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概要

第一次世界大戦の戦争特需による成金を描いた風刺漫画。和田邦坊作。

高級料亭で、の暗さにを探しあぐねているお女中に対し、成金と思しき老紳士が百円札に火をつけて明りとする、そんな様子を描いたものである。
台詞の原文は、旧仮名遣で「どうだ明くなつたろう」と表記されている。

現代の日本史教科書に載った事で一部でつとに知られるようになった。最近ではAAやネタ系イラストのモチーフとしてもコアな人気がある。

ちなみに令和の世になってフィギュア化した>https://news.ksb.co.jp/article/14713928]。

モデルと描いた人

この漫画に登場する成金のモデルは、船成金の山本唯三郎であるとされる。山本は、函館の料亭で散財した帰りに、百円札の束を燃やして靴を探したという。
燃やしてる百円は、現在の価値に換算して百万円である。

一方、この風刺画を描いた和田邦坊は、もともとは東京日日新聞(現在の毎日新聞)の社員だった人物で、同時期に朝日新聞に所属した岡本一平(岡本太郎の父)と並び称される風刺漫画家であった。
のちにはユーモア小説『うちの女房にゃ髭がある』を上梓し日活によって映画化されている。

そして、この風刺画のなによりも皮肉と言われているのは、モデルとなった山本と、描いた和田の出身地である。

描かれた山本唯三郎の出身地は岡山県(現在の岡山市北区建部)であり、描いた和田邦坊の出身地は香川県仲多度郡琴平町。この両地は言わずもがな瀬戸大橋で繋がった隣県。古くは金毘羅街道(金毘羅往来・金毘羅渡船)で参詣路が繋がり宇高連絡船でも交流のあった共栄関係で、現在でもいわゆる経済圏の共有地域となっている。(あとテレビ民放局も共通の準広域放送圏)

そんな両地域出身の二名が関わった、この風刺画は、図らずも両県の県民性をよく表していると言われる事も無い事も無い。

ちなみに、描かれた山本は1920年戦後恐慌(大正大恐慌)の荒波を受けて瞬く間に没落し、1927年に吉祥寺のあばら屋にて急性の胃痙攣を起こして孤独死した。現在では山本が岡山県出身である事など、他ならぬ岡山県民でもよほどのマニアでない限りは知る事は無い。

一方、描いた和田は1938年に東京日日新聞を辞し、郷里香川県にUターン。東京時代の見識を武器に画家デザイナーとして大活躍した。琴平町の土産菓子である「灸まん」や、高松市の土産菓子である「名物かまど」のパッケージやロゴデザインを担当したのは和田であり、のち「灸まん」は和田の画業を顕彰する美術館である「灸まん美術館」を設立させている。また水曜どうでしょう四国八十八ヶ所において大泉洋が必ず行きたがったうどん屋の一軒である「うどん本陣 山田屋」のコンセプトデザインを手掛けたのも和田である。
和田が香川県で手掛けたデザイニングは、あえて「泥臭い」ないしは「田舎臭い」荒々しいテイストにあふれているものが多いが、これは「洗練されたデザインは東京や大阪などで飽きるほど生み出されているのだから、そんなありきたりなつまらんものにわざわざ付き合う必要はない」「それよりも自らが育ってきた『田舎の文化』に立脚したデザインをしたい」という和田の美学によるものである。
和田が香川県内で生み出したデザインおよびその思想は、現在も同県内で活かされており、彼は死後30年を超えた現在でも讃岐デザイン界の巨人、地域の偉人として崇敬されている。

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天宮えれなの使い方。
成金の財布がマジックテープ式だった
どうだッ!明るくなったろうッ!
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