概要
中国・四国地方で広島市に次ぐ二番目の都市であり、政令指定都市に指定されている。
人口71.4万人(2014年10月)。
交通の中心であり、山陽新幹線『のぞみ』が必ず停車する都市の1つ。また、北側に山陰地方、さらには南側には瀬戸大橋によって香川県と接続しているために、東西南北いずれにも拠点性を持つ、全国屈指の鉄道拠点都市となっている。
降雨、降雪が全国的に見て非常に少なく、1989年以降、降水量1mm以上の降水日数が全国の県庁所在地では最少であるため、「晴れの国」をキャッチフレーズとしている。
全国展開をしている大企業も多く進研ゼミでおなじみベネッセ(旧福武書店)をはじめ、はるやま商事、サンマルク、英会話のイーオンなどがある。
一方で、児島湾は土砂が堆積しやすいため、倉敷市と逆に港湾を作るのには向かない。それが内陸型の産業(食品、印刷業など)が発展するきっかけにもなっている。
また、一帯は広大な平野が広がっているが、そこはかつてイグサなどが栽培されていた湿地帯であり、地盤がそこまで強くないので、そこまで開発に余地があるわけでもない。
政令指定都市
2009年(平成21年)4月1日に岡山市は新市町村合併支援プランによる指定都市(70万人をめどに移行容認)としてわずか約69.6万人で政令指定都市に移行した。
これは全国の政令市20市の中でもっとも移行時の人口が少ないものであった。
北区・中区・東区・南区の4区が設置されている。
現在の岡山市の人口は全国の政令市の中で19番目で、人口は増加傾向にある。
倉敷市との関係
倉敷市と岡山市は旧浦和市と旧大宮市、高崎市と前橋市同様、犬猿の仲として知られている。
かつて倉敷市は代官所が置かれた天領にして商人の街、岡山市は外様大名(宇喜多氏→小早川氏→池田氏)の城下町にして政治(侍)の街であったという中心地域成立の歴史的違いによる対抗心も根強いものがある。岡山の地盤企業は倉敷にも重要拠点を置くが、全国単位で活動している企業は県庁所在地という事もあり、岡山市に拠点を置く事が多い。
また地元の学力ヒエラルキーにおいても、地域のフラッグシップである岡山大学がある岡山市の方が優位にある、と言われる。
しかし、倉敷市と岡山市は人的交流に加え行政面でも密接な関係を持つ。また全体的には倉敷市から岡山市への通勤・通学者が圧倒的に多い。そこまで密接な関係であるのであれば当然合併構想は存在しており、残念ながらそれは破談してしまった。(後述)
とはいえ時代が経過するとともに、そのような意識は徐々に緩和しており、若い世代の間では逆に地域間の対抗意識を持ち出されたり話題にされたりする事そのものが「やちもねぇ」(≒しょうもない、ウザい、無意味な)事と思われる事も少なくない。
実現しなかった大合併構想
1961年(昭和36年)岡山県知事だった三木行治が新産業都市の受け皿として、全国6大都市(東京都、大阪市、名古屋市、京都市、神戸市、横浜市の総称)に次ぐ大都市形成のため打ち出した岡山県南百万都市建設計画という計画が存在し、邑久町(現瀬戸内市)から鴨方町(現浅口市)、南は児島半島までの33市町村による当時での人口が約90万人(その後の人口規模は約130万人に達している)の大規模な合併であった。
しかし、倉敷市長が年末年始に公印を持ったまま上京し一時失踪したり、元凶である三木知事の急逝もあり、構想は頓挫してしまった。ちなみにこの構想が実現した場合、東京都と京都府同様、都道府県庁所在地に過半数の人口が集中することとなる。
大都会岡山って何?
なぜか岡山(岡山市)はインターネット上で大都会扱いされている。
この元ネタは2chでの地域煽りに遡ると言われる。詳しくは当該記事参照。
アンジェラ・アキが2006年にNHKのインタビュー番組で岡山を「大都会」と発したことでも有名。彼女の出身地である徳島県から出て岡山県に引っ越した際、テレビ局が多いこと(徳島は民放1局)、徳島とは劇的に違う街並みに魅了されて発したもので、徳島から見れば大都会という意味である。
現在では岡山市は政令指定都市であり、一応、総務省の大都市の定義は満たしている。
ちなみに、アンジェラ・アキの父親は岡山市に本社がある英会話イーオンの社長である。
また、桃鉄に架空の物件、桃太郎ランドが存在することも大都会説の流布を広めた一因である。