない所では褒めており、息子が勝つと自作の息子のテレホンカードを他者に渡してたり、息子の騎乗馬を担当している調教師へ必ず挨拶に赴いたりしていた。
- 実際、豊が初めて天皇賞(春)をイナリワンで制したときはインタビューにおいて「上手く乗ったけど、レコードで勝てる馬なら私が乗っても勝てますよ」と発言するほか、交友ある杉本清アナウンサーによれば、豊が女性に人気があった当時「俺だって今の時代なら豊よりモテるわ」とこぼしたことも。他にも定年後に出演した武豊のビデオマガジン「ターフのヒーロー」での豊との対談では「一緒に乗ってたら、(豊を)ずいぶんと負かしてやったわ」と豪語したほどである。
- 邦彦が父親らしい一面を見せた代表的なエピソードとして、豊が鞍上を務めたオグリキャップの最後の有馬記念が挙げられる。騎乗依頼が豊に舞い込んだときは邦彦が管理するオースミシャダイと重なっていたが、邦彦は「そりゃあお前、オグリに乗れ」と迷っている豊の背中を押した。結果的に豊はオグリを選ぶことにしたものの、それ以降も精神的不調に陥っていたオグリの調教に関する豊からの相談にも度々応じ、瀬戸口勉調教師との協議の上でオグリの併せ馬にオースミシャダイを使わせるなど、豊の有馬記念勝利を影で支えた。
- また、デビューから引退まで一貫して豊が騎乗していたマーベラスサンデーについても、豊を主戦に据えることを管理調教師の大沢真に推薦した。
- 得意料理は「すっぽん鍋」で、自分が勝った時によく厩舎で振る舞っていたという。NHK「きょうの料理」に出演(1985年8月31日放送の"男の料理 「武邦彦のすっぽん料理」”)して腕前を披露したこともある。とても美味だったがレシピは大雑把で全てが目分量だった為、誰も再現できない幻の味になっていたとか。鍋を食べた後の〆の雑炊もこれまた絶品だったそう。
- 後年、武豊が出演したNHK「グッ!とスポーツ 冬のスペシャル」(2017年12月19日放送)で、豊の妻・佐野量子が「お義父さんのすっぽん鍋をもう一度食べさせてあげたい」とリクエストし、料理芸人・クック井上。(ツインクル)が「きょうの料理」の映像を元に再現。試食した武豊は「あっ、そうですね、これですね!美味しい!うん、この味です!」と感激し、長い時を経てレシピ化に成功した。
- 前述の通り酒豪の邦彦だけに、鍋には日本酒がふんだんに使われており、武豊は「子どもの時、これ食べたらちょっと酔っ払ってたんですよ。兄弟揃ってご機嫌だった」と振り返っている。
他の騎手・調教師との関係
- 武田作十郎:騎手時代晩年に所属していた武田厩舎の弟弟子に河内洋がおり、彼は邦彦から影響され騎手として大成し、のち調教師となった。息子である豊もまた武田厩舎の弟弟子であり、河内から影響を受けて騎手として大成した。
- 河内洋:武田作十郎厩舎の弟弟子。邦彦が調教師として手掛けた代表馬の一頭バンブーメモリーは何度か河内が騎乗していた。
- 福永洋一・祐一:福永洋一は騎手時代にリーディングを競い合った仲であり、10歳の年齢差があったにもかかわらず親友同士で、洋一が落馬事故で無念の引退を余儀なくされた後も交流は続いた。洋一の息子である祐一は父の代からの縁で豊・幸四郎兄弟とは旧知の仲だが父子二代に渡るライバルとなり、祐一のキャリア後半においては調教師に転向した幸四郎が管理している馬にも騎乗していた。
- 横山富雄・典弘:邦彦が調教師になって富雄の息子・典弘がデビューした後は典弘を管理馬14頭に乗せており、メジロベイリーが勝利した朝日杯も典弘の騎乗だった。典弘は「(邦彦は調教師になってからも)ジョッキー気質だった」と語っている。
関連タグ
奈瀬英人:漫画ウマ娘シンデレラグレイに登場する邦彦氏をモデルにしたキャラクター