もしかして:四国八十八箇所(本企画の舞台にして元ネタ。いわゆるお遍路)
ここで説明しておこう!
四国八十八ヶ所巡りとは
大いなる悲願を抱いた者が
大願成就のために巡礼に身をやつし
四国全土の札所を巡る
仏道修行 のことである!
(日本全国絵ハガキの旅 第1回2夜目より)
テレビ番組「水曜どうでしょう」の企画のひとつ。
前史
番組と四国の因縁全体については親記事の「どうでしょうと言えば四国」節を参照。一方、そんな節が存在することからも解るように、番組にとって四国の地はその開始当初より因縁めいた場所としてスタッフ・視聴者ともに認知はされていた。その四国とかっちり(?)向き合ったのが、この企画。
事の起こりは、本企画以前に行われた「日本全国絵ハガキの旅」第一回において、ミスターが徳島県の霊山寺を引いてしまった事。元より同地は四国八十八箇所第一番札所であったワケだが、同企画の演出意図のために白衣、菅笠、金剛杖という遍路装束一式を手に入れてしまったのだ。そして彼らは同旅にて愛媛県の内子を引いてしまい、一日で四国へととんぼ返りをするハメに。つまり呼ばれてしまったのである。
この出来事に慄いた、どうでしょうメンバーは突如、深夜の最中に八十八箇所の各寺院の巡拝を開始。しかし、結局は時間の事もあり5番まで行った後に88番へと中飛ばしして、さも全部の寺へ行ったが如き態度で内子へと向かったのだった……(中飛ばし自体は、純粋に時間の問題だったのだろうが)
そして中飛ばしの最中、移動中の車内で大泉とミスターは語る。
「逆打ちってのもあるんだ 」
「じゃあ僕たちも三回転くらいしよう」
もちろん冗談である。いつものように、これらは視聴者にはお馴染みな、どうでしょうゆえの独特の空気による彼らなりのジョークであった。そのはずだった。
……そんな彼らが再び四国に呼ばれるのは、ある意味では当然の成り行きであったのかもしれない。のちの企画「試験に出るどうでしょう」にて罰ゲームとして四国八十八箇所(お遍路)巡りを設定したら見事に撃沈。そうして彼らは、また四国に呼ばれてしまったのである。
……ちなみに親記事にも書かれている通り、どうでしょうの制作局である北海道テレビ放送(HTB)の初代社長(設立者のひとり)は現在に言う香川県さぬき市の出身と言われる事があるのだが、この「四国八十八ヶ所」企画のゴール地点(第三弾のみスタート地点)である大窪寺も、香川県さぬき市である。
概要
試験に出るどうでしょうに失敗したお詫びとして「番組を見ている受験生の合格を応援祈願する」という意図の元、大泉洋とディレクターが4~5日という超強行弾丸日程で四国八十八箇所を巡礼する、というルナティックモードな罰ゲーム企画。
設定されている巡礼期間が無茶苦茶にもホドがある短時間(超弾丸行程の自動車遍路でも10日から半月はかかる)のため、真面目なお遍路さんなら激怒確実の特殊ルールが設けられている。そのルールとは。
- 参拝と納経(要は寺の本堂や仏様に手を合わせたり経文を読んだり)はしない
- 各霊場の山門(あるいは本堂)をバックに写真を撮る事で巡礼(以下、チェック)とみなす
という2つを主軸としている。通常の遍路の手順が一つの寺につき「山門で礼→手水場でお清め→鐘打→本堂で燈明(線香&蝋燭)→本尊に納札・納経→大師堂で燈明→大師に納札・納経→寺務所で納経証明のために朱印を貰う→山門で礼」(街中の寺では鐘打を省略)という、手間のかかるものであることを考えれば(やんわりと言ってすら)省略にもほどがあるとしか言えない。当然、本来ならば遍路が回るべきとされる、いくつかの番外霊場も除外である。
一つの寺に対して、かけられる時間が限られるためだが、祈願企画のはずなのにそもそも祈ってない。まぁ、それも、どうでしょうクォリティ。
ちなみに寺によっては大泉が解説をしてくれている場合もある。
だが、そんなムチャが通るほど、お遍路は甘くない。案の定、彼らは企画の最中(主にはオカルトな方面で)様々なトラブルに巻き込まれてしまうのである。
