概要
101系で採用された、「MT46主電動機」。この歯車比を変えるだけで特急形から通勤形まで対応できる主回路システムは優秀であり、101系登場以来1962年までに2700両もの新性能電車が製造された。
そして動力近代化の進展により電化区間が延伸するにつれて、25‰の勾配が連続するような線区にも電車が進出し始めた。しかし、MT46では出力が不足し、編成中の電動車の割合を高くして対応する必要があった。
そこで開発されたのが「MT54主電動機」である。このMT54は上記のMT46と比較して出力が20%上昇し、25‰の勾配を電動車比率1:1で運転可能なモーターであった。
このモーターを111系に取り付けたものが本形式である。
115系や415系とは兄弟車といった関係であり、415系の後期車や115系の広島用2扉といった国鉄末期の投入車を除き、車体デザインなどはほぼ共通の設計であった。
415系は本形式の交流電化区間用といった位置づけであり、民営化後に登場した415系800番台は前述の共通性を活かす形ですべてこの113系から改造されて編入されている。
115系は勾配のきつい路線用に製造されたため、抑速ブレーキやノッチ戻し制御などの山岳線区向けの機器や機能が装備されているが、比較的平坦な路線での使用を想定して製造された113系にはそのそうな装備は搭載されていない。(例外あり)
また、115系が山岳向けであることからよく間違われるのだが、113系と115系の電動機出力や歯車比は同じであり、115系の勾配対策機能をカットする改造を行えば併結も可能である。
この他、国鉄急行型153系を源流とした東海顔を165系、451系、711系と同様に一定程度デザインを引き継いだ形式の一つである。
なお、113系自身もある程度の勾配を廃車回想程度なら超えることは可能であり、房総地区の車両は自力で上越線を走行して廃車回送されていた他、距離こそ長くはないがかつては横須賀・総武快速線品川駅~錦糸町駅間の34‰急勾配を恒常的に走行していたため少なくとも上越国境程度の勾配は越せることが証明されている。
1963年から1982年までの18年間で2909両が製造された。国鉄近郊型の主力として幅広く活躍したが、民営化後は老朽化や設備の陳腐化、さらにVVVF制御など新技術を採用した後継車種の登場などの理由から東日本や東海を中心に急速に廃車が進んだ。2024年3月地点ではJR西日本に52両が残るのみである。
スペック(wikipediaより引用)
起動加速度 | 1.6km/h/s(MT比1:1時) |
---|---|
減速度 | 3.0km/h/s(常用最大)4.0km/h/s(非常) |
営業最高速度 | 100km/h(高速化改造車は110km/h) |
設計最高速度 | 100km/h(高速化改造車は110km/h) |
定格速度 | 52.5km/h(全界磁)84.5km/h(40%界磁) |
全長 | 20,000mm |
全幅 | 2,956mm |
全高 | 4,077mm |
ブレーキ方式 | 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ |
形式
113系は111系の出力増強形という位置づけから、モーターを搭載しないクハやサハといった車両は111系と共通ということになった。
国鉄製造分
クハ111
制御車。先行して登場していた401系クハ401に準じた設計であるが、こちらは当初から高運転台である。
一部の車両をのぞいてトイレが設置されている。
0番台の場合、111系の続番で製造されており、奇数向きは0番台(クハ111-46以降)、偶数向きは300番台(クハ111-331以降)が割り当てられている。
モハ112
パンタグラフのついた中間電動車。
モハ113またはクモハ113とユニットを組む。
電動発電機、コンプレッサーなどを搭載している。
モハ113
モハ112またはクモハ112とユニットを組む。
パンタグラフのない中間電動車。
主抵抗器、主制御器などを搭載している。
クモハ112
パンタグラフのついた制御電動車。製造時は電動車として竣工し、その後に改造で運転台が後付けされた車両。
モハ113またはクモハ113とユニットを組む。
電動発電機、コンプレッサーなどを搭載している。
すべての車両がモハ112からの改造車である。JR西日本のみに所属。
クモハ113
モハ112またはクモハ112とユニットを組む。上記のクモハ112と同じく、電動車として竣工後に改造された車両。
パンタグラフのない制御電動車。
主抵抗器、主制御器などを搭載している。
すべての車両がモハ113からの改造車である。JR東海・西日本に所属。
サハ111
中間付随車。モハ112・113から編入された400番台とサハ111-5801、2000番台やそれから派生した1500番台や7000番台などを除きトイレが設置されている。
当初は付随車はクハで代用する方針であったことから登場は遅く、両数も97両(うち4両が115系から、それとは別の4両がモハ112・113からの編入車)と少なめであった。基本番代は1969年から製造されたが5両で終了。むしろ後続の派生形(1000番台など)のほうが製造両数が多い。
また、もともとの車両数の少なさに加え、短編成化などにともなって中間付随車は使い辛い存在となったこともあり、比較的早期に廃車されていった。
2007年5月30日、JR西日本に最後まで残っていた6両が廃車となり、形式消滅となった。
クハ113
JR四国がJR東日本から113系を購入し、番号を振り直した際、クハ111の奇数向き(0番台)に付与された形式。
クハ112
JR四国がJR東日本から113系を購入し、番号を振り直した際、クハ111の偶数向き(300番台)に付与された形式。
サロ110
国鉄のサービス向上で急行のグリーン車が冷房化されるようになり、新製冷房車を東海道本線急行列車に導入した。
それに伴い、東海道線急行に連結されていた非冷房かつリクライニングシート装備のグリーン車153系サロ152は山陽本線に転属した。
その山陽本線から玉突きで捻出された、非冷房かつ回転クロスシートを装備していた153系グリーン車サロ153の制御回線を小改造したもの(具体的にはジャンパ連結器をKE57からKE58へ、両者の線配置はほぼ同じだがKE58は着脱が容易な軽量タイプでピンの断面積が異なる)が本形式である。改造対象にはステンレス試作車の900番代も含まれたが、当時の情勢から塗装されてしまい、コルゲート車体に湘南塗装という異様な姿となった。
