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113系

ひゃくじゅうさんけい

国鉄が直流電化区間の主力近郊型電車として製造した形式。及び同形式に関するイラストに付けられるタグ。
目次 [非表示]
  • 1 スペック(Wikipediaより引用)
  • 2 概要
  • 3 形式
  • 3.1 国鉄製造分
  • 3.1.1 クハ111形
  • 3.1.2 モハ112形
  • 3.1.3 モハ113形
  • 3.1.4 サハ111形
  • 3.1.5 クハ112形
  • 3.1.6 クハ113形
  • 3.1.7 サロ110形
  • 3.1.8 サロ111形
  • 3.1.9 サロ112形
  • 3.1.10 サロ113形
  • 3.1.11 サロ124/125形
  • 3.2 改造形式
  • 3.2.1 クモハ112形
  • 3.2.2 クモハ113形
  • 3.2.3 モヤ113形
  • 3.2.4 415系800番台
  • 4 番台区分
  • 4.1 国鉄時代
  • 4.1.1 0番台
  • 4.1.2 1000番台
  • 4.1.3 1000'番台
  • 4.1.4 700番台
  • 4.1.5 0'番台
  • 4.1.6 2000番台
  • 4.1.7 1500番台
  • 4.1.8 2700番台
  • 4.1.9 サハ111-300番台
  • 4.1.10 サハ111-400番台
  • 4.1.11 800番台
  • 4.2 JR東海
  • 4.2.1 5000/6000番台(JR東海)
  • 4.2.2 600/700/2600/2700番台(JR東海)
  • 4.2.3 8000番台(JR東海)
  • 4.3 JR西日本
  • 4.3.1 5000/5700/7000/7700番台等(JR西日本)
  • 4.3.2 クモハ112(113)-300・5300番台(JR西日本)
  • 4.3.3 7500/7600番台(JR西日本)
  • 4.3.4 3800番台(JR西日本)
  • 4.3.5 クモハ112(113)-2058・2060(JR西日本)
  • 4.4 JR四国
  • 4.4.1 クハ112/113形他⇒JR四国113系
  • 5 改造
  • 5.1 改番を伴わない改造
  • 5.1.1 前面強化車(JR東日本)
  • 5.1.2 ロングシート化改造
  • 5.1.3 前面窓金属押さえ化(JR西日本)
  • 5.1.4 ドアボタン新設(JR西日本)
  • 5.2 延命・リニューアル関連工事
  • 5.2.1 特別保全工事
  • 5.2.2 車両更新工事(JR東日本)
  • 5.2.3 延命N工事(JR西日本)
  • 5.2.4 延命NA工事(JR西日本)
  • 5.2.5 体質改善車(JR西日本)
  • 6 充当路線
  • 6.1 JR東日本
  • 6.1.1 横須賀色
  • 6.1.2 湘南色
  • 6.2 JR東海
  • 6.3 JR西日本
  • 6.4 JR四国
  • 6.5 私鉄
  • 7 譲渡車
  • 8 塗色パターン例
  • 9 保存車
  • 9.1 リニア・鉄道館
  • 9.2 ポッポの丘
  • 9.3 長野総合車両センター
  • 10 模型化よもやま話
  • 11 余談
  • 12 関連タグ
  • スペック(Wikipediaより引用)編集

    起動加速度1.6km/h/s(MT比1:1時)
    減速度3.0km/h/s(常用最大)・4.0km/h/s(非常)
    営業最高速度100km/h(高速化改造車は110km/h)
    設計最高速度100km/h(高速化改造車は110km/h)
    定格速度52.5km/h(全界磁)・84.5km/h(40%界磁)
    全長20,000mm
    全幅2,956mm
    全高4,077mm
    ブレーキ方式発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ


    概要編集

    113系とは、1963年昭和38年)より日本国有鉄道国鉄)が製造した近郊形電車である。

    101系で採用された「MT46主電動機」。この歯車比を変更するだけで特急から通勤形まで対応可能な主回路システムは優秀であり、同系登場以来1962年(昭和37年)までに2,700両もの新性能電車が製造された。

    その後、動力近代化の進展に伴い、直流電化区間が延伸するにつれて25‰勾配が連続するような線区にも電車が進出し始めた。しかしこれらの急勾配区間はMT46では出力が不足しており、編成中の電動車比率を高くして対応する必要があった。

    そこで開発されたのが「MT54主電動機」である。このMT54は上記のMT46と比較して出力が20%上昇し、25‰の勾配を電動車比率1:1で運行可能なモーターであった。

    このモーターを1962年より増備していた111系に取り付けたものが本形式である。


    基本設計は111系に準じており、後年登場した115系415系は車体デザイン等とほぼ共通設計であった。

    115系は113系の勾配路線仕様という位置付けであるが、本形式自身もある程度の勾配を超えることは可能であり、房総地区の車両は自力で上越線を走行して廃車回送されていた他、距離こそ長くはないがかつては横須賀・総武快速線品川錦糸町間の34‰急勾配を恒常的に走行していたため、少なくとも上越国境線と通称される区間相当の勾配は越せることが証明されている。


    1963年~1982年までの18年間で2,909両が製造され、国鉄近郊型の主力として幅広く活躍した。

    JR化後はJR東日本JR東海JR西日本(とJR東日本からの譲渡でJR四国)に承継されたが、老朽化に伴う後継車種への置換えに伴い、急速に廃車が進行。2025年(令和7年)1月地点ではJR西日本に26両が残るのみである。


    形式編集

    113系は111系の出力増強版という位置付けから、モーターを搭載しない車両は形式「111」を名乗っている。


    国鉄製造分編集

    クハ111形編集

    制御車。先行登場していた401系クハ401形に準じた東海型と通称される顔つきであるが、こちらは当初から高運転台である。

    一部車両を除きトイレが設置されている。

    0番台は111系の続番で製造されており、東京向きは0番台(クハ111-46以降)、神戸向きは300番台(クハ111-331以降)が割当てられている。


    モハ112形編集

    パンタグラフが付いた中間電動車。

    モハ113形またはクモハ113形とユニットを組む。

    電動発電機・コンプレッサー等を搭載している。


    モハ113形編集

    モハ112形またはクモハ112形とユニットを組む、パンタグラフがない中間電動車。

    主抵抗器・主制御器等を搭載している。


    サハ111形編集

    中間付随車。モハ112・113形から編入された400番台とサハ111-5801、2000番台やそれから派生した1500番台や7000番台等を除き、トイレが設置されている。

