本項目では、JR西日本が運行している特急「こうのとり」の前身、「北近畿」時代について説明する。
概要
国鉄分割民営化直前の1986年11月のダイヤ改正で、福知山線宝塚~福知山駅間及び山陰本線福知山~城崎駅(当時)間の電化に伴い、それまでの気動車特急「まつかぜ」・急行「丹波」「だいせん」などを置き換える形で誕生した。
使用車両は485系(運転開始当初。後に七尾線電化の際、113系を415系に改造するために交流機器を撤去し183系になる。JR東日本の183系とは別系統)で、半室グリーン車を連結。
運行開始当初、381系の新製投入が計画されたが、慢性的赤字に苦しんでた国鉄末期の状況であり、485系が転用された。後にくろしお用の381系が代走で使われている。
2011年3月、287系導入に合わせて名称がこうのとりに改められた。
運転開始当初と末期だけを比べると、車両やダイヤなどの運用面はほとんど同じで、最後まで新大阪駅・大阪駅~城崎(温泉)駅間を485系(~183系)で運転していたという印象が強いが、途中には城崎温泉以遠の非電化区間に直通するキハ65形改造の気動車特急「エーデル北近畿」・「エーデル鳥取」を運転したことや、北近畿タンゴ鉄道(現・京都丹後鉄道)宮福線に乗り入れする気動車(「エーデル丹後」)を連結していたこともあった。
末期には雷鳥で使われていた485系(⇒183系。以前の時と比べて、交流機器を撤去せず停止しただけの改造)が入れ替わりで入ったことで、車両の入れ替えも激しく、この後の時代を含めて短期間で多くの改造形式を産みだした。
また最終年になって381系が短期間の代走のみ使われるなど、車両趣味的にはかなり激動している。