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日本国有鉄道70系(電車)編集

聖ヶ鼻に古豪の歌を響かせて

戦後型旧型国電の1形式で、通勤と中距離の輸送性格を併せ持った路線用に開発された3扉セミクロスシート車。後の急行形電車につながっていく80系に対し、70系は近郊形電車の先駆けとなった形式で、両者はどちらも電動車が中間車のみであることや、全体的なデザインが共通していた。

ただし70系は戦前から使われてきた雑多な電車の置き換えを目的に開発されたため、機構的には従来車との混用を前提としたやや保守的なものとなっており、80系が歯車比の関係もあって他形式との連結をほぼ行わなかったのに対し、70系では編成中に他形式が混じることが珍しくなかった。横須賀線では42系、関西地区や中央東線では72系など扉の数が異なる形式とも構わず連結された。

このため車両数が充足していた三等付随車(サハ)は新造されず、本形式のサハは全て改造車である。

1949年の最初期の計画では72系を3扉化したようなデザインで、1950年の計画図では80系1次車を前面窓2枚にしたようなデザインだった。

1951年から1958年にかけて282両が製造された。


形式としては以下のような車両があった。

  • クハ76形 - 湘南型の前面形状を持つ制御車。
  • モハ70形 - 中間電動車。
  • モハ71形 - 中間電動車(中央東線向け低屋根仕様)
  • サロ75形 - 中間付随車(2等車)。2扉車。登場時は75の番号が他形式で使われていたためサロ46形を名乗っていたが、車両称号規定改正により空きが生じたため改称された。
  • サハ75形 - 中間付随車(サロ75形の3等化格下げ改造車)。2扉のままの0番台と3扉化された100番台があった。
  • クハ75形 - 切妻型(クハ103形高運転台車類似)の前面形状を持つ制御車。サロ75形からの改造車。2扉のままだった。
  • クハ77形 - 切妻型(クハ103形高運転台車類似)の前面形状を持つ制御車。80系クハ85形からの改造車。3扉化されていた。

横須賀線中央本線(中央東線)、東海道本線(関西地区)、山陽本線(関西地区)、阪和線に新製配置。

113系など新性能電車が増備されるにつれて新潟地区、中央本線(中央西線)、両毛線、長野地区、広島地区、日光線飯田線仙石線に転出。

このうち日光線と飯田線、仙石線は中間車のみが転出し、日光線では40系、飯田線では52系、仙石線では51系の中間に組み込まれて運用された。

1976年から廃車が始まり、1981年に引退。最後まで使用されたのは福塩線だった。

国鉄末期にクハ76066が大船工場で、モハ71001が広島工場に保管されたがいずれも解体され、保存された車両はない。


日本国有鉄道70系(客車)編集

1946年以降に登場した形式で、10の位の7は戦時中に故障したり被弾によって破損したまま放置されていた車両を修理した「戦災復旧車」を意味する数字である。車籍上は客車改造車と電車改造車の2種類がいた。もとより急場をしのぐための間に合わせの車両だったため、金属加工技術を持つあらゆる企業が改造に携わり、その仕上げもバラバラで雑型客車と言ってよいものだった。中には走行に必要な最低限の装備意外はすべて省略した車両もあり、そうした車両は実用上も不便だったため1950年から早々に事業用形式へ改造されている。

形式名も大まかな特徴のみを根拠につけられており、同一形式であっても車両によって仕様に大きな違いがあった(扉の数さえバラバラだった)が、当初は数字に以下のような規則性がある。


  • 70 - 車体長17m、営業用
  • 71 - 車体長20m、営業用
  • 72 - 車体長20m、営業用(郵便車・郵便荷物合造車のみ)
  • 73 - 車体長17m、営業用(長距離用荷物車)
  • 74 - 車体長20m、営業用(長距離用荷物車)
  • 75 - 車体長17m、営業用(荷物車・郵便車のみ)
  • 76 - 車体長20m、営業用(荷物車のみ)
  • 78 - 車体長20m、3軸ボギー車(当初は77だったが、1953年に1の位の8・9が3軸ボギー車を表す記号に指定されたため、78に形式変更した)