その後冷房化・方向幕装備などの改造や、一部は地下線用不燃化改造で1000番代への改造が施されるも、すべてが1960年以前製造と経年が高かったこともあり、1970年代後半には廃車が始まり、1980年には関西でのグリーン車連結廃止により900番代および冷房未改造車が消滅。
一部はJR東日本に継承されたものの、二階建てグリーン車が登場し始めた1992年までにすべて廃車になっている。
1976年からは老朽化した基本番代やサロ112の代替新造として、1200番代が登場。各部の構造変更や簡易リクライニングR-51シートの採用の他、急行用と同じTR69台車が採用。この時点で、113系グリーン車の基幹形式は当初のサロ111からサロ110へと移行したと見てよいであろう。なお、1978年より塗装規定の変更から、窓下の淡緑色等級帯が定期検査入場時に際し抹消されている。(他の急行用・一般用グリーン車にも適用された。そのため現役最末期のスロ54・62などは非常に味気ない姿となってしまった。)
JR東日本の一般型電車が東海道線に本格投入され、東京口の113系が引退した2006年まで東海道線の普通グリーン車として長期の間運用され続けた。
また、国鉄末期には余剰の特急・急行サロの転用先として無数の変形車が出現。車体断面と設備が特急型のまま異彩を放つ物(しかも特急グリーン車からの転用なので定員は48名で、サロ113としたほうが適切な車両であった)、サハ165に簡易リクライニングを設置しただけの物など(車掌室がない)玉石混交のあり様を示した。特急改造車は一部のファンから「化けサロ」と通称された。これらは車体長などの構造上や着座サービスで問題も多く、ダブルデッカーのサロ124/125投入とE217系投入による余剰車の転属などで1998年までに全て廃車となっている。
サロ111
111系・113系オリジナルのグリーン車。
サロ153形をベースに製造されているが、台車はコイルばね仕様のTR62にダウングレードされ車掌室がなく、その分定員が4人増えている。
その後冷房化などの改造が施され、一部はサロ110同様地下線対応で1000番代に改造されるものの、1993年までにすべて廃車になり、形式消滅した。
サロ112
急行形では冷房付きグリーン車サロ165が標準扱いとなったことで、余剰となった153系サロ152および163系サロ163を制御回線を変更して113系に組み込んだもの(要領はサロ110と同一)。非冷房のまま編入されたものと、後年の急行型余剰の編入車である冷房車がある。
最終的には33両が編入改造されることとなった。(初期の改造車は塗分けが113系に合わせられたが後期の改造車は塗りが急行型のままであった。)
これらは下降窓であることからメンテナンスのノウハウ蓄積が十分でない国鉄の整備環境下では車体の腐食が早く、1979年までにすべて廃車になり、形式消滅した。
サロ113
これも113系オリジナルのグリーン車である。
全車地下区間対応、冷房車で落成している。
外観からサロ110の同系車と見られがちであるが、車体寸法および座席などの接客設備は急行型グリーン車に近似したランクの高いもので(腐食問題の深刻だった下降窓をユニットサッシに変更)あったのだが、サロ110に比べ定員は48名と少なく、混雑時に着座出来ないと不評を買うことに。(首都圏普通列車での優先事項は普通車・グリーン車共ラッシュ対策である)
成田空港開港に備えて奥行きの深い荷物棚を装備した。
そして幕張電車区に17両のサロ113が配置され、成田空港の開業を待ったが開港が遅れに遅れることとなった。
当時貴重であった冷房車をただ寝かせておくわけにもいかなかったため、全車横須賀線へと転用されてしまったが、定員の少なさから持て余され関西地区に転用。1980年に関西のグリーン車廃止により総武・横須賀線に帰還するが、着座サービスの点からはやはり足手まといと扱われていたようだ。
この車両は国鉄民営化後もJR東日本に継承されたものの、上記の問題もあって1998年までにすべて廃車となり形式消滅した。
JR東日本製造分
サロ124/125(JR東日本)
国鉄からJRに民営化された当初、東海道線東京口のグリーン車は一部列車で乗車率130%にもなっており、グリーン席の増強が早急に必要であった。また、一部のサロ110形およびサロ111形が取替時期に来ていた事も重なり、代替車の必要にも迫られていた。
当時は特急形のグリーン車が余剰になっており、それを増結することも検討されたものの、増結すると編成が16両編成に伸びてしまう。16両にするとなるとホーム延長を筆頭に問題が山ほど発生するのが目に見えることもあり断念せざるをえなかった。
そこで、編成両数を増やさずに席数を1.5倍にまで増やせる2階建てグリーン車が、同時期に登場した211系サロ212/213をベースにして製造されることとなった。これがサロ124形/サロ125形である。11両編成の4号車に固定で連結され、2階建(4号車)+平屋(5号車)の組合せで運用された。
車体構造上は211系とまったく同仕様の軽量ステンレス車体なのだが、初期製造車は国鉄型発生品のTR69を履いている。211系改造転用時もブレーキや制御引き通しは211系のものに変わったが、台車はボルスタレス台車に換装されず、廃車までそのままだった。
これは大径心皿式のTR69と、どちらかと言えばDT21などの中心ピンのほうが作りが近い211系の牽引装置との構造差から、これを取り替えると工期も延びて改造費が嵩むという理由もあったが、重量が重めなこと以外、乗り心地の点でなんの難点もないTR69を取り替えて廃棄する必然性がなかったためである。
これらの形式は車齢が若かったため、後に211系に改造されて引き続き運用されたが、2014年までにすべて廃車になり、形式消滅した。
モヤ113(JR東日本)
運転士の養成なと乗務員訓練用にモハ113を改造して誕生した形式。営業運転には使われない事業用車両である。
1990年にモハ113-68がモヤ113-1となったが、冷房が付いていなかったため、1995年に廃車され、代わりに、1981年に冷房改造されていたモハ113-192をモヤ113-2に改造して使用した。
