概要
日本国有鉄道が開発した直流近郊形電車。各地に配置されている80系を置き換えるために1962年に投入した。
設計は153系を片側3扉・内装をセミクロスシートにしたようなもの(あるいは70系電車を新性能電車としてアレンジしたもの)であるが、基本的には先立って1960年に製造開始した401系・421系をベースにしている。
普通車の車体構造は、交直流電車と直流電車という電源に起因する部分以外は概ね同じであるが、台車中心距離は401系・421系が101系通勤電車と同じ13,800mmとしていたのに対し、111系より始まる直流近郊形は14,000mmとしていた。実用上は差異がないため、製造コストを考えると既出分(401系・421系等)に揃えるのが有利であるが、敢えて差異を設けていた理由は不明である。
台車間距離を延ばせばカーブ通過時のオーバーハングに余裕が出る上に、交流機器が屋上にない分外側にパンタグラフが設置されており、原則的にパンタ位置と台車の回転軸をなるべく合わせ、擦り板の運動ムラを減らすのがセオリーなため(台車とモーターの相関で72系970番台と103系も似た様な設計変更をした関係である)と思われる。
交直流車になかったグリーン車(登場時点ではサロ111の1形式・サロ110は153系からの編入車)は台車以外サロ153が基本であるが車掌室が省略されており(それまでの湘南電車・横須賀線の旧型国電の1等車(基本的には車掌室がない)、その分1列定員が増え座席定員64名となっている。
試作的な位置づけであったため電動車の製造は1年限りで終了し、113系の製造に移行したが、動力のない制御車は引き続きクハ111として113系の製造が終了するまで製造された。クハ111のうち111系として組成された車両はクハ111-1~45とクハ111-301~330が該当する。
製造後は東海道本線、横須賀線、阪和線等で活躍した。1967年から導入された横須賀線の車輛は当初横須賀色ではなく湘南色で運行され、誤乗防止のために横須賀色のヘッドマークを取り付けていた。
1974年から113系の増備にあたって横須賀線の車輛は山陽本線に進出。阪和線に導入されたのも同時期だがこれはクハ111のみで中間車は113系だったとも言われている。
少数派だったため国鉄末期には廃車が進んだが、国鉄民営化の直前に予讃線、土讃線一部電化に備えて4両編成3本が四国入りし、民営化後も内外に大掛かりな車体更新を受けたうえで四国色に変更され、私鉄タイプの分散クーラーを搭載しJR四国所属として2001年春まで活躍した。
意外にも最後まで活躍した車両はJR西日本に所属していたクハ111-314(クハ111-5314として2006年廃車)だった。
廃車発生品の台車および主電動機は豊橋鉄道1900系や京福電気鉄道(えちぜん鉄道)1101形に流用された。
公的に保存されている車両は、リニア・鉄道館のクハ111-1が存在する。
かつては浜松工場に中間車のモハ111・110-1が、多度津工場にクハ111-3002が保存されていたがいずれも2011年までに解体されている。