本来であれば新車の供給が安定した時点で廃棄する前提の車両だったが、なんとこのうち1両である救援車スエ78 15は国鉄の分割民営化の際にJR東日本へ引き継がれ、21世紀まで車籍を保った。

この車両は1933年にスロシ38000形として製造され、その後時世に合わせて何度も改造が繰り返されてきた車両で、1966年に救援車に改造され高崎客車区に配置されていた。

実際に救援車として出動したことは一度もなかったようだが、皇室用客車を除けば国鉄末期に実働可能だった唯一の3軸ボギー客車のため、イベント列車用に残されていた。

JR東日本では普通の客車に復元されず、救援車のまま主に首都圏のイベント列車に連結されていた。そのため本来は事業用でありながら実際には営業用にのみ用いられた車両としても特異な存在だった(内部には救援作業用機材と作業員が乗るための簡素な座席があったが、定員は0人なので、書類上は「乗客が立ち入ることができた」と言ったほうが適切)。また牽引をEF55 1号機が担当したこともあり、牽引機ともども戦争の生き証人としても貴重な存在だった(どちらも戦時中、米軍機の機銃掃射で破損している)。

しかし2007年に台車が破損して翌年には廃車解体となり(3軸台車のため、カーブで中央軸に負荷がかかり損耗を早めたと言われる)、ついに国鉄70系客車は形式消滅となった。


ななつ星in九州77系客車は70番台の車号を使っているが、もちろん戦災復旧車ではない。


大阪市交通局(現:OsakaMetro)70系編集

【擬人化】大阪市営地下鉄70系更新車

1990年長堀鶴見緑地線(当時は「鶴見緑地線」)開業時に営業運転開始。日本のリニア地下鉄の第1号である。1991年に鉄道友の会からローレル賞を受賞した。


  • 4両編成。第1編成~第13編成の前期グループは開業時からの車両で、第11編成の7061号、7161号、第12編成の7262号、第13編成の7113号は試作車の量産化改造によって組み込まれたもの。
  • 第14編成~第25編成の後期グループは1996年と1997年の延伸開業時に増備。外観・塗装が前期グループの製造時と異なる。
  • 製造から20年以上が経過した時期にリニューアル工事を施工した(VVVF制御の素子をGTOからIGBTに変更)が、施工時期により塗装変更のパターンが緑系主体のもの・ピンク系主体のものと分かれている。

一畑電気鉄道(現:一畑電車)70系編集

一畑電気鉄道が1964年に導入した電車。製造は木南車輛製造

西武鉄道301形を譲り受けたもので、急行列車近代化を目的に4両が導入された。

譲渡に際し西武所沢工場で3扉ロングシートだった車体構造・内装を2扉セミクロスシートに改造。2両を電装解除し2両編成で運行された。

同時期に導入された60系と仕様を合わせるため扉を移設する大規模な改造を行っている。

モーターも60系と同じ鉄道省MT4形に交換された。

長年一畑電鉄の標準塗装となる黄色地に青帯の塗装を採用した最初の形式である。

同時期に導入された60系が80系(元西武451系)に置換えられる形で廃車になった一方で北松江線の急行運用に就いたが、戦時中に製造された車両だったため1990年代には老朽化が著しい状態となり、2100系(元京王5000系(初代))に置換えられる形で1995年までに全車廃車となった。


その他編集

自動車のあるモデルのうち特定の世代の呼び方。この呼び方が使われるのは殆どがトヨタ車。

ランドクルーザー(1984年~)、マークⅡ/チェイサー/クレスタ(1984年~)、スープラ(1986年~)、ノア/ヴォクシー(2007年~)…など。


関連タグ編集

鉄道車両の形式の一覧 鉄道車両 70形 77系 新潟色

60系 80系

大阪市営地下鉄 国鉄 一畑電鉄

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