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山本唯三郎

やまもとたださぶろう

「どうだ明るくなったろう」って言って百円札を燃やすおじさん。正体は明治・大正時代の実業家である。
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概要編集

歴史教科書で見た向きも多いであろう成金を描いた風刺画

そこで「どうだ明るくなったろう」というパワーワードと共に百円札を燃やしているおっさんのモデルとされるのが彼である。


来歴編集

1873年、現在の岡山県岡山市北区に生まれる。

貧しい家の出で苦学しながらも同志社を経て札幌農学校(現在の北海道大学の前身のひとつ)を卒業し、石狩平野の開墾に成功して大地主にのし上がった。

第一次世界大戦が勃発すると、船舶輸送の需要が高まるのを見越して海運事業を拡大し、巨利を得て「船成金」の一人となる。

最盛期に当時の額面で4,000万円以上にもなる莫大な資産にモノを言わせた派手な豪遊ぶりで知られた。

  • 当時日本領となっていた朝鮮半島のほぼ全域で虎狩り。なお戦果は2頭と豹や鹿などを貨車1両分。虎のうち1頭の標本はゆかりのあった同志社へ寄付されている。
  • 東京から京都まで芸妓を多数呼んで同乗させた貸切列車で移動。
  • 料亭で玄関の靴がよく見えないので百円札のを取り出し火を点ける。

なおこんなことをしていた当時の物価は…「官吏(公務員)の初任給が月70円だった」ということでお察しください

ところが第一次世界大戦が終結すると船舶の需要が急減し、莫大な財産もほぼ失ってしまう。

1927年4月、東京府吉祥寺の自宅で死去。

なお自分の贅沢にも金を惜しまなかったが苦学期に学んだ同志社でキリスト教に触れたこと等から社会事業にも大いに資金を投じた。出身地である岡山には市立図書館や実業学校を寄付により建てさせている。


成金の代表的な存在であったが、彼自身は「自分は苦学しながら今の地位を築いた。時流に乗っただけの成金と一緒にしてくれるな」と、成金扱いされることを嫌っていた。


2021年10月現在、pixivでは彼(をモチーフとした成金)を描いた作品は多いが、彼自身の名をタグとして付けられた作品はごくわずかである。


関連タグ編集

どうだ明るくなったろう 成金

第一次世界大戦

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