そのモヤ113-2も2005年に廃車となり、形式消滅した。
JR西日本改造分
415系800番台(JR西日本)
- 415系も参照
1991年3月、七尾線が直流電化されるのにあわせて、交流の北陸本線と直通運転するために交直両用電車が必要になった。
しかし交直両用車は新製すると高価であり、少しでもコストを抑えたかったJR西日本は、既存の113系と福知山線で交流機能をもてあましていた485系を改造することにした。
113系に485系の交流機器を移植し、113系は415系800番台として、485系は183系として再スタートを切ることとなった。
編成組成はクモハ415-モハ414-クハ415の3連となる。
モハ414には交流機器を搭載するためMG/CPの補助機器を積むわけにいかない。当時JR西日本管内の113系に残存していた1970年代前半に行われた試作冷房改造車の一群はクハに既に補助機器を搭載していたため、それらを利用する判断が下され、管内各地からことごとく掻き集めらえた上に、福知山線用の800番代と複雑なユニットの組み替えを行った。その結果としてクハ415とモハ414は元試作冷房車や元量産試作冷房車が種車となった。(ただしモハ414-801の種車はどちらにも該当しないモハ112-801)
113系時代とは異なり、ベンチレーターはグローブ形から押込形へ変更された(後の再延命に伴い撤去)。
寒冷地運用のため800番代同様に耐寒改造もほどこしてあるため、七尾線電化開業前は、2代目福知山色に塗られたうえで福知山線で暫定運用が行われたこともある。
なお2020年秋から、新型車両521系に置き換えが始まった。521系100番台投入完了に伴い、ダイヤ改正前日の2021年3月12日を以て約30年間にわたった七尾線の運用を終了(ちなみに引退後、ICOCAが導入された)。運用離脱した編成は金沢総合車両所松任本所(C06編成とC09編成のみ金沢総合車両所運用検修センター)に同時に運用離脱した413系等と共に留置され、2021年4月25日から2023年8月25日にかけて吹田総合車両所本所へ解体の為配給された。
番台区分
国鉄
0番台
1963年から製造され、東海道本線や横須賀線に投入された。
モーター出力の強化とそれに付帯する機器類の変更がなされた以外は111系とほぼ同一構造である。
偶数向きの制御車には300番台が割り振られている。(後に山陰本線にも300番台を名乗る113系(後述)が現れるが異なる車両である)
全車廃車されているが、415系800番台に改造された一部の車両は2023年まで生きながらえた。
その中でもモハ414-802(元モハ113-12:1963年製造)は、2021年3月の引退まで、製造時から車体を載せ替えていない現役最古の新性能電車として七尾線を中心に活躍していた。
1000番台
横須賀線と総武線を地下路線を介して直通運転することが決定、1972年から1976年にかけて横須賀線・総武快速線の地下区間(現在の品川―錦糸町)が建設された。
しかし、長い地下トンネルを通るために不燃化等が必要とされ、それに対応すべく製造されたのがこの1000番台である。
具体的には床材に使用していた木材を塗床材を充填する構造に変更、腰掛けの難燃化、貫通路窓ガラスに線入りのガラスに変更、床下配管のダクト化、主回路ヒューズの移設などである。
また、横須賀線への1000番台投入で余剰となった0番台は関西地区に転用され、万博輸送に用いられた後、初代「新快速」として活躍した。ただし、後述の1000'番台投入に伴い当初の予定であった地下区間へは充当されずに東海道線と房総地区、一部は東海地区や関西に転用された。
1000'番台
前述した横須賀線と総武線をつなぐ地下路線であるが、34.3‰の急勾配や曲線の連続などで見通しが悪く、中継信号機が多数必要であったことから、ATS方式で開業させるという当初の計画を変更し、ATC方式で開業することとなった。
そのため、ATCに対応した車両が必要となったが、1000番台をATC化するよりも新規にATCに対応した車両を製造するほうが効率的だとされ、この1000'番台が製造された。
1000'番台と後述する1500番台はATC機器設置の影響で干渉する空気笛を下部に移設してあり、外観上の特徴となっている。また、助手席側後部にATC装置搭載スペースが用意され、その部分の窓が埋められている。(後述の1500番台も同一のスペースがある)
また、1000'番台の第一陣は、冷房化工事準備車として落成し、113系唯一の冷房化工事準備車となった。なお、このタイプは1990年代までに当初の予定通りにAU75で冷房改造が行われた。
なお、すでに製造されていた1000番台は房総地区や東海道線東京口に転用された。特にサハは不足気味であったため、ユニットサッシの0’番代が主力を占める中、後年の更新工事も施工され晩年まで活躍した。
注:後述の0'番台と1000'番台は鉄道マニアによって作られた用語で、公式の名称ではない。
700番台
1974年7月、湖西線が開業するのに合わせて製造された。
湖西線の走る滋賀県北部は雪の多い地域であり、雪国に対応する装備が必要とされたため、耐雪ブレーキや半自動ドアなどの耐寒耐雪装備を有する113系となった。
115系と違い、抑速ブレーキやノッチ戻し制御は装備されていない。
本来であれば115系を投入すべきであるが、大阪地区での一般型113系との限定的な混運用も考慮し113系として製造された。(先にも書いたが115系は勾配抑速機能カット改造を行わないと113系と併結出来ない)
また、開業の2年前に発生した北陸トンネル火災事故を教訓に、難燃化・不燃化を推進する方針から、地下線向けの1000'番台と同様の基準としている。
後述の高速運転対応工事などを受けつつ2023年3月まで運用された。
0'番台
1975年3月のダイヤ改正で、山陽本線や呉線の輸送改善を実施するために、首都圏で111系を捻出する必要があった。
そこで0番台を増備することとなったが、前述の難燃化・不燃化を推進する方針から、700番台と同じような難燃化・不燃化対策を行う必要があった。
これに対応したのが0'番台である。1974年11月より製造された。一時期は東京口の東海道線運用は当番代が主力となり、E231系投入まで長く活躍した。現在は岡山において先頭車が残存。福知山に残る5300番台車も当番台からの改造車である。
2000番台