    当初は付随車はクハで代用する方針であったことから登場は遅く、両数も97両(うち4両が115系、それとは別の4両がモハ112・113形からの編入車)と少なめであった。0番台は1969年より製造が開始されたが、5両で製造終了。むしろ後続派生形(1000番台等)の方が製造両数が多い。

    製造総数の少なさに加え、短編成化等に伴って中間付随車は使いづらい存在となったこともあり、比較的早期に廃車されていった。

    2007年5月30日、JR西日本に最後まで残っていた6両が廃車となり、形式消滅となった。


    クハ112形編集

    JR四国がJR東日本から113系を購入し、番号を振り直した際にクハ111形300番台に付与された形式。


    クハ113形編集

    JR四国がJR東日本から113系を購入し、番号を振り直した際にクハ111形0番台に付与された形式。


    サロ110形編集

    サービス向上で急行グリーン車冷房化される様になり、新製冷房車を東海道本線急行列車に導入した。

    それに伴い、同線急行列車に連結されていた非冷房かつリクライニングシートを装備していた153系グリーン車サロ152形は山陽本線に転属した。

    山陽本線から玉突き捻出され、非冷房かつ回転クロスシートを装備していた153系グリーン車サロ153形の制御回線を小改造した車両(具体的にはジャンパ連結器をKE57→KE58に交換、両者の線配置はほぼ同じであるが、KE58は着脱が容易な軽量タイプでピンの断面積が異なる)が本形式である。改造対象にはステンレス試作車900番台も含まれたが、当時の情勢から塗装されてしまい、コルゲート車体に湘南色塗装という異様な姿となった。


    その後、冷房化・方向幕装備等の改造や一部は地下線用不燃化改造で1000番台化改造が施されるも、全てが1960年以前製造と経年が高かったこともあり、1970年代後半には廃車が始まり、1980年には関西でのグリーン車連結廃止に伴い、900番台及び冷房未改造車が消滅。

    一部はJR東日本に継承されたものの、ダブルデッカーグリーン車が登場し始めた1992年までに全車が廃車されている。


    1976年からは老朽化した基本番台やサロ112形の代替新造として1200番台が登場。各部構造変更やR-51簡易リクライニングシートを採用した他、急行形グリーン車と同様TR69台車を採用。この時点で、113系グリーン車の基幹形式は当初のサロ111形からサロ110形に移行したと見てよいだろう。

    1978年より塗装規定が変更され、窓下に配されていた淡緑色の等級帯が定期検査入場に際し抹消されている。

    JR東日本の一般型電車が東海道本線に本格投入され、東海道本線東京口(東京~熱海)の113系が引退した2006年まで同線普通グリーン車として長期期間運用され続けた。


    サロ110-301

    また、国鉄末期には余剰となった特急・急行サロの転用先として無数の変形車が出現。車体断面と設備が特急型のまま異彩を放つもの(特急形グリーン車からの転用で定員は48名であるため、サロ113形とした方が適切な車両であった)、サハ165形に簡易リクライニングシートを設置しただけのもの等(車掌室なし)玉石混交の有様を示した。

    特急形改造車は一部ファンから「化けサロ」と通称された。これらは車体長等の構造上や着座サービスで問題も多く、ダブルデッカー構造のサロ124/125形の投入とE217系投入に伴う余剰車の転属等で1998年までに全車が廃車されている。


    サロ111形編集

    「はい、これ品川行き~」

    111・113系の形式群の中の一形式として製造されたグリーン車。

    サロ153形をベースに製造されているが、台車はコイルバネ仕様TR62にダウングレードされ、車掌室がなく、その分定員が4人増加している。

    その後、冷房化等の改造が施され、一部はサロ110形同様地下線対応で1000番台に改造されるものの、1993年までに全車が廃車され形式消滅。


    サロ112形編集

    急行形では冷房付グリーン車サロ165形が標準扱いとなったことで余剰となった153系サロ152形及び163系サロ163形を制御回線を変更して113系に組込んだもの(要領はサロ110形と同一)。非冷房のまま編入されたものと後年の急行型の余剰編入車である冷房車がある。

    最終的には33両が編入改造されることとなった。

    初期改造車は塗分けが113系に合わせたものであったが、後期改造車は塗分けが急行型のままであった。

    下降窓を採用していたが当時の国鉄では下降窓のメンテナンスのノウハウ蓄積が十分ではなかったため車体の腐食が早く、1979年までに全車が廃車となり形式消滅した。


    サロ113形編集

    こちらも113系として製造されたグリーン車である。全車が地下区間対応、冷房車で落成している。

    外観からサロ110形の同系車と見られがちであるが、車体寸法及び座席等の接客設備は急行型グリーン車に近似したランクが高いもので(腐食問題の深刻であった下降窓をユニットサッシに変更)あった。

    しかしサロ110形と比べ定員は48名と少なく、混雑時に着座出来ないと不評を買うことになった(首都圏普通列車での優先事項は普通車・グリーン車共ラッシュ対策である)。

    成田空港開港に備え、奥行が深い荷物棚を装備した。

    そして幕張電車区にサロ113形17両が配置され、成田空港開港を待ったが、壮絶なゴタゴタにより開港は遅れに遅れることとなった。

    当時貴重であった冷房車をただ寝かせておく訳にも行かなかったため、全車が横須賀線に転用されたが、定員の少なさから持て余され、関西地区に転用。1980年に関西地区のグリーン車廃止に伴い、総武快速・横須賀線に帰還するが、着座サービスの点からはやはり足手まといと扱われていたようである。

    この車両はJR東日本に継承されたものの、上記の問題もあって1998年までに全車が廃車され形式消滅した。


    サロ124/125形編集

    2階建てグリーン車に驚く曜ちゃん

    国鉄分割民営化当初、東海道本線東京口のグリーン車は一部列車で乗車率130%にまで混雑が悪化しており、早急なグリーン席の増強が求められた。また、一部サロ110形及びサロ111形が置換え時期に来ていたことも重なり、代替車を製造する必要にも迫られていた。

    当時は特急形グリーン車が余剰となっており、それらを増結することも検討されたものの、増結すると編成が16両に伸びてしまう。そうするとホーム延伸を筆頭に問題が山程発生するのが目に見えることもあり、断念せざるを得なかった。

