歴史
令制国の時代に、阿波国・讃岐国・伊予国・土佐国の4つの国が存在したことから、「四国」と呼ばれた。
また現在も4国の領域をそのまま引き継いだ4県で構成される地方を、四国地方と呼ぶ。
ただ、明治維新時の廃藩置県においては、旧国がそのまま県に移行したわけでもなく、かなりゴタゴタしている。実際、明治新政府は国家予算削減のために「四国二国化計画」を目論み実行に移した事もあり、これに最も翻弄されて割を食わされたのが徳島・香川である。当時、四国内の各藩は土佐以外は総じて旧佐幕派が県庁所在地で依然地域勢力を保持していた(愛媛は元徳川御家門、香川は徳川御三家水戸徳川家御連枝、徳島は外様ではあるが蜂須賀氏が超保守の佐幕派)ため新政府としては、この勢力を切り崩す必要性があったのである(まあ、この時期の日本全国各地域は似たようなものだったのだが)。
ちなみに「四国二国化計画」が為されたのちには、やがて土佐一国(高知県)に統合、最終的には関西あるいは中国地方に統合させて「四国」そのものを行政区分から消滅させ「離島」扱いにして民間人を追い出し、軍拠点として四国全体を対太平洋南亜戦線の要塞・空母化させ大拠点にするという某特撮の敵組織みたいな計画もあったとかなかったとか(もっとも、ここまで来ると「噂」や「伝説」の域であり信憑性は定かではない)。
……とはいえ、そんなムチャが通るはずもない。結局、明治新政府の目論みは地元での地域間紛争や反政府運動の勃発を頻発させる(そして新政府はそのために少ない金をさらに浪費させる羽目になる)事態を招いた。結果、新政府が目論んだ「四国二国化計画」は頓挫し現在の形に落ち着いている。
構成
地理
瀬戸内海に面した北部(香川県と愛媛県の中予・東予地方・徳島県鳴門市)は、瀬戸内海式気候に属する温暖少雨な気候であり、台風などの直撃も比較的少ない。その反面、水資源に恵まれず、特に香川県は古来渇水に悩まされてきた。現在は吉野川の水を送水するための香川用水が建設されている。
一方、太平洋に面した南部(鳴門市を除く徳島県のほとんどの地域・愛媛県南予地方・高知県全域)は、沖合を流れる黒潮の影響を受けて冬でも温暖。春~秋の降水量も多い。一方で台風や豪雨災害に見舞われ大きな被害を出すことも多い。
平野部は全体に温暖である反面、四国山地は非常に険しく冬は雪が多く、スキー場もある。また日本で唯一、活火山が存在しない地方である。西日本最高峰の石鎚山(1982m)は火山でカルデラを有するが、噴火したのは1000万年以上前の遥か昔であり、今後噴火活動を再開する恐れはない。火山は無いが道後温泉などの温泉地は各地にある。
地理的条件からかつては船運が盛んだったが、瀬戸大橋やしまなみ海道の開通、高速道路網の整備で車社会化が進み、21世紀に入ってからはフェリーの縮小や廃止が相次いだ。
地域意識
前述した「瀬戸内海側と太平洋側の気候が醸成させた地域性が絶望的なまでに異なっている」「船便が盛んだった歴史」というのが、地域の意識的に非常にクセ者であり、東京などの中央からは「四国地方」と、ひとまとめにされるものの肝心の四国自体は「四国としてまとまる」という意識には乏しい(地域として括られる事に違和感がある)と指摘される事がある。具体的には。
- 徳島県は淡路島や神戸淡路鳴門自動車道(大鳴門橋・明石海峡大橋)、南海フェリー(徳島-和歌山間航路)の関係から四国でありながら関西への帰属意識がとても強い。特に四国最大都市(らしい)松山市などは徳島市から考えれば遠すぎる場所であり松山へ行くぐらいなら神戸や大阪へ行った方が近いし、良いものが手に入る。関西地域からのスピルオーバーもハンパなかったためアナログ放送時代は関西地域の放送をグレーゾーン状態でガシガシ見てたし、地デジ化の時には大騒ぎになったため徳島県でも関西局の放送を見る事が出来るように「地上波同時放送のケーブルテレビを県内全域に配備する公共補助事業」を慣行し、ケーブルテレビの県内普及率は90%を越えた。その結果として徳島県は日本有数のIT県と化し、また事実上「民放テレビ局のいらない県」ともなった。そうした事情から関西圏民放局はエリアの天気予報に徳島県を入れている。