80系等の旧型電車をさらに置き換えるため、113系は増備され続けたが、方針の変更などでマイナーチェンジが行われることとなった。
この2000番台は、シートピッチと座席横幅が拡大され、座り心地を改善した他※、トイレの削減を行う方針の影響で、トイレのない先頭車が新たに製造され、以降の113系の標準となった(ただし、この方針は後に見直され、再びトイレを設置するように戻っている。2000番代初期車のみで組成された基本編成があるとすると、普通車には基本編成11両中大阪よりの1両しかトイレがないことになり、トイレのない側の端の旅客の利便を著しく欠くため)。
国鉄末期の混乱期に製造されたため、妙に接客に関係ないデッドスペースが多いほか、付番体系にも混乱が見られる。
※国鉄か主張するほど居住性が向上したわけではなく、寸法が違うだけで改設計の手間ばかりかかった実質的には変わり映えのしないマイナーチェンジであった。また、直流電化区間の平坦線区近郊電車であれば全て画一に仕様を決めたため、東京近辺のシートピッチを拡大しない方がよい線区と、地方の仕様を一緒くたにしたあたりも問題であった。
座席幅まで拡大してしまったため(930→1075)通路は縮小し(860→570)、当然ラッシュ時に客が押し寄せてもなかなかドア間中央付近まで客が流れない。
問題が顕在化しなかったグループとしては115系1000番代があるが、耐寒性能向上のため雪切り室を付けたらスペースの関係で車端部にクロスシートを作れず(結果的に動力車の端はロングシートだけとなる)、ラッシュ時の収容能力が上がったが、最低限東京向けだけでも113系もこうしたほうが良かったであろうと思われる。(211系以降は適用している)
1500番台
横須賀線・総武快速線の直通用車両を増備するにあたり、横須賀線・総武快速線でも1000'番台をベースに2000番台に準じたシートピッチ改善等を行った車両を投入することとなった。
そこで生まれたのがこの1500番台である。
ほぼ2000番台のクハにATC機器を搭載しただけであり(中間車はサボ受けがあるかないかしか違いが無い)、サハは2000番代が転用されることもあったほか、最末期を除いて1000’番代と混結されていることが多かった。
民営化後の晩年は房総ローカルに転用された他、サハを含めた一部は東海道線にも転用された。その後209系投入時にひっそりと廃車になっている。
2700番台
1980年3月、草津線が電化されることとなり、湖西線と共通運用するために耐寒耐雪仕様の113系が必要となった。
その際、700番台をベースに2000番台に準じたシートピッチ改善等を行ったタイプである。
また、1983年から1984年にかけて両番台の短編成化(6両→4両)が行われ、先頭車が不足したが、その際2000番台を2700番台に改造した車両が編入され、700番台や、既存の2700番台と組み合わせて運用された。
その後、民営化後の2003年小浜線電化の際も2000番台からの改造車が編入されている。(ただし後述の高速化改造により、既に2700番台はすべて7700番台に改番されていたため、7700番台の追番として編入された。)
後述の高速運転対応工事などを受けつつ2023年3月まで運用された。
サハ111形300番台
1985年ダイヤ改正で房総地区の列車が増発されるのに合わせて、先頭車が不足した。
そのため、中央東線で余剰となった115系のサハ115形300番台を113系化改造の上、東海道線に転用することで、東海道線で中間付随車の代用となっていた先頭車を置き換え、房総地区に先頭車を捻出した。
その際、115系から改造されて生まれたのがこのサハ113形300番台である。改造内容は半自動扉の回路を全自動回路とし、引き通し線を変更した程度である。そのため、半自動扉用のドア取手が残っていた。(他に700番台や2700番台などの耐寒耐雪形の113系にも取っ手がある。)民営化後に302、303は車内がトイレ部を除きロングシートに改造されている。
1999年12月8日にサハ111-303が廃車となったことで形式消滅となった。
サハ111形400番台
1986年11月のダイヤ改正で東京口のローカル用編成の見直しが行われることとなり、モハ112・113がサハに改造された。その際生まれたのがこのサハ111形400番台である。
113系モハ113-273とモハ112-273がサハ111に改造されてそれぞれサハ111-401・402を名乗り、東海道線東京口で活躍した。
また、民営化後の1988年にもモハ113-1058とモハ112-1058が改造されてそれぞれ追番であるサハ111-403・404を名乗り、同じく東海道線東京口で活躍した。
こちらも403がロングシートに改造されている。
2000年3月3日にサハ111-403が廃車となったことで形式消滅となった。
800番台
国鉄最後のダイヤ改正である、1986年11月のダイヤ改正で、福知山線の電化区間が宝塚から城崎(現城崎温泉)まで延伸し、ここにも113系が投入されることとなった。
しかし、この線区は雪の多い地域であり、耐寒耐雪装備が必要であった上、輸送量も少なかった。そのため、113系0番台の最初期の非冷房車を捻出し、扉の半自動対応などの耐寒耐雪化改造の上、2M2Tの4両編成と中間電動車を先頭車化改造した2Mの2両編成を投入し、800番台とした。
中間電動車のモハ112とモハ113を先頭車化改造したことにより、113系にクモハ112とクモハ113という新形式が加わることとなった。なお、クモハ112化改造の際にはトイレが設置されている。
一見すると本気で改造した様に見えるが、当時の国鉄の財政事情から中途半端に手を抜いた物となっていた。ベンチレーターは初期車であるためグローブ形のままである。ちなみにグローブ形は換気量が大きい反面、降雪時に雪が室内に入り込む欠点があることから、本来は押込形に交換する必要があった。しかし、改造コスト削減の為、車両前後方向の吸気口を板で塞ぐといった簡単な物となっていた。また、扉の半自動化に関してもドアエンジンの交換が必要となるが、これも本来半自動対応でないドアエンジンを無理矢理半自動化するという手法が取られた。半自動時に乗客がドアを手で開ける場合、純正の半自動でさえ重いドアが輪をかけて重くなったため、取っ手は持ちやすいよう従来より大型の物が設置された。