    そこで、編成両数を増やさずに席数を1.5倍にまで増やせる2階建てグリーン車が、同時期に登場した211系サロ212/213形をベースとして製造されることとなった。これがサロ124/125形である。

    11両編成の4号車に固定連結され、二階建て(4号車)+平屋(5号車)の組合せで運用された。

    車体構造上は211系と全く同仕様の軽量ステンレス車体であるが、初期製造車は国鉄型の廃車発生品TR69を履いている。211系への改造転用時もブレーキや制御引通しは211系のものに変わったが、台車はボルスタレス台車に換装されず、廃車までそのままであった。

    これは大径心皿TR69とどちらかといえばDT21等の中心ピンの方が構造が近い211系牽引装置との構造差からこれを交換すると工期も延びて改造費が嵩むという理由もあったが、重量が重めなこと以外乗り心地の点で何の難点もないTR69を交換して廃棄する必然性がなかったためである。

    これらの形式は車齢が若かったため、後に211系に改造されて引続き運用されたが、2014年までに全車が廃車され形式消滅となった。

    外見は211系だが、JR化後に製造された唯一の113系である。


    改造形式編集

    クモハ112形編集

    パンタグラフが付いた制御電動車。

    モハ113形またはクモハ113形とユニットを組む。

    電動発電機・コンプレッサー等を搭載している。JR西日本のみ所属。


    クモハ113形編集

    パンタグラフがない制御電動車。モハ112またはクモハ112形とユニットを組む。

    主抵抗器・主制御器等を搭載している。JR東海・JR西日本に所属。


    モヤ113形編集

    運転士養成や乗務員訓練用として、JR東日本がモハ113形を改造して誕生した形式。営業運行には使われない事業用車である。

    1990年(平成2年)にモハ113-68がモヤ113-1となったが、冷房が付いていなかったため、1995年(平成7年)に廃車。代わりに、1981年(昭和56年)に冷房改造されていたモハ113-192をモヤ113-2に改造して使用した。

    そのモヤ113-2も2005年(平成17年)に廃車となり、形式消滅した。


    415系800番台編集

    JR西日本が七尾線電化開業時に用意した形式。詳細は415系の項目を参照。



    番台区分編集

    国鉄時代編集

    0番台編集

    冷房なしはきついです113系新快速。

    1963年製造開始。東海道本線や横須賀線に投入された。

    モーター出力強化、それに付帯する機器類変更がされた以外は111系とほぼ同一構造で、偶数向き制御車には300番台が振られている。


    1000番台編集

    横須賀・総武本線を地下路線を介して直通することが決定、1972から76年にかけて横須賀・総武快速線地下区間(現:品川~錦糸町間)が建設された。

    しかし、長い地下トンネル区間を通るために不燃化等が必要とされ、それに対応すべく製造されたのがこの1000番台である。

    具体的には床材に使用していた木材を塗床材を充填する構造に変更・腰掛け難燃化・貫通路窓ガラスに線入りガラスに変更。床下配管のダクト化・主回路ヒューズ移設などである。

    また、横須賀線1000番台投入で余剰となった0番台は関西地区に転用され、万博輸送に用いられた後、初代「新快速」として活躍した。ただし、後述の1000'番台投入に伴い、当初の予定であった地下区間へは充当されずに東海道本線・房総地区、一部は東海地区や関西に転用された。


    1000'番台編集

    JR東日本/横須賀総武快速線の113系113系1000´番台

    前述した横須賀・総武本線を繋ぐ地下路線であるが、34.3‰の急勾配や曲線連続等で見通しが悪く、中継信号機が多数必要であったことから、ATS方式で開業させるという当初の計画を変更。ATC方式(後にATSに変更)で開業することとなった。

    そのため、それに対応した車両が必要となったが、1000番台を改造するよりもATC対応車両を新造した方が効率的とされ、この1000'番台が製造された。

    本番台及び後述する1500番台はATC機器設置の影響で干渉する空気笛を下部に移設してあり、外観上の特徴となっている。また、助手席側後部にATC装置搭載スペースが用意され、その部分の窓が埋められている(後述の1500番台も同一のスペースがある)。

    また、本番台第1陣は113系唯一の冷房化工事準備車として落成。なお、このタイプは1990年代までに当初の予定通りにAU75形で冷改が行われた。

    なお、既に製造されていた1000番台は房総地区や東海道本線東京口に転用された。特にサハは不足気味であったため、ユニットサッシ0’番台が主力を占める中、後年更新工事も施工され、晩年まで活躍した。


    注:0'・1000'番台は鉄道マニアによって作られた用語であり、公式名称ではない


    700番台編集

    国鉄113系700番台 湖西線

    1974年7月、湖西線開通に合わせて製造された。

    同線が走行する滋賀県北部はが多い地域であり、雪国対応装備が必要とされたため、耐雪ブレーキや半自動ドア等の耐寒耐雪装備を有する113系となった。

    115系と異なり、抑速ブレーキやノッチ戻し制御は装備されていない。

    本来であれば115系を投入すべきであるが、大阪地区での一般型との限定的な混運用も考慮し、113系として製造された。

    前述のように115系は勾配抑速機能カット改造を行わないと113系と併結出来ない。

    また、開通2年前に発生した北陸トンネル火災事故を教訓に、難燃・不燃化を推進する方針から、地下線向け1000'番台同様の基準としている。

    後述の高速運行対応工事などを受けつつ、2023年3月まで運用された。


    0'番台編集

    クハ111-204 L29編成

    1975年3月ダイヤ改正で、山陽本線や呉線輸送改善を実施するために、首都圏で111系を捻出する必要があった。

    そこで0番台を増備することとなったが、前述の難燃・不燃化を推進する方針から、700番台同様難燃化・不燃化対策を行う必要があった。

    これに対応したのが0'番台である。1974年(昭和49年)11月より製造された。一時期は東京口の東海道線運用は当番台が主力となり、E231系投入まで長く活躍した。現在は岡山において先頭車が残存。福知山に残る5300番台車も当番台からの改造車である。