なお収録当時はともかくとして近年においては(本企画に関してはともかく、いわゆる御朱印ブームなどの影響で)不適格な参拝をして寺を怒らせてしまう人や寺とのトラブルを起こしたりする人もいたりするので、寺側もデリケート&ナイーブになりつつある。そのため(本企画でのトラブルの事を度外視したとしても)真似をすることは褒められた事では無い。
そして。本企画第2弾において、鈴井を除くどうでしょう班はついにあちらの方々と交流を果たした。
あと余談として。
四国八十八箇所は、基本的に四国内の全札所を周った後に高野山(和歌山県)へ行き、回ったこと(回れたこと)を四国遍路を創り上げた弘法大師に報告(御礼)したのち、遍路を始めた最初の寺に戻って参拝を行い周回を結ぶものとされている。どうでしょう班は当然、そんな事はしていない(していたとしても企画本編での放映はされていない)。
なお、高野山そのものには2010年撮影の「原付日本列島制覇」で通りがかっている。ただし本当に通りかかったダケ である。ちなみに位置は国道371号高野龍神スカイラインの入口(高野山・中の橋駐車場の東側。高野山奥の院参道の中の橋側門前まで50mも無い)地点だったりするので、なおさらに惜しいと感じるものもいたりいなかったり。
第1弾・四国八十八ヶ所
DVD第14弾『クイズ!試験に出るどうでしょう/四国八十八ヵ所/釣りバカ対決 氷上わかさぎ釣り対決』に収録
1999年3月放送。
クイズ!試験に出るどうでしょうにおいて挑戦者の大泉が制限時間以内に目標点数を獲得できなかった事に対する罰ゲーム企画。
太龍寺・雲辺寺(双方とも巡拝のためのロープウェイが当日の営業時間終了)横峰寺・鶴林寺(冬季路面凍結などのため通行止)などの交通事情上やむを得ない寺をのぞき、チェック達成。そして大泉は本企画途中より体調不良を抱え、それは半年間近く尾を引いた。ちなみに案の定とも言うべきか、大泉が帰道した後、友人より「いっぱい連れてきちゃってる」と言われたとか。
岩屋寺騒動
45番の岩屋寺で起きたハプニング、もとい小競り合い。これ以降、ほぼ毎回のようにこの寺に着いた途端に騒ぎが起こる。以後、この小競り合いは恒例行事として繰り広げられた。詳細は別途該当項目を参照のこと。
ロケの一時中断
巡礼中に、大泉最愛の祖父の訃報が入った。大泉母より「ロケは続けなさい」と連絡が入り、大泉本人もその気でいたが、大泉家の家族仲を知るD陣から説得され、一時帰道。その1週間後にロケを再開している。
この際、何事もなかったように再開したため、番組恒例の日付と場所を示すテロップがこの時のみ登場していない。このことについて藤村Dは「視聴者に嘘をついた」と後に語っている。
第2弾・四国八十八ヶ所II
DVD第19弾『試験に出るどうでしょう 石川県・富山県/四国八十八ヵ所Ⅱ』に収録
2000年4月放送。
ロケ中に発生する様々なアクシデントが見どころの一つである当番組において、最もインパクトが強く、それでいて全く笑えないアクシデントが発生した回でもある。
前回で散々な目に遭ったどうでしょう班だが、今回は魔除けの数珠を持参し、準備万端の状態でロケに挑んだ。
…のだが、何と昼食を取ったうどん屋「いろりや」(※1)に数珠を置いてきてしまう(※2)というとんでもない事をやらかしてしまった。そしてその直後から、自動車が脱輪しタイヤがパンクするというトラブルが発生し、その後も暗闇に包まれた寺でどうでしょう班以外の誰かがロケ現場に近寄ってきたり、あげく79番札所・天皇寺高照院ではシャレにならない不可解な現象が起きた。またしてもロープウェイに間に合わなかった雲辺寺と(最後の最後、八栗寺で大泉が讃岐うどんを食べたがったせいで)最後の寺であるさぬき市の大窪寺でチェックをし損ねる。のちに本企画をネタにホラードラマ「四国R-14」が制作された。
(※1)後年、同じうどん屋に「おにぎりあたためますか」でも訪れている。その中には森崎も同行していた。
