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南海フェリー

なんかいふぇりー

日本の海運会社。及び同社が和歌山~徳島間で運行するフェリー・鉄道連絡船。2015年就航40周年。
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概要編集

南海グループ。南海和歌山港線の終点である和歌山県和歌山市の和歌山港駅から、対岸の徳島県徳島市にある徳島港との間に短距離フェリーを運航している。

また同航路は南海本線・和歌山港線(最寄り駅:和歌山港駅)との連絡輸送を実施している鉄道連絡船であり、公式に鉄道連絡を実施しているものとしては、JR・広島電鉄宮島連絡船富山県営渡船などと共に現存する数少ない航路である。


現在の徳島側着岸港は徳島港だが、1999年3月までは徳島側着岸港は小松島港だった。小松島港には1985年まで国鉄小松島線の小松島港仮乗降場が置かれていた。しかし国鉄仮乗降場とフェリー乗降場の間における乗り換え連絡の往来は座席確保のために激走する者が絶えない非常に激しいものであり、宇高連絡船における宇野高松両駅の乗降連絡・窪川駅バス乗換連絡と並び四国三大走りと呼ばれた。この危険な往来は1985年に訪れた国鉄小松島線の廃線と1999年の徳島港への航路変更によって、ようやく解消となった。


2002年まで同区間にて高速船「南海徳島シャトルライン」も運営していたが、明石海峡大橋の開業によって利用客が減少しフェリーのみの営業となった。また明石海峡大橋開業による利用減は他航路にも響き、現在四国・淡路島と近畿地方を結ぶフェリーは同航路の他は兵庫県各地とを結ぶ「淡路ジェノバライン」「ジャンボフェリー」などに限られるほどとなってしまった。その点でも同航路は貴重な生き残りである。


その他、昭和時代末期までは四国側でも国鉄小松島線に接続していた。同路線との接続時代は徳島側の港も徳島市の隣にある小松島市内の小松島港であったが、路線廃止後は連絡輸送手段がバスのみになり、更に高速船の廃止後は同航路が就航していた徳島港へと移転した。

徳島県内最大のバス会社である「徳島バス」は南海グループだが、徳島港から徳島駅・市内方面への連絡バスは徳島市交通局(徳島市バス)が運行している。いいのかそれで…?


2015年に南海フェリーとして就航40周年を迎えるが、前身である南海汽船(南海観光汽船)から数えると60年以上の歴史を誇る航路である。


ファンネルマークは1980年代には南海電鉄と同じ「羽車」(円の中にV字型の翼のデザイン)のマークであったが(なお、1974年以前は「列車の車輪に翼をつけた」デザインの古めかしいものであったらしい)、現在はブライトオレンジとファインレッドの「南海リボンマーク」である。


船舶編集

2023年現在は二隻を保有する。

設備はほぼ共通で、桟敷席と椅子席で構成された2等普通席、グリーン座席、展望デッキ、売店、ビジネスコーナー、ベビールーム、ドライバー施設などを備える。

トイレはもちろんあるが、所要2時間程度の短距離航路であるためか入浴施設はない。他に船内にはカップ麺の自販機もある。


フェリーあい編集

就航:2019年10月 総トン数:2,825トン 全長:108.00m 全幅:17.50m 旅客定員427名 8トントラック37台積載可能

「つるぎ」の置き換え用として新たに就航した新鋭船。

船名は徳島県の名産品である「藍染」と、コンセプトテーマである「愛と出会い」から命名された。船体は白地に藍色のライン。船体中央と船尾にハートのワンポイントが描かれている。

バリアフリー対応で、電気自動車用の充電設備も船内に備えている。


フェリーかつらぎ編集

就航:1999年10月 総トン数:2,571トン 全長:108.00m 全幅:17.50m 旅客定員450名 8トントラック39台積載可能

「よしの」置き換えのため、「つるぎ」の僚船として1999年より就航。名前は和歌山県と大阪府の間にある和泉葛城山から。

当初より和歌山航路の専属。2013年の塗装変更・内装リニューアル以後は船体下部が薄いみかん色に塗られている。


過去の船舶(フェリー)編集

フェリーつるぎ編集

就航:1997年7月 退役:2019年12月 総トン数:2,604トン 全長:108.00m 全幅:17.50m 旅客定員450名 8トントラック39台積載可能

りんくう航路(泉佐野~徳島)用として1997年より就航。後に同航路廃止により和歌山航路にコンバートされ、「フェリーたちばな」置き換え。名前は徳島県最高峰の剣山から。

