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42系

よんじゅうにけい

鉄道省が1933年から1935年にかけて製造した電車を便宜的に総称したものである。
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概要編集

東海道山陽本線吹田駅須磨駅間電化に合わせて導入された20m級車体・2扉クロスシートの旧型国電の総称。

ほぼ全車両が関西地区に投入され、東京地区に新製投入されたのは横須賀線向けのモハユニ44形が唯一である。


当時すでに強力なモーターを搭載する新京阪鉄道P-6形や阪神急行電鉄920形に対抗するため、高速運転を前提に開発された。


ただし搭載するモーターは40系と同じ100kW級のMT15C形であった。

台車も40系と同じく電動車はTR25(DT12)形、付随車はTR23形だが、歯車比は32系と同じ1:2.26の高速型になっている。

横須賀線用32系は電動車のみ17m級車体であったが、本形式は40系同様電動車も20m級車体を採用、内装は扉間がクロスシート、扉周りはロングシートとされた。

運転台は半室構造の貫通型。


同じく関西地区の急行電車用に導入された流線形の52系とは共通運用されることも多く、52系も当系列の一部として扱う意見もある。本項では52系の中間車についても併せて紹介する。


形式編集

基本形式編集

両運転台の制御電動車。1933年に13両が製造され、主に増結用に使用された。製造は日本車輌川崎車輛梅鉢鉄工所


  • モハ43形

片運転台の制御電動車。1933年から1934年にかけて37両が製造された。製造は川崎車輛、梅鉢鉄工所、大阪鉄工所

1937年には4両が川崎車輛で追加製造されたが、こちらは51系に似た半流線型の前面で52系3次車としても扱われる。


  • モハユニ44形

郵便荷物合造車。1934年に横須賀線モハユニ30形の置換え用に5両が製造された。本形式で唯一新造時から東京地区に導入された形式。製造は汽車製造

前面貫通扉を有する半室構造の運転台であることが多い本系列の中で、唯一前面非貫通・全室運転台となっている。


  • サロハ46形/サロハ66形

二等・三等合造車。1934年に4両が製造された。製造は日本車輌。

32系に属する同形式とは引き通し線の芯数と定員が異なることから当初100番台が附番されたが、1936年に32系の続番に改められた。

52系の増備に伴い、1937年に全車両が吹田工場で三等室側に運転台を設置、クロハ59形に編入された。

1936年に52系の中間車として1両が川崎車輛で追加製造されたが、以後の増備車4両は当初から便所を備えたサロハ66形となり、1次車のサロハ46形も便所を取り付けてサロハ66形に改称された。この4両も川崎車輛製。

1943年の関西急電二等車廃止に伴い52系中間車のサロハ66形も二等室をロングシート化しサハ48形に編入されたが、最終増備車2両は貴賓車の予備車としてサロハ66形のまま残された。


  • クハ58形

制御車。1933年から1935年にかけて25両が製造された。製造は日本車輌、川崎車輛、田中車輛

ラストナンバーのクハ58025は半流線型の前面が特徴だった。

1933年に製造された22両のうち、12両は中間車サハ48形として計画されたが、並行私鉄に対抗するための増発に対応するため先頭車に計画変更された。


  • サハ48形

付随車。42系用としては製造されず、52系の中間車として1936年から1937年にかけて6両が製造された。製造は1次車向けの1両が川崎車輛、他は日本車輌。


  • クロハ59形

二等・三等合造制御車。1933年から1934年にかけて21両が製造された。製造は川崎車輛。

前述のように1937年にサロハ46形の改造車4両が編入された。こちらは運転台が全室式で二等室側の定員が多いのが相違点。


改造形式編集

  • クハ68形

1938年に急行電車以外の二等車が廃止されたことに伴い、クロハ59形はそのまま全室三等車として運用されていたが、車体中央部に扉を増設しクハ68形とする計画が浮上した。

1941年から改造が始められたが、25両中16両が改造されたのみにとどまった。

残る車両は戦時輸送の本格化に伴いオールロングシートのクハ55形に改造され、後にクハ68形に改造されたグループもロングシート化されクハ55形となった。


  • モハ64形

1943年に戦時輸送のためモハ43形37両の台車を40系と交換し低速化、側面扉を片側4枚とする改造が計画されたが、1944年8月に計画を変更、14両を3扉化しモハ51形とし、残る23両を4扉化することとした。

しかし戦況の悪化により4扉化は13両にとどまり、モハ51形への改造は1両も実施されなかった。

4扉改造車は新たにモハ64形に改称された。

改造については個体差があり、種車の窓割りを大きく変更し幅1000mmの扉を増設した車両と、窓割りを変更せずに幅1100mmの扉を増設した車両がある。


  • モハ32形(2代目)

1944年に戦時輸送のためモハ42形10両の台車を40系と交換し低速化、側面扉を片側4枚とする改造が計画されたが、戦況の悪化により改造されたのは5両にとどまった。

モハ42形のうち残る3両は台車を交換せずに3扉片運転台化しモハ51形に編入する計画だったため形式名の変更は行われなかったが、計画中止によりモハ42形には2扉高速型と4扉低速型が混在するようになった。

1953年の車両称号規定改正に伴い空いたモハ32形に改称された。


  • モハ51形

モハ42形の3扉片運転台化は実際にはモハ42012の1両が改造されモハ51073となったのみにとどまった。

改造当初は片側の運転台を撤去したのみで2扉のままだったが、1953年の更新修繕により3扉化され正真正銘のモハ51形となった。


  • クハ85形→クハ79形30番台

1944年に戦時輸送のためにクハ58形25両を4扉化する改造が計画されたが、戦況の悪化により改造されたのは13両にとどまった。

試験的に改造されていたクロハ59022→クハ55106を含めて全車両がクハ85形に改称されたが、1949年に80系の登場に合わせてクハ79形30番台に改称された。