(※2)この数珠、大泉が忘れてからずっと「いろりや」で保管されており、同店を訪れた視聴者が預かってHTBに届けてくれたためどうでしょう班の元に戻ってきている。
ロケで発生した怪奇現象
ロケ初日の夜に参拝した14番常楽寺では、大泉とD陣の3名しかいないはずの寺で正体不明の物音や謎の声が発生。
ロケ4日目に参拝した71番弥谷寺では大泉の背中を何かが触った。大泉の後ろにいたディレクター2名は「やってない」と否定したが、大泉は「ここから一歩も動かない」と言い張ったため藤村Dによる悪戯ということにして巡拝を続行した。
しかし、巡拝終了後に藤村Dが恐怖の余り大泉と嬉野Dを置き去りにして走り出してしまった。
そしてー
弥谷寺の後に参拝した79番天皇寺高照院において、怪奇現象が映像で現れた。
天皇寺高照院に到着した一行は、今まで通り暗闇の中本堂へ行き、境内で寺紹介を行った。この時、録画状態であることを示す赤いランプが点灯していることを3人は確認している。
しかし、寺紹介を終えてポーズを決めた大泉を藤村Dが写真撮影した直後、カメラからいきなりアラーム音が鳴りだし、録画が突然止まってしまった。
車に戻って嬉野Dがビデオを確認すると、確かに撮影したはずの映像がどういうわけか残っていなかった(正確には一部分だけ僅かに残っていたらしい)。
そこで、試しに車内で大泉をモデルにカメラテストを行うと問題なく記録できたので、今度は本堂まで行かず寺の入り口の山門で撮影を行った。この時はカメラの照明が消えた以外は何も起こらず無事に撮影を「終える」ことができた。
しかしその直後、つぎの寺へ向かう車内で暖房(25度)に設定しているエアコンから何故か冷気が出始めた。もちろん冷房にはしておらず、温度を下げてもいない。この時、大泉の表情は強張り藤村Dも大泉をミスターと呼び間違えるなど明らかに動揺していたが平静を装い、一連のアクシデントを「機材の故障」と判断しただ不運が重なっただけとしてロケを続行した。しかし結局は「完ぺキ憑いたね」と、単なる故障ではなく「何か」による仕業であると認めた。
そしてロケ終了後に映像を確認すると、件の撮影し直した天皇寺高照院の映像だけ激しく乱れ、音声が殆ど録音されていなかった。
この出来事を元に、嬉野D脚本によるドラマ「四国R-14」が制作された。
ちなみに、このドラマの撮影中も様々な怪奇現象が発生している。
何が起きた?↓
- 音効スタッフが深夜作業中、電源スイッチが勝手に切れた。
- 音が鳴らなければ動かないはずのCDの音量メーターが音もしていないのに勝手に振り切れた状態になった。
- シリアスなシーンの撮影中、笑う要素が一切無いにもかかわらず藤村Dが突然笑い始めた。撮影を再開した後も再び笑い出し、「すまない、部屋を出る」と言い残し、嬉野Dに監督代行を任せて撮影現場を退席してしまった。
- 下見のため、再び天皇寺高照院を訪れた際にまたカメラがアラーム音を発して止まった。
第3弾・四国八十八ヶ所III
DVD第26弾『四国八十八ヵ所Ⅲ/日本全国絵ハガキの旅2』に収録
2002年3月放送。
3回目となるこの回では、逆打ち(逆周り)での遍路を敢行。すなわち本来ならゴールであるはずの、香川県さぬき市にある大窪寺からスタートした。そのためゴール地点は前2回の遍路でのスタート地点である徳島県の霊山寺となった。
冬季通行止めの横峰寺、ロープウェイに乗り損ねた太龍寺を除いてチェック達成。……うん、達成。たぶん。どこかのうどん屋に行くため遍路最長路程をショートカットしたくて過去映像を用いて 合成をやらかした とかしてない。やるはずがない。たぶん、きっと、おそらく。ただ、うどん屋は定休日だった。
前の企画がクリアできなかったため、この企画でやっと鈴井が参加。同様に、案の定撃沈した安田も参加している。だが、二人ともラジオまたは生放送番組のため、途中で離脱してしまう。(実は大泉も「パパパパパフィー」の収録があったのだが、ヒゲによって蹴られてしまった。)
また一人か・・・と思っていたら?
