概要
社会や人物のあり方を批判的・嘲笑的に言い表すこと(『大辞林 第三版』より)。
例えば日本においては、芥川竜之介の『河童』が「風刺小説」、または「寓意的物語」とされている。(『大辞林 第三版』『世界大百科事典 第2版』より)
人間の愚かさや誤りを痛烈に指摘して正す一手段で,主として言葉を用いるが,絵画,音楽,舞踏やジェスチャーなどによる場合もある。単なる非難,批判と違って,直接的ではなく間接的に,皮肉やユーモアの衣をかぶせて目的をより効果的に達することが多い。英語,フランス語ではsatire,その語源はラテン語のsatira(satura)であるが,これがどのような起源から生まれたものであるかについてはまだ定説がない。かつてはギリシア神話の中に出てくるサテュロス(好色でいたずら好きな半人半獣の森の神)が起源であると考えられた。(『世界大百科事典 第2版』)
アレゴリーはまた,近代において,社会的・政治的風刺の方法としても用いられた。ドライデンの《アブサロムとアキトフェル》(1681),スウィフトの《桶物語》(1704),S.バトラーの《エレホン》(1872),G.オーウェルの《動物農場》(1945)などはその優れた例である。(『世界大百科事典』)
Pixivで扱われた風刺作品
イラストの投稿数では、映画『時計じかけのオレンジ』は比較的多い。
また『博士の異常な愛情』、『猿の惑星』、『ピノッキオの冒険』、『吾輩は猫である』など他多数。
風刺イラストを描くにあたって
単に攻撃対象となる人物を(悪意たっぷリに)醜く描いて攻撃するだけのイラストは、厳密には風刺とは言えない。
上述の通り、単純に批判するだけのものではなく、ユーモアを交えて遠回しな皮肉をするのが風刺というものである。
ただし、その定義は単純なイラストの出来栄えよりも風刺する内容、あるいは攻撃対象だけを重要視する人間が見る側にも描く側にも目立つにつれて大きく揺らいでいるのが現状。「風刺画」と名ばかりで攻撃的や煽動的な内容のイラストや、イラスト以上に騒動に対する文句が長々と記載されたものが投稿されがちなことは、近年における「風刺」の定義の曖昧さを物語っているとも言える。
少なくとも、批判する対象をただ攻撃するだけのイラストは風刺ではない、下手をすれば批判を通り越した中傷になりかねないものである。また、そもそもそういった政治的なイラストを投稿することによって、ファンや仲間からの信頼を失う事にも繋がる可能性があるなど、イラストレーターにとっては投稿すること自体が綱渡りに近しい行為でもある。
仮に、本来の意味でユーモアを交えた風刺イラストを描くにしても、発想力や表現力はもちろんのこと、題材にするネタに対する深い知識と教養、客観的な観察眼や洞察力などの高度なセンスを他ジャンル以上に問われるため、素人に安易にお勧めできるものではない。
もしも不安に思う部分があるのならば、やらないに越したことはないだろう。