JR西日本に継承された後に冷房化が行われ、当初は集中式のAU75系が使われたが、構体の補強および電源用三相交流引き通し増設の工事が伴い、多額の費用と時間を要していた。そのため、AU75系に比べて冷却能力が劣る分散式のWAU102形による簡易的な冷房改造が行われた。しかし、非冷房車の割合が高い800番台の場合、それですら負担となったため、より簡素なバス用冷房装置を応用したWAU202形が使われていた。
また、ライトもシールドビームに改造されたが、途中からコスト削減の為、白熱灯用ライトケースに口径差を解消するリング状の枠を取付けてシールドビーム灯を設置する方式(いわゆる陥没チクビーム化)が行われた。
また、クハ111-819は一時期、103系のシールドビーム化のようなアダプターを取り付けてシールドビームが4灯取り付けられ、前面幕がLEDに改造されたという。
なお、途中で白熱灯のまま放置された車両もあるため、前述の冷房化改造と加わり車両毎の形態差が複雑化することになる。
先に記した415系化改造や、3800番台への改造の際、種車として一部が使用されている。
また、クハ111-806・816は高速化改造が施されて5800番台となり、京都地区で2005年まで活躍した。
最後まで残ったのは下関区所属のクハ111-811・812で、115系の制御車として代用しつつも2016年1月まで活躍していた。(形式変更した車両を含めると415系800番台に改造されたクモハ113-812とクモハ113-805)
JR東海
5000番台/6000番台(JR東海)
JR東海は冷房化を進める上で、新型のインバータークーラーを開発した。
その際、電源は直流のほうが都合が良かったため、新たに直流600Vの線を引き通した。
そのため、番台が区分され、元番号に+5000された。また、電源にSCVを搭載した先頭車は+5000ではなく、元番号+6000とされた。
2000年4月26日に最後の4両が廃車されたことで形式消滅となった。
600番台/700番台/2600番台/2700番台(JR東海)
東海道本線東京口を走るJR東日本の113系ではATS-Pの設置や、ブレーキ性能向上が行われていたため、それらに付属編成(12号車~15号車)として連結されるJR東海の113系にも同様の工事が実施された。
改造当初は改番はなかったが、区別のため後から改番が行われ、600番台、2600番台、奇数向き先頭車は700番台、2700番台となった。
湖西線・草津線向けの700番台・2700番台と番号が重複する可能性があったが、そちらは高速化改造が施工され、後述する5700番台・7700番台になったため、重複は免れた。
JR東海内では異端装備車であり、高速運用による痛みも速かったためE231系投入と同時に早期に淘汰されている。
8000番台(JR東海)
中央西線には、南木曽-贄川間に架線高さの低い区間があるため、普通のパンタグラフの車両は入線できない。
そこで中央西線中津川以東に113系を乗り入れさせるため、2001年7月3日・13日に2000番台4両のパンタグラフをC-PS24Aに換装し、その車両は種車の2000番台に6000を足した8000番台とした。
パンタグラフの交換による派生形式であるため、パンタグラフのあるモハ112のみが改番され、パンタグラフのないクハ111やモハ113は2000番台のままとされた。
2007年11月13日に最後の1両が廃車となり形式消滅した。
JR西日本
5000番台/7000番台/5700番台/7700番台など(JR西日本)
1989年に最高速度120km/hの221系が登場したことに伴い、近畿地方で運用されている113系も最高速度を100km/hから110km/hに引き上げる改造を行った。
変更点は台車やブレーキの強化に留まり、モーターは要求性能を満たしていたため手を加えられなかった。これらには元番号+5000が付与され、未改造車との識別を図った。
また6M2Tなど、電動車比が高い編成の一部電動車は同時にブレーキテコ比変更も行われ、テコ比を変更した車両は0番台は+1000、700番台は+50、2000番台では+500と非常にややこしい番号の付け方が行われた。
後に中国地方に転属した車両は、高速化を解除して原番復帰した。
クモハ113(112)形300番台・5300番台(JR西日本)
山陰線の綾部-福知山間・園部-綾部間が電化されるのに際し113系が導入された。
クモハ112・クモハ113のみで構成される。クハやモハ、サハなどの300番台は当系列とは別番台の車両であるので注意が必要。
輸送密度を考慮し、既存のモハ112・113を改造の上、2両編成でワンマン仕様の113系が導入された。これが300番台である。
運賃や切符の回収など乗客の乗降時に運転士が対応するワンマン運行に都合がいいよう、出口として指定される事が多い一番前の客用扉が64cm運転台側へずらされており、他の113系とはドアの位置が合わない。
また、扉は電気式半自動装置が設けられたが、最初から電気式(ドアボタン式)での半自動化であったため、700番台や2700番台、800番台などにあるドアを手動で開けるための取っ手は設置されていない。
京都-園部間は嵯峨野線の4両編成と併結して運転するため、園部駅での連結・開放を省力化するために自動解結装置を装備している。
塗装は湘南色であるが、ワンマン対応であることが識別できるよう、緑と橙の塗り分けの間に細いクリームの帯が挟んである。
なお、5300番台は300番台の高速化対応タイプで、現在は全車が5300番台になっている。
また、9編成改造する予定だったが、阪神•淡路大震災などの影響で第1•6•8編成は欠番となっている。
現在は地域色の緑色に塗られたものが走っている。
7500番台/7600番台(JR西日本)
山陰線園部以西が電化され、自動解結装置を装備した300番台が導入されたのは前述のとおりであるが、当然ながらその連結相手にも自動解結装置の設置が必要だった。
そのため、嵯峨野線用の2000番台に対して自動解結装置の設置と扉に電気式半自動装置の設置が行われた。前述の山陰線用300番台と同じく最初からドアボタンで開閉する方式であるため、ドア取っ手は設置されていない。
工事を行った車両は区別のため、奇数向き先頭車が7500番台、偶数向きが7600番台が付与された。
なお、その後同様の工事が5700番台にも行われたが、そちらについては「L編成」「C編成」と編成記号で分類されるに留まり、改番はされなかった。