    2000番台編集

    113系

    80系等の旧型電車をさらに置換えるため、113系は増備され続けたが、方針変更などでマイナーチェンジが行われることとなった。

    この2000番台はシートピッチと座席横幅が拡大され、座り心地を改善した他※、トイレ削減を行う方針の影響で、トイレのない先頭車が新たに製造され、以降の113系標準となった(ただし、この方針は後に見直され、再度トイレを設置する様に戻っている。2000番台初期車のみで組成された基本編成があるとすると、普通車には基本編成11両中大阪寄り1両しかトイレがないこととなり、トイレがない側の端の旅客の利便を著しく欠くため)。

    国鉄末期の混乱期に製造されたため、妙に接客に関係ないデッドスペースが多いほか、付番体系にも混乱が見られる。

    ※国鉄か主張する程居住性が向上した訳ではなく、寸法が異なるだけで改設計の手間ばかり掛かった実質的には変わり映えしないマイナーチェンジであった。また、直流電化区間用の平坦線区向け近郊電車であれば全て画一に仕様を決定したため、東京近辺のシートピッチを拡大しない方が良い線区と地方仕様を一緒くたとした辺りも問題であった。

    座席幅まで拡大してしまったため(930mm→1,075mm)、通路は縮小(860mm→570mm)。当然ラッシュ時に客が押し寄せても中々ドア間中央付近まで客が流れない。

    問題が顕在化しなかったグループとしては115系1000番台があるが、耐寒性能向上のため雪切り室を付けたらスペースの関係で車端部にクロスシートを作れず(結果的に動力車の端はロングシートだけとなる)、ラッシュ時の収容能力が上がったが、最低限東京向けだけでも113系もこうした方が良かったであろうと思われる(211系以降は適用している)。


    1500番台編集

    113系 1500番台逢いに行って・・・いいですか?

    横須賀・総武快速線直通用車両増備に当たり、横須賀・総武快速線でも1000番台をベースに2000番台に準じたシートピッチ改善等を行った車両を投入することとなった。

    そこで生まれたのが本番台である。

    ほぼ2000番台クハにATC機器を搭載しただけであり(中間車はサボ受けの有無しか違いがない)、サハは2000番台が転用されることもあった他、最末期を除いて1000番台と混結されていることが多かった。

    晩年は房総地区のローカル運用に転用された他、サハを含めた一部は東海道本線にも転用された。その後、房総地区に209系2000・2100番台が投入された際にヒッソリ廃車となっている。


    2700番台編集

    1980年3月、草津線が直流電化されることとなり、湖西線と共通運用するために耐寒耐雪仕様113系が必要となった。

    その際、700番台をベースに2000番台に準じたシートピッチ改善等を行ったタイプである。

    また、1983(昭和58年)から翌84(同59年)にかけて両番台短編成化(6→4連)が行われ、先頭車が不足したが、その際2000番台を2700番台に改造した車両が編入され、700番台や既存の2700番台と組合わせて運用された。

    その後、民営化後の2003年(平成16年)小浜線直流電化の際も2000番台からの改造車が編入されている(ただし、後述の高速化改造に伴い、既に本番台は全て7700番台に改番されていたために同番台追番として編入された)。

    後述の高速運転対応工事等を受けつつ2023年3月まで運用された。


    サハ111-300番台編集

    1985年ダイヤ改正で房総地区列車が増発されることになったが、先頭車が足りなかった。

    そのため、中央東線で余剰となった115系サハ115-300番台を113系化の上、東海道本線に転用することで同線で中間付随車代用となっていた先頭車を置換え、房総地区に先頭車を捻出した。

    その際、115系から改造されて生まれたのがこのサハ113-300番台である。改造内容は半自動回路を全自動とし、引通し線を変更した程度である。そのため、半自動扉用ドア取手が残っていた(他に700番台や2700番台等の耐寒耐雪形113系にも取っ手がある)。民営化後に302・303は車内がトイレ部を除きロングシートに改造されている。

    1999年(平成11年)12月8日、サハ111-303が廃車となったことで形式消滅となった。


    サハ111-400番台編集

    1986年11月ダイヤ改正で東海道本線東京口ローカル用編成の見直しが行われることとなり、モハ112・113がサハに改造された。その際生まれたのがこのサハ111-400番台である。

    113系モハ112-273・モハ113-273がサハ111形に改造されてそれぞれサハ111-401・402を名乗り、東海道本線東京口で活躍した。

    また、民営化後の1988年にもモハ112-1058・モハ113-1058が改造され、それぞれ追番であるサハ111-403・404を名乗り、同じく東海道本線東京口で活躍した。

    こちらも403がロングシートに改造されている。

    2000年3月3日にサハ111-403が廃車となったことで形式消滅となった。


    800番台編集

    113系800番台新福知山色

    国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正で、福知山線の直流電化区間が城崎(現:城崎温泉)まで延伸、ここにも113系が投入されることとなった。

    しかし、この線区は雪が多い地域であり、耐寒耐雪装備が必要であった上、輸送量も少なかった。そのため、113系0番台の中でも最初期の非冷房車を捻出、扉の半自動対応等の耐寒耐雪化改造の上、2M2Tの4連と中間電動車を先頭車化改造したMM'の2連を投入、800番台とした。

    中間電動車モハ112・113形を先頭車に改造したことに伴い、113系にクモハ112・113形という新形式が加わることとなった。なお、クモハ112形化改造の際にはトイレが設置されている。

    一見すると本気で改造したように見えるが、当時の国鉄財政事情から改造はどこか中途半端な物になっていた。

    まず種車は初期車のためグローブ形ベンチレーターを装備しているが、グローブ形は換気量が大きい反面降雪時に雪が室内に入り込む欠点があることから、本来は押込形に交換する必要があった。

    しかし、改造コスト削減のため、車両前後方向の吸気口を板で塞ぐといった簡単なものとなっていた。

    また、客用扉の半自動化に関してもドアエンジン交換が必要となるが、これも本来半自動対応でないドアエンジンを無理矢理半自動化するという手法が取られた。半自動時に乗客がドアを手で開ける場合、純正半自動でさえ重いドアが輪を掛けて重くなったため、取っ手は持ちやすい様に従来より大型のものが新設された。

    JR西日本継承後に冷房化が行われ、当初は集中式AU75系が採用されたが、構体補強及び電源用三相交流引通し増設工事が伴い、多額の費用・時間を要していた。そのため、AU75系と比較して冷却能力が劣る分散式WAU102形による簡易的な冷房改造が行われた。しかし、非冷房車の割合が高い800番台の場合、それですら負担となったため、より簡素なバス用冷房装置を応用したWAU202形が使われていた。