大泉洋びっくり作戦
50番礼繁多寺で起きた出来事。繁多寺に到着し、いつも通りの寺紹介を終えた、その時であった。
「50番っ!!!繁多寺ィィィィィィィィ!!!!ファンタジィィィィィィィィ!!!!」
絶叫と共に現れたのは、ナックス一の巨顔と声を持つ男、森崎博之であった。
森崎は、D陣によって四国に召喚されていたのだった。大泉はこれについて「心臓が止まるかと思った!」と心底驚愕していた。
かのうどん県でうどんが食えると心躍らせ「讃岐うどんは任せろ!!」と繁多寺の伽藍内でうどん愛を叫ぶ森崎氏であったが、前述の通り今回は逆打ちであり繁多寺があるのは愛媛県。そう、すでにどうでしょう班は讃岐(香川県)エリアの全てのチェックを終わらせてしまっていたのだ。それを知りプロデューサー陣から今回の企画も順打ちで回っているのだと思わされていた(というかフツーはそう思う)うどん好きの魂は崩れ落ちてしまった。
が、それはそれ。この後、企画終了まで森崎を含めた4人でお遍路に勤しむのであった。
そして終盤、焼山寺以降の深夜強行で霊山寺でのゴールを終わらせたどうでしょう班。その後徳島ラーメンを堪能し、翌日に香川県入りして飛行機の時間まで心行くまで讃岐うどんを楽しんだのであった。
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天皇寺高照院の真相
「撮影した画が無い」というのは嬉野Dの嘘であり、境内で撮影した映像は実は残っていたのである。
不可解な現象が起きた直後、車でカメラを確認した嬉野Dは録画されていた映像を観て「絶対誰にも見せちゃいけない」と判断し、コレを消却。映像が残ってないと大泉、藤村Dに告げた。
その後、「原付西日本制覇」のロケ中に嬉野Dは藤村Dに「真実」を唐突に告白した。これを聞いた藤村Dは映っていたモノに戦慄するとともに、嬉野Dが独断で消却した事がショックだったと語った。
両ディレクターは大泉本人を含め関係者にはこの真実を告げなかった(しかし、大泉は実際は映像が残っておりそこに「何か」が映っていたということは知っていた)が、代わりに安田が「対決列島」のロケ中に藤村から詳細を聞き、そしてトークショーにて大泉にも伝えられた。
カメラに残されていた映像では、なんと大泉の両足が消えていたとのこと。
正確には、大泉の映っている映像が下からセーターを解くように消えていき、全部真っ暗になってしまった。
DVD19弾での副音声においてコレを聞いた大泉は「怖い」と震え上がった。
なお、寺の入り口で撮影し直した際に照明が切れたのは単なるバッテリー切れである。しかし、タイミング的に考えると「あちらの方々」がいたずらをした、もしくはテレビの企画とはいえふざけた参拝をするどうでしょう班に警告をしてくれたのかもしれない…。
ちなみに、弥谷寺での一件は本当に藤村Dの悪戯であり 、怪奇現象ではない。
参考:天皇寺高照院とは?
さて。ここで「あれ?」とか思った人はいるかもしれない。特に寺の名前に関して。
そう。天皇寺という名前。通常、寺の名前で「てんのうじ」と言えば四天王寺や天王寺区にも見られるように「天王」であり、そのものズバリ「天皇」などと付ける寺はそうそうは無い。(あとは宮城に一ヶ所ある程度)
どうでしょうファン(によるまとめ)サイトや同人誌の中には、これを天王の誤植と考えて意図的に「天王寺」と表記するものがあるが、さすがのどうでしょう班もそんな間違いなどしておらずこれこそまさに誤植なので要注意。この寺の表記は「日本国皇室の天皇」と同じ表記の「天皇寺」なのだ。
そのため、通常、この寺は自らを称する時には寺名は使わず院号である高照院を使うのが通例である。
では、なぜこの寺がそんな通常は院号を用いるような寺名を使うのか。
実は、この寺の名前が示す天皇とはただの天皇ではない。歴代の中でも保元の乱にて追いやられ悲劇の帝とすら言われた、かの讃岐院……すなわち日本三大怨霊の一人として名高い第75代天皇崇徳上皇(崇徳院)のことなのである。
天皇寺は讃岐(香川県)に流された崇徳上皇が御所を構えた場所に近く、生前の上皇様にとってはお気に入りの場所で、彼が亡くなった時にはその遺体が安置された場所だった。天皇寺には白峰宮という神社が隣接しているが、その主神は崇徳上皇その人である。(寺側の本尊は崇徳上皇が生前に持念仏としていた十一面観音)
ついでに言うと高照院の次の次となる81番札所である白峯寺などは白峯御陵……つまり崇徳上皇のお墓の前にある。
つまり、どうでしょう班は、よりにもよって日本最恐の怨霊の御前でふざけていた事になる。
よく、この程度で済んだな。
(もっとも崇徳院は讃岐においては地方の庶民には優しいお方だったと言われているので、ある意味では本当に警告をしてくださっていたのかもしれない)
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