3800番台(JR西日本)
- サンパチ君も参照
福知山周辺の輸送力の実態に合わせて、415系800番台の改造による組み替えで3両編成となった800番台を2両編成に短縮し、ワンマン化する工事が行われた。
その際中間車を先頭車化するに当たって、従来であれば台枠を含む車端部を切除し、先頭の前面のみ別で作成したり、廃車となった車両の運転台(主に連結されていたクハ111形、一部当該改造対象外だったクモハ112-808)を切り取ってくるなど、何らかの方法で先頭部分を調達し、それを取り付けるといったことをする。
しかし、その方法では手間とコストが掛かり、主要構造の台枠を切断する事は強度上問題も多い。そのためにあえて上記の工法を行わず、妻面に窓を取り付け、運転台機器を搭載した独特の前面スタイルとなった。
特に先頭車化改造された側についていた黄色の無骨な全面強化板が強烈な印象を放ったこともあり、ファンの間からはゲテモノだの迷列車だのと言われつつもなんだかんだで人気であった。
しかしながら、もともと車齢の高い車両を改造したため老朽化が進行、改造後8年で223系5500番台に置き換えられた。
その見た目のインパクトの強さからか、わずか8年間の活躍ながらも、トミーテックの鉄道コレクションにおいてモデル化されている。
クモハ113(112)形2058・2060(JR西日本)
紀勢線の輸送力の実態に合わせ、それまで運転されていた165系を置き換える形で113系7000番台を2両編成、ワンマン化に改造する工事が行われた。
こちらも3800番台と同じく切妻構造であるが、こちらは伯備線向けの115系と同じく切妻構造の先頭を新規製作して取り付けたようである。見た目はずんぐりした103系と言えばわかりやすいだろう。
外観は後述の体質改善40N工事並の張り上げ屋根化や窓サッシ交換が行われているが、内部の座席等は延命N工事レベルで、座席はセミクロスシートである。ただし車椅子対応のトイレが追設されている。
改造に伴って高速化も解除され、2000番台に番号が戻っている。
2編成4両しかいない少数民族。そのため検査時は日根野支所の223系・225系の4両編成が車掌乗務の上で代走する。ちなみにこの日根野支所への出入庫運用のため、阪和線和歌山方の始発と終電(いずれも日根野発着)はこの2両編成の車両で運用されていた。
何故か阪和線の225系大量導入で置き換えられなかったが、2020年ダイヤ改正で227系1000番台に置き換えられた。(同時にICOCAも導入)(プレスリリース※PDF)
JR四国
クハ113/クハ112ほか、JR四国の113系
末期の国鉄では民営化後を考えて四国に121系を導入したが、運用の実態からすると少々車両が不足気味であった。そこで111系4両編成3本の12両を投入し、民営化を迎えた。
JR四国ではしばらく冷房化などを行いつつ111系を使用していたが、老朽車であるがゆえ故障が多く、置き換えの必要があった。しかし本州3社と違い、経営基盤の弱いJR四国では新車を導入する余力は無い。そんな中でJR東日本から中古の113系を購入することでなんとか話がまとまり、4両編成3本が登場した。
導入するにあたり車内や前面、塗装を大幅に改造、接客設備と安全性の向上を図り、2000年にデビューした。
主な工事箇所は前面方向幕の移設、方向幕跡地に前照灯の増設、前面強化、転換クロスシート化、車内LED表示板設置、ドアボタン設置、中間車にドアカットの際に用いる車掌スペース設置、ATS-P撤去、屋根の張り上げ屋根化など多岐にわたる。
工事にあたってはJR西日本で施工が進められていた体質改善工事(後述)を参考としたという。
また、導入の際に新たに番号が振り直されており、113系にクハ112、クハ113が新たな形式として加わった。また、モハ112・モハ113についても1番から車番が振り直されている。(当時モハ112・113の1・2は1991年に高速化工事を受けて5001・5002となり、3は1999年に廃車となっており、車番が重複することは無かった。)
JR四国所属編成は、2016年3月19日に第3編成が引退、2年後の2018年3月末に廃車され、残った第1編成と第2編成も2019年3月のダイヤ改正で引退した。
改造
改番を伴わない改造
前面強化車(JR東日本)
1992年9月14日、成田線の大菅踏切で113系普通列車と過積載のダンプカーが衝突し、列車先頭部が大破、列車運転士が死亡するという痛ましい事故が起こった。それを受けてJR東日本では踏切事故対策として113系などの前面にステンレス板を装着することで先頭部を強化する工事を行った。
これは1992年時点で1972年以前に製造された、前面強化工事が未施工の車輛が対象で有り、1973年以降製造である1000’番代中期以降の、製造時より強化構造になっている車両および、事故以前に定期修繕で強化工事が施工されていた車両は対象にならなかった。(0’番代は1974年以降製造のため施工車はない。1500番代・2000番代は当初から強化構造になっている)
また、113系ではアンチクライマーを左右4枚づつ装備した。この工事が行われた際、緊急対策であったため、ステンレス板を塗装しないままむき出しで運用に復帰することとなった。そのため、ファンからは「鉄仮面」と呼ばれる事となった。
しかし、その後の検査入場時にはステンレス板部分にも塗装が施され、ステンレスむき出し状態は短い期間で終わることとなったものの、急ごしらえで設置された強化構造は廃車期まで目立つ特徴となっていた。
なおE217系以降の電車ではこのような踏切事故の対策としてクラッシャブルゾーンを設けている。
注:JR西日本の113系などにも鉄仮面と呼ばれるものがあるが(後述)、全く異なるものである。
ロングシート化改造
混雑が激しい東海道線および横須賀・総武快速線において0'/1000/1000'番台の一部車両に施行された。クハ・サハ111形のトイレ対向部以外の座席を全て撤去した上で211系に準じたバケットタイプのロングシートに交換した(ただ、座席は107系のそれと同様の構造だった模様)。また、後述の車両更新工事が併設されたものは211系に似た形状の袖仕切りが装備されていた。2006年3月の113系東海道線引退と同時に消滅した。なお、同種の改造は高崎・宇都宮線系統の115系にも施行されていた。
