キハ80系
きははちじゅっけい
1960年に東北本線・常磐線の特急「はつかり」用として先行試作的に新製されたグループと、翌1961年(昭和36年)の「36・10」改正対応として量産されたグループ(キハ82系、キハ80系82形とも)に分けられるが、基本設計は同一でありベース形式となる中間普通車(キハ80)等は同形式の続番号となっていることから、一括して「キハ80系」と呼ばれる。
試作車グループ(別称「はつかり形」)については運転台付車両であるキハ81の記事を参照されたい。
晩年は試作車グループも量産化改造され、量産車と混用で運用された。
なお、「キハ80系」は新製能電車に倣って附番された後継のキハ181系などと異なり、キハ10系以降の2ケタ番号による液体式・軽量車体の一般形気動車に基づく形式附番をされている。したがって本来、「系列」という概念はなく、あくまで便宜上の区分、呼称である。国鉄時代の新製特急用気動車としては唯一の例となる(後にJR化後キハ71系(改造)・キハ72系(新製)が登場しているが、ジョイフルトレイン的存在であり、キハ281系やキハ187系とは一線を画す)。
ただし、機構上、キハ80系は制御線電圧が直流100Vと他の気動車(直流24V)と全く異なるため、実際には混結しての総括制御は不可能である。
キハ82系グループとなってからの特急増発期に車両故障で後ろに1両キハ58系(キハ28-7)をつないだ編成が1回だけあったが当該車両はぶら下がりであり、北海道でのリゾート列車用にキハ183系を併結可能にした編成は編成ごと制御電圧を変更、逆に従来のキハ80系とは繋げなくなっている。
「キハ82系」グループ
1961年10月のダイヤ改正に対応して量産された。キハ81系で特に初期に頻発したトラブル等をフィードバックして改良されたグループ。
投入された列車の一つにちなみ「白鳥形」とも称される。
最大の変更点は先頭部形状がボンネット型から分割・併合や増結を見越した貫通型に変更されたことである。その他、食堂車(キシ80)への走行エンジン搭載、ディスクブレーキ採用等が行われた。
北は旭川駅(のち網走駅・釧路駅)から南は西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)まで、四国を除く全国各地の非電化区間に特急列車網を拡大した功労者である。
(なお、四国へはJR移行後にジョイフルトレイン改造車が団体臨時列車として入線を果たしている)
幹線の電化や老朽化に伴い1970年代後半から廃車が進行した。
国鉄分割民営化時にはJR北海道とJR東海へ承継されたが、JR北海道所属車は1992年に一般車が、2007年にジョイフルトレイン改造車が全廃された。JR東海所属車は唯一定期列車運用があったが1992年3月13日をもって紀勢本線の特急「南紀」を最後に定期運用からは撤退。1995年に臨時運用からも退き、2009年に保存車として車籍が残っていた車両が除籍され全廃された。