    また、ライトもシールドビームに改造されたが、途中からコスト削減のため、白熱灯用ライトケースに口径差を解消するリング状の枠を取付けてシールドビーム灯を新設置する方式が行われた。この手法は一部鉄道ファンの間で陥没チクビームと揶揄されていた。

    なお、クハ111-819は一時期103系シールドビーム化車両の様なアダプターを取付けてシールドビームが4灯取付けられ、前面幕が3色LEDに改造されたという。

    なお、途中で白熱灯のまま放置された車両もあるため、前述の冷房化改造も手伝って、車両ごとの形態差が複雑化することになった。

    先述した415系化改造や3800番台化改造の際に種車として一部が使用されている。

    また、クハ111-806・816は高速化改造が施されて5800番台となり、京都地区で2005年まで活躍した。

    最後まで残ったのは下関区所属クハ111-811・812。115系制御車として代用しつつも2016年(平成28年)1月まで活躍していた(形式変更した車両を含めると415系800番台に改造されたクモハ113-805・812)。


    JR東海編集

    5000/6000番台(JR東海)編集

    JR東海は冷房化を進める上で新型インバータークーラーを開発した。

    その際、直流電源の方が都合が良かったため、新たに直流600V線を引通した。

    そのため、番台が区分され、元番号に+5000された。また、電源にSCVを搭載した先頭車は元番号に+6000とされた。

    2000年(平成12年)4月26日に最後の4両が廃車されたことで形式消滅となった。


    600/700/2600/2700番台(JR東海)編集

    東海道本線東京口を走行するJR東日本113系ではATS-P新設やブレーキ性能向上が行われていたため、それらに付属編成(12 - 15号車)として連結されるJR東海113系にも同様の工事が実施された。

    改造当初は改番はなかったが、区別のため後から改番が行われ、偶数向き先頭車は600・2600番台、奇数向き先頭車は700・2700番台となった。

    湖西・草津線向け700・2700番台と番号が重複する可能性があったが、そちらは高速化改造が施工され、後述する5700・7700番台となったため、重複は免れた。

    JR東海内では異端装備車であり、高速運用による痛みも早かったため、E231系1000番台投入時に早期に淘汰されている。

    2007年(平成19年)7月18日の廃車を最後に消滅となった。


    8000番台(JR東海)編集

    中央本線(中央西線区間)南木曽 - 贄川間には架線高さが低い区間があるため、通常のパンタグラフを装備した車両は入線出来ない。

    そこで同線中津川以東に113系を乗入れさせるため、2001年(平成13年)7月313日に2000番台4両のパンタグラフをC-PS24Aに換装。車号に+6000した8000番台とした。

    パンタグラフ交換に伴う派生形式であるため、パンタグラフがあるモハ112形のみ改番され、パンタグラフのないクハ111形やモハ113形は2000番台のままとされた。

    2007年11月13日に最後の1両が廃車となり、形式消滅した。


    JR西日本編集

    5000/5700/7000/7700番台等(JR西日本)編集

    1989年に最高速度120km/hに対応する221系が登場したことに伴い、近畿地方で運用されている113系も最高速度を100→110km/hに引上げる改造を行った。

    変更点は台車やブレーキ強化に留まり、モーターは要求性能を満たしていたため、手を加えられなかった。これらには元番号+5000が付与され、未改造車との識別を図った。

    また、6M2T編成などの電動車の比率が高い編成の一部電動車は同時にブレーキテコ比変更も行われ、0番台は+1000、700番台は+50、2000番台では+500と非常にややこしい番号の付け方が行われた。

    後に中国地方に転属した車両は高速化を解除・原番復帰した。


    クモハ112(113)-300・5300番台(JR西日本)編集

    山陰本線園部~福知山間が直流電化されるのに際し、113系が導入された。

    クモハ112・113形のみで構成される。クハやモハ・サハ等の300番台は当系列とは別番台の車両であるので注意が必要。

    輸送密度を考慮し、既存のモハ112・113形を改造の上、2連でワンマン仕様が導入された。これが300番台である。

    運賃や切符回収等、乗客乗降時に運転士が対応するワンマン運行に都合が良い様に出口として指定される場合が多い1番前の客用扉が64cm運転台側にずらされており、他の113系とはドアの位置が合わない。

    また、扉は電気式半自動装置が設けられたが、最初から電気式(ドアボタン式)での半自動化であったため、700番台や800・2700番台等にあるドアを手動で開けるための取っ手は設置されていない。

    京都~園部間は嵯峨野線4連と併結するため、園部での連結・開放を省力化するために自動解結装置を装備している。

    塗装は湘南色であるが、ワンマン対応であることが識別出来るよう、緑と橙の窓より下の塗り分けの間に細いクリーム色の帯を挟んだものになっている。

    なお、5300番台は300番台の高速化対応タイプ・現在は全車同番台となっている。

    9編成が改造される予定だったが、阪神・淡路大震災等の影響で第1・6・8編成は欠番となっている。

    現在は地域色の緑色に塗られたものが走っている。


    7500/7600番台(JR西日本)編集

    山陰本線園部以西が直流電化され、自動解結装置を装備した300番台が導入されたのは前述の通りであるが、当然ながらその連結相手にも自動解結装置が必要である。

    そのため、嵯峨野線区間用2000番台に自動解結装置新設・扉に電気式半自動装置の新設が行われた。前述の山陰本線用300番台同様ドアボタンで開閉する方式であるため、ドア取っ手は設置されていない。

    工事を行った車両は区別のため、奇数・偶数向きにそれぞれ7500・7600番台が付与された。

    その後同様の工事が5700番台にも行われたが、そちらについては「C編成」と編成記号で分類されるに留まり、改番はされなかった。


    3800番台(JR西日本)編集

    サンパチ君」も参照

    福知山周辺の輸送力実態に合わせて、415系800番台改造に伴う組替で3連となった800番台を2連に短縮し、ワンマン化する工事が行われた。

    その際中間車を先頭車化するに当たって、従来であれば台枠を含む車端部を切除し、先頭の前面のみ別で作成したり、廃車となった車両の運転台(主に連結されていたクハ111形、一部当該改造対象外であったクモハ112-808)を切り取って来るなど、何らかの方法で先頭部分を調達。それを取付けるのが国鉄から行われる工法であった。

