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くろしお

くろしお

国鉄~JR西日本が運行する特急列車。由来は和歌山県沖を流れる「黒潮」から。
目次 [非表示]
  • 海上自衛隊潜水艦については「くろしお(潜水艦)」を、その他の用法については「黒潮」を参照。
  • その他同名の列車が複数存在した。
    • 1933年から1937年まで阪和鉄道南海鉄道鉄道省紀勢西線で運行された準急列車「黒潮号」。本記事で解説
    • 1950年から1965年まで国鉄および南海電気鉄道で運行された快速→準急列車。本記事で解説
    • 1961年から1965年まで土讃本線(現:土讃線)で運行されていた急行列車。正しくは「黒潮」と漢字表記。「南風」を参照。
    • 1963年から1965年まで房総東線(現:外房線)で運行されていた準急列車。「わかしお」を参照。
    • 1965年から国鉄→JR西日本で運行されている特急列車。本記事で解説
    • 1968年以降の一時期に京成電鉄で運行されていた夏季海水浴列車。
    • 三陸鉄道36-300形気動車301-401編成の愛称。

概要編集

京阪(大阪府京都府)と南紀(和歌山県南部)を連絡する特急列車

特急としては半世紀、列車全体では戦前に遡る歴史と伝統を持っている。


運行区間京都/新大阪和歌山/海南/紀伊田辺/白浜/新宮
運行路線東海道本線JR京都線梅田貨物線)/大阪環状線/阪和線/紀勢本線
車両283系(時刻表等では「オーシャンアロー車両」と表記)
287系(6両編成の3本は「アドベンチャーワールド」のラッピング仕様)
289系(主に白浜以北で運行、「らくラクはりま」にも使用)
備考編成は6両または9両。吹田総合車両所日根野支所所属(283系・287系)。吹田総合車両所京都支所所属(289系)。

詳細は後述するが、来歴の異なる3形式が投入されている事から、相互に仕様が統一されておらず、それぞれが独立した運用を行っているという特徴がある。

いずれも基本は6両編成で、4両目に車椅子対応の座席とトイレが存在し、多客時には新大阪側に3両編成を増結して9両編成(白浜〜新宮間を除く)になるという点は共通しているものの、連結相手も必ず同一形式とされている。なお、6両目と7両目の間を通行する事ができない(幌自体はあり、通路にすることは可能だが使用されていない)。

グリーン車は基本的に白浜・新宮側先頭車に設定されているが、283系はグリーン車が新大阪・京都側先頭車または両方向先頭車になることがあるので利用時は注意。


位置付けとしては283系がリゾート、他2形式がビジネス用といったところで、283系は車体がイルカのような形をしているなど、デザイン性を重視した車両となっている。

283系についてはオーシャンアローの項目も参照のこと。


派生愛称編集

定期列車として運行されたのは「くろしお」の他「スーパーくろしお」「オーシャンアロー」。他に急行「しらはま」「きのくに」が不定期に復活する。また21世紀初頭までは冬季~春季に運転される「春咲きくろしお」、1999年頃まで夏季に運転される「マリンくろしお」「レジャーくろしお」、2000年代中期まで土曜休日のみ紀伊田辺始発の上り一番列車で運転された「おはようくろしお」(後に白浜始発の「くろしお2号」となり、平日も運転開始)などがあった。

各車の特色としては、「春咲きくろしお」は当時最速達の定期列車も全て停車していた御坊駅を通過、「マリンくろしお」には専用のヘッドマークが用意されるなどがあった。


停車駅編集

京都駅 - 新大阪駅 - 大阪駅 - 天王寺駅 - (和泉府中駅) - 日根野駅 - (和泉砂川駅) - 和歌山駅 - 海南駅 - (箕島駅) - (藤並駅) - (湯浅駅) - 御坊駅 - (南部駅) - 紀伊田辺駅 - 白浜駅 - 周参見駅 - 串本駅 - 古座駅 - 太地駅 - 紀伊勝浦駅 - 新宮駅


()内の駅には一部の列車のみ停車。紀伊田辺 - 新宮間は単線のため、上記以外のすれ違える駅で運転停車を行う場合がある。


かつては西九条椿も停車していたが、2010年以降のダイヤ改正でいずれも取りやめになっている。


沿革編集

「くろしお」のルーツとなるのは、1933年天王寺紀伊田辺(間もなく白浜まで延伸)で運行を開始した 準急「黑潮號」である。

この当時、阪和線は「阪和電気鉄道」という私鉄であり、紀勢本線鉄道省が建設途中の非電化路線であった。その両線を短時間で踏破するために運用・機構共に当時最高水準の技術が導入されており、特に阪和線内では大馬力の電車が直通用客車を牽引して日本最高速で疾走するという鉄道史に残るレベルの列車であった。

