評論家
ひょうろんか
ある特定のジャンルで評価を見極め、意見を述べるおしごと。
政治評論家、経済評論家、スポーツ評論家、音楽評論家、アニメ評論家など、ありとあらゆるジャンルに存在しうる。どこからがプロでどこからがアマか、という明確な基準がないため、評論で飯を食えばその時点で評論家と認知されうる。
意見を述べるだけなんてお気楽な仕事と思われるかもしれないが、
- 膨大な作品や資料を当たらなければならない
- 勉強のために見たくない作品も見なければいけない
- 新しい知識を常に取り入れなければならない
- 批判した作品・人物のファンから恨みを買う
- 少しでも的外れなことを言うと信用を失墜する
- 評論家同士でのいさかい
など、わりと修羅の道である。
ある程度の知識があるマニアやオタクも小さな評論家と捉えることができるが、素人の評論家気取りは嫌われる素である。少なくとも感想と評論の違いを理解しないといけない。SF評論家でもある岡田斗司夫曰く、日本語化されていない作品も目に通さないといけない程の苦行だったそうである。
上から目線で意見を述べるだけの存在を、揶揄して評論家と呼ぶこともある。
嫌なら見るなと言われかねないし、職業評論家なら信用を失墜する。
評論家は評論だけではなく、知識人として解説する事もしばしばある。スポーツの世界では実況放送においては元選手によって試合中の選手の攻め方や動きを読み取りプロの観点でどう試合の運びになっていくかの予想を語ったり、決め手となった戦法をわかりやすく解説したりする。その性質上結果論とは常に隣り合わせの世界であり、特にNPBでペナントレース開幕前に行われる順位予想は、外れた場合「評論家の言うことはアテにならない」「試合をろくに見ていない」と言われがちである(「シーズン終了後に評論家自ら振り返りをするべきだ」という意見も)。もっとも、テレビ局や新聞社、出版社等のメディアと仕事の契約を交わすためにあえて偏った評論をするというケースも存在する。
映画評論家では現在でも第一人者と語り継がれる淀川長治氏の作品解説であろう。ただあらすじを語るのではなく、作品製作における監督・演者のエピソードや背景を交えて映画作品に親しみを持ってもらうような啓蒙を行っている。