前面窓金属押さえ化(JR西日本)
JR西日本の関西地区では、劣化したHゴムから雨水が侵入したりする事を防止するため、103系や113系などの体質改善(後述)が行われていない車両において前面窓(前面方向幕窓を含む)を金属押さえに改造する工事が行われた。その際に使用された金属部品が(東日本の全面強化車ほどではないものの)目立つものだったため、こちらもファンから「鉄仮面」と呼ばれる事となった。
ドアボタン設置(JR西日本)
前述の通り、JR西日本では113系でも耐寒耐雪仕様の半自動ドアを装備した車両がいる。
しかし、半自動扱い時は旅客がドアを手で開閉せねばならず(他車種にも言えることであるが、国鉄型半自動ドアはドアの開け閉め感覚が重く、若干力が要るうえ、車掌が閉操作をしないと完全に閉まりきらない)、きちんと閉めずに降りてしまう人がいるなど、改善の余地があった。そこで、ボタン一つでドアが開閉できるようにドアボタンが設置された。
その際、延命N工事・NA工事の車両では外部の戸袋窓が半分ほど埋められることとなり、外観の特徴となっている。ちなみに、内側の戸袋窓は埋められていないため、車内からは埋められた様子が丸見えである。
また、体質改善車は改善時に施工され、戸袋窓は狭められていない。
嵯峨野線の2000番台など、一部の耐寒耐雪形以外の車両にも施工されたものがあった一方で、800番台には設置されることはなかった。
延命・リニューアル関連工事
特別保全工事
末期の国鉄では、長年の赤字ゆえ、老朽化してきた113系初期車を置き換えるのではなく、延命工事でもたせようとする事となった。そこで外板や屋根、配管類や便所周りの補修を行い、約16年分寿命を延ばす工事を行った。
車両更新工事(JR東日本)
国鉄時代にやりきることができなかった特別保全工事を引き続き実施したもので、それを一層徹底的にしたもの。各種延命工事の他、網棚のパイプ棚化なども行われていた。
延命N工事(JR西日本)
国鉄時代にやりきることができなかった特別保全工事を引き続き実施したもので、特別保全工事に加えて座席モケットの張替えや、吊革の増設、化粧板の交換など、旅客サービスに関わる部分にも手を加えて製造後30年の使用を目標とされた。
延命NA工事(JR西日本)
国鉄時代に特別保全工事が行われた車両では、延命N工事で追加で行われた旅客サービス設備の改善が行われていないため、追加で工事が行われた。これが延命NA工事である。
体質改善車(JR西日本)
JR西日本では、既存の国鉄型電車を223系などの新型車両並の車内設備に改修する体質改善工事を1998年より実施し、内外装のリニューアルを行った。大きく分けて2タイプあり、製造後40年使用を目標とした体質改善40N工事と、旅客サービスに影響しない部分の工事を省略して製造後30年使用を目標とした簡易工事の体質改善30N工事である。これらをまとめて体質改善車と呼ぶ。
この工事は主に延命N工事・NA工事の行われていない2000番台以降の後期型を中心に施工された。(ただし、一部の中期型にも施行されている。特にモハ113•112-5719は既に延命工事が行われていた)
工事内容は、転換クロスシートへの交換、化粧板の交換、車椅子スペースの設置、前面窓のピラー撤去、塗装の変更などである。40N工事はそれに加え張り上げ屋根化、客室窓の交換も行われ、新車のような外観となった。(クモハ113•112形は転換クロスシートへの交換、化粧板の交換が施行されていない)
しかし、全車に工事が及ぶことはなく、40N工事車や30N工事車、未更新車が入り混じって運用されており、張り上げ屋根となった40N車と張り上げ屋根ではない30N車や未更新車が混結された編成などではかえって編成美が損なわれる事となった。
2010年代も半ばになると、車齢は30年、40年を越えるものが多数出てきており、延命N工事・NA工事車を含めて"期限切れ"に陥ってもなお運用が続いた。
例外的に、サハ111は2004年10月16日の京阪神地区からの撤退と共に用途を喪失し、更新から数年で廃車となっている。
充当された路線
※は2023年4月時点で撤退済みの路線。
JR東日本
過半数にあたる1566両を継承。同社管内の113系はいわゆるJR世代の一般形電車の登場もあり、次々と後継車両に置き換えられていき横須賀・総武快速線からは1999年に、発祥の地である東海道線東京口からは2006年3月17日に撤退。最後まで113系が残り、國鐵千葉とまで揶揄された房総地区各線でも2011年9月1日で定期営業運転から引退。9月23日・24日にさよなら運転が行われ、10月15日の長野総合車両センターへの廃車回送を兼ねた団体臨時列車をもって完全に廃車。形式消滅した。
横須賀色
湘南色
JR東海
438両を継承。311系や313系に追われて数を減らしてゆき、2007年3月ダイヤ改正で運用終了し全廃済。他社と比べると大きな改造が施されず、原形を留めた車両が多数残存した。
JR西日本
民営化時に772両を継承したが、221系や223系等のJR車の投入によって大幅に数を減らしている。2010年代以降は体質改善車の廃車も珍しくなくなった。2023年4月には京都地区での運行を終了し、アーバンネットワーク管内から撤退。以降は福知山・岡山地区で最後の活躍を続けている。
- 東海道本線(琵琶湖線,JR京都線,JR神戸線)※(最晩年は草津-京都間の草津線と湖西線の直通列車、京都-向日町の回送列車のみ)
- 湖西線※
- 草津線※
- 奈良線※
- 山陰本線(嵯峨野線※)
- 福知山線(JR宝塚線)※
- 播但線※
- 舞鶴線
- 大阪環状線※
- 関西本線(大和路線)※
- 阪和線※
- 梅田貨物線※
- 和歌山線※
- 桜井線※
- 紀勢本線(きのくに線)※
- 小浜線※
- 山陽本線(姫路~三原間)
- 赤穂線
- 伯備線(倉敷~備中高梁間)
- 宇野線
- 瀬戸大橋線
- 呉線※
- 可部線※
JR四国
1999年にJR東日本から12両が譲渡された。後継車の6000系の登場もあり廃車が進み、2019年4月時点で全車が退役。なおこの引退により、JR四国内の全ての電車がVVVF制御となった。
私鉄
私鉄への譲渡車
- 伊豆急行200系も参照