遅れて1934年に南海鉄道(現・南海電気鉄道)難波駅始発の列車も登場。阪和電気鉄道同様、電車が直通用客車を牽引した。両列車は東和歌山駅(現在の和歌山駅)で連結および解放した。この運行形態は戦後の準急(のち急行)「きのくに」に継承される。

愛称の付いた列車自体、当時は特急以外では稀な存在であり、しかもそれが公募によるものであったという点も異例であった。一説には、日本初の時刻表トリックもこの列車から生まれている


しかし、南紀という地域柄観光色の強いこの列車は、国際情勢が悪化してくると真っ先に槍玉に挙げられる事となり、1937年に運休を余儀なくされる。その後も無名の直通列車は運行されていたが、それも1943年に中止された。この間に阪和電気鉄道自体が戦時統合によって消滅している。


戦後は1948年の臨時列車より両線の直通運転が再開され、1950年快速「黒潮」として愛称が復活する1954年には準急に格上げされ、1956年にひらがな表記の「くろしお」に改称された。


特急「くろしお」が登場するのは1965年3月1日の事キハ80系特急型気動車によって、天王寺~名古屋間を紀伊半島をぐるりと周って結ぶという、これまたスケールの大きな列車として設定された。新幹線並の1編成にグリーン車3両などという組成をした事もある。


1978年に紀勢本線の新宮駅以西が電化されると、キハ80系は381系特急型電車に置き換えられる(※1)。カーブを高速で通過できる「振り子式」の車両で、高速列車の系譜としての存在感をいかんなく発揮する。

一方、非電化のまま残された新宮以東は特急「南紀として再び運行系統が分離され、これ以降名古屋圏との結び付きを強めてゆく事となる。後の民営化に際しても、この駅が会社間の境界となったほどである。


国鉄末期には並走する急行を全て「くろしお」に一本化する事となり、救済措置として停車駅の増加や特急料金の低減が実施される。また、この分の運用増を賄うため、振り子機能を持たない485系が転入してきた。

485系自体は運用の見直しによって短期間で北近畿方面に再転出していったものの、この時の変化は後の「くろしお」の扱いに大きな影響を与える事となる。


スーパーくろしお

1987年の民営化に際しては、全線・全車両がJR西日本の所属となった。


JR西日本はまず、従来の観光路線を継承した車両のグレードアップを推し進め、一部編成では従来編成中間に繋いでいたグリーン車に、展望型の運転台を取り付けて先頭に持っていき、パノラマグリーン車(※2)とした。

同時に、阪和・南紀と京阪地域の結び付きを強める方針を打ち出し、阪和線と大阪環状線の間に連絡線を設置し、既に繋がっていた大阪環状線~梅田貨物線~東海道本線JR京都線)のルートと接続した。当時の梅田貨物線の位置関係から大阪駅は経由できないものの、これによって阪和線の列車が天王寺駅から新大阪駅・京都駅方面へ発着することが可能となった。

これらが完成した1989年より、京都駅に発着する「スーパーくろしお」の運行が始まる。路線自体も新宮以西の紀勢本線はきのくに線の愛称で呼ばれるようになり、西日本色が強まってゆく。


1996年にはバブル経済の崩壊で失速した観光需要のテコ入れと、伸長してきた高速道路への対抗のため、専用の新型車283系を「オーシャンアロー」の新愛称と共に投入する。

もっとも、既存の「スーパーくろしお」の存在もあって「オーシャンアロー」は限定的な投入に終わり、283系が381系の後継になる事もなかった。


2000年代に入ると、沿線にあるアドベンチャーワールドとタイアップしたパンダ装飾を行うなどもしたものの、南紀地方の衰退や自動車への乗客流出を食い止めるには至らなかった。

「くろしお」の利用は次第に阪和間の短距離通勤・出張移動が中心(主に新大阪・天王寺から和歌山・海南まで)となってゆき、それを受けた抜本的な体質改善を行う事となった。

折しもこの時期、社内では485系の置き換え計画が進んでおり、「くろしお」もそれに準じた新車を導入する事が決まる。すなわち、振り子無し・パノラマグリーン無し・コンセント付きというビジネス志向の汎用車・287系の新造である。