    しかし、その方法では手間・コストが掛かり、主要構造台枠を切断することは強度上問題も多い。そのため、敢えて上記の工法を行わずに妻面に窓を取付け、運転台機器を搭載した独特の前面スタイルとなった。

    特に、先頭車化改造側に付いていた黄色の無骨な全面強化板が強烈な印象を放ったこともあり、ファンの間からはゲテモノだの迷列車だのと揶揄されつつも何だかんだで人気であった。

    しかしながら、元々車齢が高い車両を改造したために老朽化が進行。改造後8年で223系5500番台に置換えられた。

    その見た目のインパクトの強さからか、僅か8年間の活躍ながらもトミーテック鉄道コレクションにおいてモデル化されている。


    クモハ112(113)-2058・2060(JR西日本)編集

    紀勢本線輸送力の実態に合わせ、それまで運行されていた165系を置換する形で7000番台に2連化改造・ワンマン運転対応改造が施工された。

    こちらも3800番台同様切妻構造であるが、こちらは伯備線向け115系同様切妻構造先頭部を新規製作して取付けたようである。見た目はずんぐりした103系といえば分かりやすいであろう。

    奇しくも前面形態が419系715系に類似しており、いつしかそれらの形式と同じく「食パン電車」の渾名が付けられた。

    外観は後述の体質改善40N工事並の張上げ屋根化や窓サッシ交換が行われているが、内部座席等は延命N工事レベルで、座席はセミクロスシートである。ただし、車椅子対応トイレが追設されている。

    改造に伴って高速化も解除され、2000番台に番号が戻っている。

    2編成4両しかいない少数形式のため、検査時は日根野支所の223225系4連が車掌乗務の上で代走する。ちなみに、この日根野支所出入庫のため、阪和線和歌山方始発・終電(いずれも日根野発着)はこの2連で運用されていた。

    何故か阪和線への225系大量導入で置換えられなかったが、2020年ダイヤ改正で227系1000番台に置換えられた(同時に「ICOCA」も導入)(プレスリリース※PDF)


    JR四国編集

    クハ112/113形他⇒JR四国113系編集

    末期、国鉄では分割民営化後を考慮して四国に121系(現:7200系)を導入したが、運用実態からすると少々車両が不足気味であった。そこで111系4連×3本の12両を投入、民営化を迎えた。

    JR四国では暫く冷房化等を行いつつ111系を使用していたが、老朽車であるが故に故障が多発。置換えの必要があった。しかし、本州3社と異なり、経営基盤が弱いJR四国では新車を導入する余力はない。そんな中でJR東日本から中古で113系を購入することでなんとか話が纏まり、4連×3本が登場。

    導入するにあたり、車内設備や前面、塗装を大幅に変更。接客設備・安全性向上を図り、2000年にデビューした。

    主な工事箇所は前面方向幕移設・方向幕跡地に前照灯増設・前面強化・転換クロスシート化・車内LED表示板設置・ドアボタン新設・中間車にドアカットの際に用いる車掌スペース新設・ATS-P撤去・屋根張上げ化等、多岐に渡る。

    工事に当たってはJR西日本で施工が進められていた体質改善工事(後述)を参考としたという。

    また、導入の際に新たに番号が振り直されており、113系にクハ112・113形が新たな形式として加わった。また、モハ112・113形についても車番が1から振り直されている(当時モハ112・113-1・2は1991年に高速化工事を受けて5001・5002となり、3は1999年に廃車となっており、車番が重複することはなかった)。

    JR四国所属編成は2016年3月19日に第3編成が引退し、2年後の2018年3月末に廃車。残った第1・2編成も翌2019年3月ダイヤ改正で引退・廃車解体された。


    改造編集

    改番を伴わない改造編集

    前面強化車(JR東日本)編集

    1992年9月14日、成田線(本線)大菅踏切で113系普通電車と過積載のダンプカーが衝突。電車先頭部が大破し、運転士が殉職する事故が起こった。それを受けてJR東日本では踏切事故対策として113系等の前面にステンレス板を装着することで先頭部を強化する工事を行った。

    これは1992年時点で1972年以前に製造された、前面強化工事未施工車が対象であり、翌年以降に製造された1000番台中期以降より強化構造となっている車両及びそれ以前に定期修繕で強化工事が施工されていた車両は対象外となった(0番台は1974年以降製造のため、施工対象となる車両は無し。1500・2000番台は落成当初より強化構造となっている)。

    また、113系ではアンチクライマーを左右4枚ずつ装備した。この工事が行われた際、緊急対策であったため、ステンレス板を塗装しないまま剥き出しで運用に復帰することとなった。そのため、ファン達からは「鉄仮面」と呼ばれることとなった。

    しかし、その後の検査入場時にはステンレス板部分にも塗装が施され、ステンレスむき出し状態は短い期間で終わることとなったものの、急ごしらえで設置された強化構造は廃車期まで目立つ特徴となっていた。

    なお、E217系以降の電車ではこの様な踏切事故対策としてクラッシャブルゾーンを設けている。

    注:JR西日本の113系にも鉄仮面と呼ばれるものがあるが(後述)、全く異なるものである。

    強化装備形態113-横須賀まりんるっく


    ロングシート化改造編集

    混雑が激しい東海道本線及び横須賀・総武快速線において0'/1000/1000'番台の一部車両に施行された。クハ・サハ111形トイレ対向部以外の座席を全て撤去した上で211系に準じたバケットタイプのロングシートに交換した(ただ、座席は107系のそれと同様の構造であった模様)。また、後述の車両更新工事が併設されたものは211系に似た形状の袖仕切りが装備されていた。2006年3月の113系東海道本線引退と同時に消滅。なお、同種の改造は高崎・東北本線系統115系や常磐線系統415系にも施行されていた。


    前面窓金属押さえ化(JR西日本)編集

    JR西日本関西地区では劣化したHゴムから雨水が侵入したりすることを防止するため、103系や113系等の体質改善(後述)が行われていない車両において前面窓(前面方向幕窓を含む)を金属押さえに交換する工事が行われた。その際に使用された金属部品(JR東日本全面強化車程ではないものの)目立ったため、こちらもファンから「鉄仮面」と呼ばれることとなった。