過去に伊豆急行に老朽化した100系の置き換えとして、JR東日本から113系1000番台2編成8両が譲渡され200系として運用されていたが、伊豆急側は元々親会社の東急8000系で置き換えを行うつもりで、113系(と115系)の導入は8000系の廃車が発生するまでの「つなぎ」でしかなかった。
そのため早期の廃車を前提として大掛かりな改造は行われず、8000系の導入に目処が立ち次第全廃となった。
塗色パターンの例
2017年冬に京都地区最後の湘南色をまとった編成が後述の京都地域色に塗り替えられて消滅。現在は愛知県にある「リニア・鉄道館」や千葉県にある「ポッポの丘」の保存車で見ることができる。
2011年に房総地区より113系が撤退した際に消滅。現在は「ポッポの丘」の保存車で見ることができる。
阪和線・きのくに線から113系が撤退したことで消滅。
- 関西快速色(車体『白色』+帯『朱色』)
関西本線から113系が撤退したことで消滅。
地域色に塗り替えられたことで消滅。
小浜線から113系が撤退し、京都へ転属後に関西・岡山地区の体質改善色に統一されたことで消滅。6年間しか存在しなかった。
- 嵯峨野ワンマン色(湘南色+境界に『クリーム色』)
京都地域色に塗り替えられたことで消滅。
京都地区のほか、福知山地区でも使用される。
体質改善車と延命工事施工車では使用する塗料が異なる為、わずかに色合いが異なる。
- 和歌山オーシャン色(車体『オーシャングリーン』+帯『ラベンダー』)
和歌山地域色に塗り替えられたことで消滅。
- 和歌山地域統一色(オーシャングリーン)
阪和線・きのくに線から113系が撤退したことで消滅。
- 瀬戸内色(車体『クリーム』+帯『藍色』)
画像は115系。
中国地域色(末期色)に塗り替えられたことで消滅。
- 体質改善色(広島地区)、通称ミルクオレ(車体改善色の『ベージュ』が『白』)
画像は115系化改造された113系。
最後までこの塗装で残った広ヒロF-08編成は廃車後、福知山電車区の踏切事故の訓練車となっていたが、後に解体され消滅。
- 中国地域統一色(末期色を参照)
岡オカ(現中オカ)B-10編成は西日本豪雨による山陽本線不通により検査及び再塗装を吹田総合車両所で実施した為、次回の検査迄他の編成よりも若干濃い塗装となった。(現在は車番周辺のみ塗装が濃い)
- 旧福知山色(車体『黄色』+帯『藍色』)
新福知山色に塗り替えられて消滅し長らく無かったが、2024年6月に5300番台S9編成がリバイバルカラーとして京都地域統一色からこの塗装に変更された。
- 新福知山色(車体『クリーム色』+帯『緑色』+帯『茶色』)
福知山線から800番台が撤退したことで消滅。
- 福知山ワンマン色(3800番台)
3800番台が引退したことで消滅。
- 四国色
3編成が編成ごとにそれぞれ違う色をまとっているが、3色とも塗り分けは共通。
JR四国から113系が撤退したことで消滅。
その他にも塗装は存在する。(追記求む。)
保存車
リニア・鉄道館
- クハ111-1
湘南色、車内見学可能。(厳密に言うと113系ではなく111系である)
ポッポの丘
- クハ111-1072
横須賀色、先頭部のみのカットモデル。
- クハ111-2152
湘南色、先頭部のみのカットモデル。
長野総合車両センター
- クハ111-249
信州色、タイフォン形状や塗装の変更などで115系に似せてあるが、元は房総地区で活躍した113系。先頭部のみのカットモデル。工場公開時のみ見学可能。
模型化よもやま話
Nゲージの完成品は1976年の「グリ完」から始まり、1977年のTOMIXの1000番台から本格的な量産品が始まる。その後、1984年にKATOからシートピッチ拡大2000番台系列が発売され同時期にTOMIXも新金型でラインを切り替える(しかしモハの床下は1000番台の流用である)。その結果1984年から2000年近くに至るまで、2000番台系列(115系も含めると1000番台)しか発売されていない状態であった。これは1980年代前半はNゲージのユーザーが極端に若年層に偏っており「最新型」ばかりを求める風潮があったためである。TOMIX/KATOともに車種まで全てバッティングしており、その後ジャンルの一時衰退が進んだため金型に投資できず、不人気車種が生産中止になるなど、15年近くいびつなラインアップが続いた。
本来横須賀線で多数派の1000’番台は1984年TOMIX製品が2000番台形に入れ替わって絶版となって以来、ごく少数派かつ本来は混結されてほとんど目立たなかった1500番台でお茶を濁され、まがりなりにも他社でも2000年代まで発売されていなかったなど、「ねじれ」現象は長らく続いた。
2000年代以降、基本番台各種や1000’番台など本来ゲテモノである「化けサロ」も含めてマイクロエースから製品化され、KATOからも2012年発売の111系を皮切りに0’番台、1000’番台と製品化の後、2000番台のフルリニューアル品が2024年に発売された。(こちらの方の2000番台旧製品の金型は40年近い古い設計でベンチレーターが屋根と一体化してるなど現在では見劣りする箇所が多い。また、件の新製品は再現年代の関係でサハが1000番台となっているものの実車の特徴をしっかりと再現している)
TOMIXも2013年に0番台冷改車を発売した後700番台が2024年発売予定となっているが、こちらは従来のシートピッチ拡大タイプもKATOのとは異なり最初からベンチレーターが別パーツだったりと(床下はともかく)完成度は高いため改良を続けながら発売が続いている。
鉄道コレクションでは「113系3800番代 山陰本線」「113系2000番代 紀勢本線」がモデル化されている。
余談
- 関西における新快速の初代車両は本形式で、1970年から1年半ほど使用された。これに因み、京阪神地区からの撤退直前の2004年10月10日に「リバイバル新快速」と称して再度新快速運用に返り咲いた。抜擢された網干総合車両所K8編成はモハ112/113の5001号、つまり113系としてのトップナンバー車(既述の通りクハやサハは111系扱い)を組み込んでおり、停車駅も当時を模して高槻駅や新大阪駅を通過した。
- 側面方向幕は電動巻きだが、正面方向幕は手動であり、終点到着後に乗務員がハンドルを回して調整する仕組みである。この手間を省くため、地域によっては種別や路線名で表示を固定していた。兄弟車の115系も同様である。
- 国鉄時代には静岡駅や浜松駅から大井川鉄道に乗り入れる運用があった。