2013年の塗装変更・内装リニューアル以後は船体下部が薄い緑色(すだち色?)に塗られている。

「フェリーあい」就航にともないギリシャへ売却された。

フェリーよしの編集

就航:1991年12月 退役:1999年10月 総トン数:2,185トン 全長:94.30m 全幅:16.00m 旅客定員430名 トラック12台、乗用車24台、バス4台積載可能

「フェリーわか丸」置き換えのため1989年就航。船名は徳島県にある吉野川から。

1999年に鳴り物入りで登場したりんくう航路がわずか6か月で休止となり

その影響で「つるぎ」が和歌山航路に戻ってきたため余剰となり退役、フィリピンに売却されて運航中。

フェリーくまの編集

就航:1989年3月 退役:2007年4月 総トン数:2,137トン 全長:92.95m 全幅:16.00m 旅客定員430名 トラック12台、乗用車24台、バス4台積載可能

「なると丸」置き換えのため1989年就航。船名は和歌山県にある熊野川から。

燃料高騰の影響による減便で2007年に退役し、フィリピンに売却されて運航中。

フェリーたちばな編集

就航:1986年7月 退役:1997年7月 総トン数:1,412トン 全長:80.10m 全幅:13.50m 旅客定員520名 トラック16~17台積載可能

「きい丸」置き換えのため1989年就航。船名は柑橘類に由来する。

「フェリーつるぎ」の就航で大阪湾フェリーに転属し泉佐野~淡路島(津名)間航路で使用。

2000年に同航路は南海淡路ラインとなるも本船は引き継がれず韓国へ売却(ただし船籍国はパナマ)、2003年にはギリシャへと再度売却された。

フェリーわか丸編集

就航:1973年4月 退役:1991年12月 総トン数:1,651.98トン 全長:77.67m 全幅:12.70m 旅客定員720名 大型バス16~17台積載可能

