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略歴編集

1962年8月19日生まれ。静岡県浜松市出身。本名は矢野守啓(やの・もりひろ)。コラムニストとしての著書に「イカす!おたく天国」や「処刑宣告」など。


サブカル・オタク系のライター・コラムニストとして活動。

攻撃的な言動で敵の多かった文化人であり、小林よしのりとのSPA!誌上での公開論戦はよく知られている。

「処刑」「復讐」と称した論戦相手への殺害予告個人情報の暴露、田中康夫の自宅前で騒ぐなどの嫌がらせストーカー行為などの犯罪を働いて警察に被害届を出されることも度々だった(最終的に逮捕に至ったのは当て逃げ容疑での1件のみ)。


また2007年には渋谷区の区長選挙に出馬し、「『渋谷系』と言われた時代は何だったのでしょうか」、「渋谷を萌える街にしたい」などと訴えたが、最下位で落選している。


2020年12月、同年8月11日に小脳出血のため、東京都府中市内の病院で死去していたと実の弟から発表された。58回目の誕生日をほぼ1週間後に控えての悲劇であった。

なお、死の報告にあたって、亡くなる10年ほど前から内縁の妻がいたことが明らかになっており、弟によればこの内縁の妻が大変に嘆き悲しんでいたため、せめた宅と付き合いの深かった人には…と伝えることにしたという。

また、晩年の活動については詳しく把握していないものの、本人の様子からおそらく「宅八郎」の名前を出さない形でライター活動をしていたのではないかと語っている。


おたく評論家として編集

1990年代に「おたく評論家」を自称して様々なメディアに登場。長髪眼鏡姿と片手に森高千里フィギュアマジックハンドを持ったスタイルで異彩を放った。

当時まだ知名度が低く、偏見の目で見られる機会が多かった「おたく(オタク)」と呼ばれる人々が世間に浸透するきっかけとなった、と言えば聞こえはいいが、実際には「おたく」という存在のステレオタイプを余計に悪い印象で植え付けた上に、宅もまたおたくを笑い物にした張本人だったりする。

そもそも、風貌もよく見ると一体何のおたくなのかさっぱりわからない奇抜なものであるが、これは「おたくを戯画化したもの」であったらしく、何のおたくなのかは最初から決められていない。


宅本人はかつて自身のブログにて東レの元研究員だと自称しており、実際に服飾・繊維関係の知識を持ち、ブランド物にも詳しかった。メディアに登場する際にはわざわざ「ダサい」服装に着替えていたと語っており、普段からあの服装だったわけではない。

DJとして活動するなど音楽への造詣は深かったが、特にアイドル好きということも無かったと周囲から語られている。

先述の実弟は「おたくとは一体何なんだ?という時代に『演じて見せていた』のだと思う」と語っている。一方「興味を持ったものはとことん調べ、実践する人」「高校生の頃8ミリで特撮映画を撮っていた」ともしており、おたく「気質」なところは昔からあったと見られる。


なお、当然ながら宅の活動や言動から反感を持つおたく当事者も少なくなく、宅の没後においても当時を知る者達の一部からは恨まれている。


関連タグ編集

おたく/オタク 評論家 コラムニスト 紙袋

たこ八郎…芸名(ペンネーム)の元ネタとされる(かもしれない)人物

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