2012年には381系一般編成を置き換えると共に、「スーパーくろしお」・「オーシャンアロー」共に愛称の使用を中止して観光路線からの脱却を鮮明にする(※3)。非振り子車投入のニュースは485系時代同様の大幅スピードダウンを予想する者も少なくなかったが、車両性能の向上(※4)により485系よりは相当速く走っており、381系と比べても5分程度の所要時間増(天王寺駅~白浜駅間)に留まっている。

「スーパーくろしお」編成についても、2015年3月の北陸新幹線開業で余剰となる在来線特急車を転用しての全廃が決まり、同年秋より289系に置き換わった(※5)。こちらも振り子機能は搭載されておらず、新宮までの所要時間が381系時代よりも若干延びた。ただし天王寺駅~新宮駅間の最速列車の所要時間は3時間48分、平均4時間1分であり、381系が投入された昭和53年10月のダイヤと比較(最速3時間53分、平均4時間前後)すれば遜色はない…というか、非振り子式車両の最速列車は振り子式車両デビュー時の最速列車よりもむしろ5分速い(※6)。

唯一の振り子式車両となった283系についても、最速他2形式とは誤差程度にまで所要時間が伸びてしまっており、いつでも非搭載車への置き換えが可能であると言われている。


2018年3月のダイヤ改正において、それまで1日7往復だった新宮発着の列車が1往復減便され、1日6往復体制となった。同時に、289系の新宮乗り入れが開始された。


2023年3月のダイヤ改正では、梅田貨物線の一部地下化によって同線に大阪駅の地下ホーム(通称・「うめきたエリア」)が設置され、これまで経由できなかった大阪駅への停車が実現した。


こうした結果、かつて1日1本、天王寺・和歌山・紀伊田辺・白浜のみ停車であった「黑潮號」は、1日15往復以上、多い場合同区間のみで10駅近く停車という地域密着列車へと性質を大きく変えている


脚注編集

※1:気動車特急としての「くろしお」と運命を共にした車両に「キハ81形」がある。初期型の先頭車で、当初は故障を頻発し、デザインとしても後に続かなかった発展途上の存在ではあったが、引退後1両が「くろしお」のヘッドマークを付けた状態で保存され続けている。沿線での存在感の大きさがうかがえるエピソードである。


※2:つまり、現在のグリーン車が端に寄る編成形態は、この時の力技がベースとなっているわけである。後に一般的な編成で存置されていた編成も同じく力技で内装だけ入れ替えられ、形態が統一された。


※3:この時点でも在籍3形式の運用はそれぞれ独立しており、識別のために窓口や時刻表の上では引き続き愛称を使用する様子が見られた。逆に言えば、現場の不便を推してまで列車名の統一を強行したわけであり、JR西日本の不退転の決意がうかがえる。


※4:和歌山~紀伊田辺間に多く点在する半径400mのカーブの制限速度は、振り子式車両が95km/h、287・289系や223・225系などのJR型一般電車が85km/h、113系などの国鉄型一般電車・気動車が75km/h、貨物・客車列車が70km/hに設定されている。


※5:289系は北近畿方面にも投入されており、その数が揃うまでの間は一時的に「くろしお」から撤退した381系が運用されてもいた。あくまでJR西日本社内での位置付けの話ではあるが、同地方との関係が強まっている事も近年の傾向である。


※6:ただし、1978年当時は「阪和線内の最高速度が全線100km/h以下」などの制約があった。


余談編集

  • 287系・283系・381系の3形式で走っていた2015年までは、それぞれくろしおA・くろしおB・くろしおCと通称していた。これは各形式でドアの位置が異なり(特に381系)、列車ごとにホームでの誘導が必要だったため。381系の引退後はおおよそ統一されたことから、この呼称は廃止された。
  • 初めてイラスト入りのトレインマークが与えられた列車である。381系の投入にあたりメイン画像のものを用意され、以降は他の優等列車でもイラスト化が推進された。なお、283系以降はトレインマークは無くなったが、愛称表示の幕の「くろしお」のフォントは381系時代と同じものが使われている。

関連項目編集

日本国有鉄道 JR西日本 阪和電気鉄道 黒潮

キハ80系 381系 485系 283系 287系 289系

しなの やくも:他の381系使用列車。

南紀:名古屋から紀伊半島へ行く列車。

こうのとり きのさき はしだて:他の287系・289系使用列車。

はるか:他の阪和線特急列車。関西空港連絡。

なにわ筋線


ウィキペディアでの解説

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