船名は和歌浦に由来。南海汽船時代に登場した最後のフェリーであり、

和歌山航路では3隻目のフェリーであった。

「フェリーよしの」の就航にともない引退。

なると丸(2代)編集

就航:1969年12月 退役:1989年3月 総トン数:1,619.12トン 全長:77.32m 全幅:12.70m 旅客定員720名 大型バス10台積載可能

船名は鳴門海峡に由来。「きい丸」の僚船として登場したフェリー第2船。

「フェリーくまの」の就航により引退した。

きい丸編集

就航:1964年12月 退役:1986年7月 総トン数:1,619.36トン 全長:73.87m 全幅:12.70m 旅客定員720名 大型バス10台積載可能

船名は紀伊水道に由来。現在の和歌山航路では初のカーフェリーであった。

「フェリーたちばな」の就航にともない引退。

過去の船舶(客船)編集

よしの丸編集

就航:1963年3月 退役:1973年 総トン数:1,241トン 全長:64.1m 全幅:10.8m 旅客定員716名

高速船を除いては最後となる純客船である。1973年に「フェリーわか丸」が就航したことで

和歌山航路は全便をフェリー化することとなったため余剰となり引退。

フィリピンに売却されて使われたが、1981年にマニラ湾での火災により全損、廃船となった。

須磨丸編集

就航:1959年6月 退役:1973年 総トン数:1,207.48トン 全長:61.15m 全幅:10.3m 旅客定員1020名

もともとは川崎汽船の保有する客船だったが関西汽船に用船されたのち宇和島運輸、日海運輸と船会社を転々としたのちに南海汽船にやってきた船である。

フェリー化にともない1973年に引退、フィリピンへと渡った。

わか丸編集

就航:1957年 退役:1973年 総トン数:506.74トン 全長:47.49m 全幅:8.10m 旅客定員528名

和歌山航路の第2船として就航。フェリー化にともない1973年に引退、フィリピンへと渡った。

南海丸→なると丸(初代)編集

就航:1956年5月 退役:1964年 総トン数:495トン 全長:51.0m 全幅:8.10m 旅客定員470名

現在の南海フェリーの航路のルーツである和歌山~小松島間の航路開設にともない登場した最初の船。

1958年に時化による沈没事故を起こし乗客乗員全員が犠牲となるも、同年中に引き揚げられ

修理の末に復活、「なると丸」に改称。1964年に宇和島運輸に売却されて「わかくさ丸」となって使われた。

過去の船舶(高速客船)編集

あるご編集

就航:1992年12月 退役:2002年1月 総トン数:299トン 全長:43.2m 全幅:10.8m 旅客定員:300名

先代「マリンホーク」置き換え用として登場し、航海速力は最大で39.3ノットで、当時国内最速クラスの双胴船であった。

船名の由来はアルゴ座(同じアルゴ座を船名の由来とする船には太平洋フェリーの「あるごう」が存在した)。

2002年の南海徳島シャトルライン廃止に伴い引退。台湾に売却。

マリンホーク編集

就航:1983年7月 退役:1992年12月 総トン数:283トン 全長:40.9m 全幅:10.8m 旅客定員:280名

高速船。1983年に高速船航路開設に合わせ登場。当時南海電鉄が持っていた球団南海ホークスになぞらえてか、鷹の名がつけられた。

航海速力は最大で31.15ノット。

「あるご」の就航にともない1992年に退役。

つばさ丸編集

就航:1962年4月 退役:1969年 総トン数:61.48トン 旅客定員:70名

水中翼船。もともとはスイスの造船メーカー・シュプラマル社が開発したもので、

このうちイタリア・ロドリゲス造船所で建造された1隻を研究用として1960年に輸入してきたもの。

1962年から日本初の水中翼船航路として大阪~神戸~和歌山~南紀白浜間の航路で運航、

大阪と白浜を3時間20分で結んだ。しかしその後国鉄阪和線紀勢本線に特急「くろしお」を登場させたことで優位性が薄れ、1969年にひっそりと航路廃止となり姿を消した。


オリジナルキャラクター編集

2011年に「和歌山徳島航路活性化協議会」が企画したオリジナルキャラクター2人をプロデュースしており、現在では船内の至るところでも見ることが出来る。いわゆるご当地キャラであり、萌えキャラである。

キャラクターデザインは和歌山市在住のもえぎ若菜氏。なお一度公式の絵柄がリニューアルされているが、基本デザインに変更はない。

うたか三姉妹を擁する「宇高国道フェリー」が運行を休止し活動停止状態にある今、フェリー業界のキャラクターとしての期待を一身に(?)背負って今もPR中である。


高野きらら編集

高野きらら(南海フェリー)

和歌山県生まれで和歌山県育ちの高校二年生。実は設定されたのはまいより先。

明るく活発な性格で、趣味は旅行と音楽鑑賞。髪型は二つ結び。青系の制服を着ており、靴も青のスニーカー。みかん色じゃないのは気にするな


阿波野まい編集

南海フェリー

和歌山県生まれで小学三年生以降徳島県育ちの高校二年生。きららとは幼馴染。

おしとやかな性格で、趣味は旅行とお菓子作り。髪型はロングヘアーで、南海のCIマークをつけたヘアピンを付けている。緑系の制服を着ている。靴下も緑。今でもきららとはメール文通をしているようだ。


関連項目編集

南海電気鉄道 - 親会社。暗にライバルでもある(子会社の南海バス・徳島バスは本四連絡ルート徳島線の最大手)。

サザン - 和歌山側で連絡する特急列車。他に和歌山港線には急行も直通する。

フェリー 連絡船 宮島航路 宇高連絡船

やまじシスターズ びんちょうタン - 和歌山県中南部を中心に活躍するご当地キャラ

阿波あわな - 四国萌隊のうち徳島県を擬人化したご当地キャラ

たま駅長 - 和歌山電鐵貴志駅駅長の猫。南海電鉄時代から飼われていた。たま駅長をモチーフにした着ぐるみなども存在。

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