- 香川県は小豆島や宇高連絡船・瀬戸大橋の繋がり、そして放送圏共有(東瀬戸準広域六局放送圏、岡高地域)によって岡山県(特に岡山市・倉敷市)と、経済活動圏域を事実上共有している。松山への距離感も、ほぼ徳島と同じ。あるいは、むしろ岡山でも用が足る場合があったりもする。四国萌隊に当初、岡山のキャラが入っていたのは、このため。
- 愛媛県も芸予諸島の頻繁な海運に端を発ししまなみ海道に至る交易から広島県(特に広島市・尾道市)との結び付きが強い場所で、松山市が四国最大の中心都市となっているのも、他の四国三県との交流など全く関係なく、単に中国地方の中心都市である広島市との地域間交流を重視する事よって成り立った側面がある。ぶっちゃけ四国内の各県と交流する事に対しては「中央が勝手に作った枠組みを聞いて『あげて』わざわざに面子を保って『あげる』」(そうする事で都市圏行政からそれなりに有利な条件を引き出す)程度以上のメリットが無い。
- 高知県は四国山地によって古来より愛媛とも徳島とも切り離された「四国の陸の孤島」の側面がとても強く、また江戸時代に至っては武士身分内にあっても苛烈な上下身分を強いた(その上で、そのありかたを徳川幕府に知られるのを警戒した)事から、外部の者を非常に警戒する風土が醸し出されて四国でも特に愛媛・徳島と互いに干渉しない独立独歩の姿勢がとられ、現在もそれを引き継ぐ部分がある。(時にジョン万次郎の出身であることから「他の三県が対岸と仲がよいのだから、自分はアメリカと仲がいいんだ」というジョークが出たりする)松山への距離感は徳島・香川よりかはマシと言えるが、それでも土讃線や高知自動車道を用いて香川を経由し、岡山や京阪神へと出た方が、松山や広島へ向かうよりも手っ取り早い。さらにはそもそも明治維新期における薩長土肥の一角たる土佐である、という意識もあるので四国内の他県と何かするぐらいなら高知だけで中央政権に直接ネジ込んだ方が早いだろとする意識も根強い。
こうした事から四国の各県も地域的な一枚岩、というワケではない。四国四県が地域的なタッグアピールを行う時には、大抵は観光・経済・治水利水・交通の事情などによる打算が強く働いている場合が多く、その裏では思いっきり露骨にイニシアチブを引き合っている(最悪、足を引っ張りあった挙げ句、互いに自滅する)ケースも多い。
さらに前述した「四国二国化計画」の反動も大きく、当然ながら各県(特に香川と徳島)は「先人が苦労して独立を勝ち取った我が県」という意識も強い(しかも併合分離した四国内他県に対する相互反発もある)ため、なおさらに悪化させた反応を取る者もいたりする。
なにしろ「四国の水瓶」「四国の生命線」と呼ばれる早明浦ダムの記念石碑に、水資源機構や中央省庁が、「四国はひとつ」とアピールする石碑を建てようとしたら、他ならぬ四国の面々から(ダム建設時の確執もあいまって)ガチに拒否られたという逸話があったりするレベル。
ちなみに結局、件のダムに据えられた石碑には「四国のいのち」と彫られるに留まった。
しかし、こうした部分は九州以西、関西以東、特に関東以北の人々には、ほぼ理解されない(東北以北の出身者となると、完全に不条理であり「理解したくない」域となる)事が多い。(中国地方が理解できるのは香川と愛媛に関して当事者であるため)
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