    ドアボタン新設(JR西日本)編集

    前述の通り、JR西日本では113系でも耐寒耐雪仕様の半自動ドアを装備した車両がいる。

    しかし、半自動扱い時は旅客がドアを手で開閉せねばならず(他車種にいえることであるが、国鉄型半自動ドアはドア開閉感覚が重く、若干力が要る上、車掌が閉操作をしないと完全に閉まり切らない)、きちんと閉めずに降りてしまう乗客がいる等、改善の必要があった。そこで、ボタン1つでドアが開閉出来る様にドアボタンが設置された。

    その際、延命N・NA工事施工車両では外部戸袋窓が半分程埋められることとなり、外観の特徴となっている。ちなみに、内側の戸袋窓は埋められていないため、車内からは埋められた様子が丸見えである。

    また、体質改善車は改善時に施工され、戸袋窓は狭められていない。

    嵯峨野線用2000番台等、一部耐寒耐雪形以外の車両にも施工されたものがあった一方、800番台には新設されることはなかった。


    延命・リニューアル関連工事編集

    特別保全工事編集

    末期国鉄では長年の赤字故、老朽化して来た113系初期車を置換えるのではなく、延命工事でもたせることとなった。そこで外板や屋根、配管類や便所周り補修を行い、約16年分寿命を延長する工事を行った。


    車両更新工事(JR東日本)編集

    国鉄時代にやり切れなかった特別保全工事を引き続き実施した車両。それを一層徹底的としたもの。各種延命工事の他、網棚パイプ棚化等も行われていた。


    延命N工事(JR西日本)編集

    国鉄時代にやり切れなかった特別保全工事を引き続き実施した車両。特別保全工事に加え、座席モケット張替えや吊革増設・化粧板交換等、旅客サービスに関わる部分も改良。製造後30年使用を目標とされた。


    延命NA工事(JR西日本)編集

    国鉄時代に特別保全工事が行われた車両では延命N工事で追加で行われた旅客サービス設備改善が行われていないため、追加工事が行われた。これが延命NA工事である。


    体質改善車(JR西日本)編集

    JR西日本では既存国鉄型電車を223系等の新型車両並の車内設備に改修する体質改善工事を1998年より実施し、内外装のリニューアルを行った。大きく分けて2タイプあり、製造後40年使用を目標とした体質改善40N工事と旅客サービスに影響しない部分の工事を省略して製造後30年使用を目標とした簡易工事の体質改善30N工事である。これらを纏めて「体質改善車」と呼ぶ。

    この工事は主に延命N・NA工事が行われていない2000番台以降の後期型中心に施工された(ただし、一部中期型にも施行されている。特にモハ112・113-5719は既に延命工事が行われていた)。

    工事内容は座席の転換クロスシート化・化粧板交換・車椅子スペース新設・前面窓ピラー撤去・塗装変更等である。40N工事施工車はそれに加え、張上げ屋根化・客室窓交換も行われ、新車の様な外観となった(クモハ112・113形は転換クロスシートへの交換・化粧板交換が施行されていない)。

    しかし、全車に工事が及ぶことはなく、30N工事施工車や40N工事施工車、未更新車が混用されており、張上げ屋根となった40N車と張上げ屋根ではない30N施工車や未更新車が混結された編成などではかえって編成美が損なわれることとなった。

    2010年代半ばとなると車齢30・40年を超える車両が続々と現れており、延命N・NA工事施工車を含めて"期限切れ"に陥ってもなお運用が続いた。

    例外的にサハ111形は2004年10月16日の京阪神地区撤退と共に用途を喪失。更新から数年で廃車となっている。

    夕暮れの電車。



    充当路線編集

    ※は2024年12月時点で撤退済。


    JR東日本編集

    過半数に当たる1,566両を継承。同社管内の13系はいわゆるJR世代の一般形電車登場もあり、次々と後継車両に置換えられて行き、横須賀・総武快速線からは1999年(平成11年)、発祥地である東海道本線東京口からは2006年(平成18年)3月17日に撤退。最後まで113系が残り、國鐵千葉とまで揶揄された房総地区各線でも2011年(平成23年)9月1日で定期営業運行から引退。同月2324日にさよなら運行が行われ、10月15日の長野総合車両センターへの廃車回送を兼ねた団体臨時列車限りで全車が廃車され形式消滅した。


    横須賀色編集


    湘南色編集


    JR東海編集

    438両を継承。311系313系に追われて数を減らして行き、2007年(平成19年)3月ダイヤ改正で運用終了し全車が廃車となった。他社と比べ大規模な改造は実施されず、原形を留めた車両が多数残存した。


    JR西日本編集

    民営化時に772両を継承したが、221系や223系等の新型車両の投入によって大幅に数を減らしている。2010年代以降は体質改善車の廃車も珍しくなくなった。2023年4月には京都地区での運行を終了し、アーバンネットワーク管内から撤退。以降は福知山・岡山地区で最後の活躍を続けている。


    JR四国編集

    1999年にJR東日本から12両が譲渡された。後継6000系登場もあり、廃車が進行。2024年12月時点で全車引退。これに伴い、JR四国内の全ての電車がVVVF制御となった。


    私鉄編集


    譲渡車編集

    伊豆急行200系

    過去に伊豆急に老朽化した100系の置換用として、JR東日本から113系1000番台2編成8両が譲渡され、200系として運用されていたが、伊豆急側は元々親会社・東急8000系で置換えを行うつもりで、113系(・115系)導入は同系廃車が発生するまでの「繋ぎ」でしかなかった(保安装置が欲しいと買ったら車両本体まで付いてきた、との見方もある)。

    このため、8000系導入に伴って8年で全車が廃車され形式消滅した。


    塗色パターン例編集

    湘南の111系(差分あり)

    2017年に京都地区最後の湘南色を纏った編成が後述の京都地域色に塗装変更されて消滅。現在は愛知県にある「リニア・鉄道館」や千葉県にある「ポッポの丘」静態保存車・しなの鉄道(115系)で見ることが可能。


    いつか見たあの日

    2011年に房総地区より113系が撤退した際に消滅。現在は「ポッポの丘」静態保存車で見ることが可能。


    早朝のB快速

    阪和・きのくに線から113系が撤退したことで消滅。


    -関西快速色(車体「白色」+帯「朱色」)

    関西本線快速

    関西本線から113系が撤退したことで消滅。


    113系7700番台 (40N更新)

    地域統一色に塗装変更されたことで消滅。


    鉄面画 JR西日本113系小浜線

    小浜線から113系が撤退・京都転属後に関西・岡山地区体質改善色に統一されたことで消滅。6年間しか存在しなかった。


    • 嵯峨野ワンマン色(湘南色+境界に「クリーム色」)

    113系

    京都地域色に塗装変更されたことで消滅。


    正面画 JR西日本113系体質改善車 抹茶色

    京都地区の他、福知山地区でも使用される。

    体質改善・延命工事施工車では使用する塗料が異なるため、僅かに色合いが異なる。


    • 和歌山オーシャン色(車体「オーシャングリーン」+帯「ラベンダー」)

    鉄面画 JR西日本113系紀勢本線

    和歌山地域色に塗装変更されたことで消滅。


    • 和歌山地域統一色(オーシャングリーン)

    JR西日本113系2000番台 和歌山地域統一色

    阪和・きのくに線より113系が撤退したことで消滅。


    • 瀬戸内色(車体「クリーム」+帯「藍色」)

    鉄面画 JR西日本115系300番台瀬戸内色

    画像は115系。

    中国地域色(末期色)に塗装変更されたことで消滅。


    • 体質改善色(広島地区)、通称「ミルクオレ」(車体改善色の「ベージュ」部分が「白」)

    正面画 追悼 クハ115-604

    画像は115系化改造された113系。

    最後までこの塗装で残った広ヒロF-08編成は廃車後、福知山電車区踏切事故訓練車となっていたが、後に解体され、消滅。


    • 中国地域統一色(詳細は「末期色」を参照)

    JR西日本113系・115系 広セキH-01編成 黄チクビ

    岡オカ(現・中オカ)B-10編成は西日本豪雨に伴う山陽本線不通に伴い、検査及び再塗装を吹田総合車両所で実施したため、次回の検査まで他編成よりも若干濃い塗装となった(現在は車番周辺のみ塗装が濃い)


    • 旧福知山色(車体「黄色」+帯「藍色」)

    暑中見舞い 2024

    新福知山色に塗装変更されて消滅したが、2024年6月に5300番台S9編成がリバイバルとしてこの塗装に変更された。


    • 新福知山色(車体「クリーム色」+帯「緑色」+帯「茶色」)

    JR西日本115系新福知山色クハ111-824

    福知山線から800番台が撤退したことで消滅。


    • 福知山ワンマン色(3800番台)

    113系3800番台

    3800番台が引退したことで消滅。


    • JR四国色

    四国の魔改造車JR四国 113系

    3編成がそれぞれ異なる色を纏っていたが、いずれも塗り分けは共通。

    JR四国より113系が撤退したことで消滅。


    その他にも塗装は存在する(追記求む)。


    保存車編集

    リニア・鉄道館編集

    • クハ111-1(111系)

    湘南色・車内見学可能。厳密には111系である。


    ポッポの丘編集

    • クハ111-1072

    横須賀色。先頭部のみのカットモデル。

    • クハ111-2152

    湘南色。先頭部のみのカットモデル。


    長野総合車両センター編集

    • クハ111-249(111系)

    111系の静態保存車。信州色、タイフォン形状や塗装変更等で115系と似せてあるが、元は房総地区で活躍していた。先頭部のみのカットモデル。工場公開時のみ見学可能。


    模型化よもやま話編集

    Nゲージ完成品は1976年の「グリ完」から始まり、翌77年のTOMIXの1000番台から本格的な量産品が始まる。その後、1984年にKATOからシートピッチ拡大2000番台系列が発売され、同時期にTOMIXも新金型でラインを切替える(しかし、モハ床下は1000番台流用である)。その結果、1984年から2000年近くに至るまで、2000番台系列(115系も含めると1000番台)しか発売されていない状態であった。これは1980年代前半はNゲージのユーザーが極端に若年層に偏っており「最新型」ばかりを求める風潮があったためである。TOMIX/KATO共に車種まで全てバッティングしており、その後ジャンルの一時衰退が進行したため、金型に投資出来ず、不人気車種が生産中止となるなど、15年近くいびつなラインアップが続いた。

    本来横須賀線で多数派1000番台は1984年にTOMIX製品が2000番台形に入替わって絶版となって以来、ごく少数派且つ本来は混結されてほとんど目立たなかった1500番台で茶を濁され、まがりなりにも他社でも2000年代まで発売されていなかったなど、「ねじれ現象」は長らく続いた。

    2000年代以降、基本番台各種や1000番台等本来ゲテモノである「化けサロ」も含めてマイクロエースから製品化。KATOからも2012年の111系を皮切りに0・1000番台製品化後、2000番台フルリニューアル品が2024年に発売された(こちらの方の2000番台旧製品金型は40年近い古い設計で、ベンチレーターが屋根と一体化している等、現在では見劣りする箇所が多い。また、件の新製品は再現年代関係でサハが1000番台となっているものの、実車特徴を忠実に再現している)。

    TOMIXも2013年に0番台冷改車発売後、700番台が2024年に発売。こちらは従来のシートピッチ拡大タイプもKATOのとは異なり最初からベンチレーターが別パーツであったりと(床下はともかく)完成度は高いため、改良を続けながら発売が続いている。

    鉄道コレクションでは「113系3800番台 山陰本線」「113系2000番台 紀勢本線」がモデル化されている。


    余談編集

    • 関西における「新快速」初代車両は本形式で、1970年から1年半程使用された。これに因み、京阪神地区撤退直前の2004年10月10日、「リバイバル新快速」と称して再度新快速運用に返り咲いた。抜擢された網干総合車両所K8編成はモハ112/113-5001、つまり113系のトップナンバー(既述の通りクハやサハは111系扱い)を組込んでおり、停車駅も当時を模して高槻新大阪を通過した。
    • 側面方向幕は電動巻きであるが、正面方向幕は手動であり、終点到着後に乗務員がハンドルを回して調整する仕組みである。この手間を省くため、地域によっては種別や路線名で表示を固定していた。これは東海型電車と呼ばれる車両に類似した車両群など、前面方向幕が手動の車両に見られたため、全国的なものであった。
    • 国鉄時代には静岡浜松から大井川鉄道本線に乗入れる運用があった。

    関連タグ編集

    近郊形電車

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