このうちクハ79055はクハ58025を改造した半流線型の車両で異彩を放った。


  • モハ53形

戦時改造を免れ2扉高速型のまま残っていたモハ42・43形は戦後横須賀線に転属、このうちモハ43形7両は70系電車と混用するため1951年にモーターを出力142kWのMT30形に交換した。

当初は800番台が附番されたが、1953年の車両称号規定改正に伴いモハ53形となった。

52系に属する半流線型のモハ43形2両も阪和線特急電車用に同様の改造を受けモハ53形に編入された。

ちなみにモハ52形5両は1次車2両はMT30形に交換したことは確実とされている一方、2次車3両については定かではないとされ、佐久間レールパークに保存されていた当時のクモハ52004に至っては製造時に搭載していないMT15形を搭載していたとされる。


  • クハ47形150番台

格下げ改造されずに残ったサロハ66形は戦後阪和線特急電車用に使用されていたが、1951年に飯田線に転出。1952年に三等室側に運転台を取り付けクハ47形に編入された。

当初は他のクハ47形と区別されなかったが、1959年に150番台に改番された。


  • クモハ50形・クモハ51形200番台

1963年に横須賀線に所属するクモハ43形・クモハ53形各5両を70系電車に合わせて3扉化した車両。

クモハ53形はクモハ50形、クモハ43形はクモハ51形200番台となった。


  • サハ58形

横須賀線に転属した52系のサハ48形は、70系電車に合わせて3扉化されサハ58形となった。

当時横須賀線に所属していた6両全車が改造されたが、種車の違いやトイレの有無によって4区分に分類された。

0番台:52系1次車(1両)

10番台:52系3次車・トイレ付(2両)

20番台:52系2次車・トイレ無(2両)

50番台:52系2次車・元サロハ66形(1両)

サハ58050はサロハ66形改造車である他、張り上げ屋根が残され異彩を放っていたが、後に他車より少し高い位置に雨どいを付け直している。


  • クモハユニ44形800番台

富士の裾野を走った古豪達

1956年にクモハユニ44形3両が身延線への転属に合わせ低屋根化、800番台が附番された。

後の低屋根化改造車とは異なり全体の屋根を低くする改造が施され、前面も切妻となって大きく印象が変わった。

大糸線に在籍していたため低屋根化改造を受けなかったクモハユニ44003も1968年に身延線転属に伴い低屋根化改造を受け800番台となったが、こちらはパンタグラフ周辺のみ低屋根化されたため原型に近い形態となった。


  • クモハ43形800番台

半流線型モハ43形のうち唯一出力増強改造を受けなかったモハ43039は、出力増強改造を受けた2両と共に飯田線で使用されていたが、1965年に身延線に転属。

浜松工場でパンタグラフ取り付け部の屋根を削り低屋根化され、800番台が附番された。

同様にモハ43形3両が低屋根化され800番台となった。


  • クモハ51形850番台

1966年にクモハ51形2両を低屋根化したもの。


  • クモハ51形830番台

1970年にクモハ14形の置換え用にクモハ51形を低屋根化したもの。大元はモハ42形で、モハ42形を種車とする車両で唯一低屋根化された車両となった。


  • クハ68形400番台

1967年に飯田線で運用されていた元クロハ59形のクハ68形3両にトイレを設置した車両。


戦前の動向編集

関西地区への投入を目的に開発された形式であるが、落成直後は東海道・山陽本線の電化の遅れから、1934年春に中央線急行電車で運行を開始した。新宿駅浅川駅間の行楽用臨時列車にも投入され、往復運賃が1円(当時)だったことから「円タク」ならぬ「円電」という愛称で呼ばれたとされる。

その後1934年7月20日の吹田駅~須磨駅間電化に合わせて同区間の電車運転用に集中投入された。

配置は新設された宮原電車庫(後の宮原電車区)で、大阪駅神戸駅間では料金不要の急行電車が運転された。

普通電車はラッシュ時は4両、閑散時は2両編成で、吹田駅~須磨駅間で運転された。同年9月20日には明石駅まで延伸された。

1936年に急行電車用の52系、1937年には3扉の51系が導入され、1937年10月10日には吹田駅~京都駅間電化に伴い京都まで足を延ばした。

1935年に登場したモハユニ44形は横須賀線に導入されモハユニ30形を置換えた。


戦後の動向編集

大戦末期の空襲や機銃掃射によって11両が被災廃車、同時期に6両が事故廃車となった。これらの車両は70系客車に復旧されたほか、小田急電鉄1800形1700形の種車になったとされる。


1949年に2扉のまま残った車両を使用して急行電車の運転を再開。増発に合わせて52系も急行運転に復帰した。

1950年に42系2扉車が横須賀線に転出し、入れ替わりに関東からモハ51形改造のモハ41形が転入した。

多扉化改造車は51系・70系とともに京阪神緩行線や城東線西成線片町線で使用され、城東線系統は4扉車が主体となった。

1958年には城東線系統の車両は101系に合わせてオレンジバーミリオン単色に塗装変更された。

1961年に大阪環状線が「の」の字運転で開業、翌1962年には101系の増備に伴い大阪環状線から運用を離脱し、片町線主体の運用となった。

阪和線には1950年代に転用され、80系に置換えられる形で京阪神地区を離脱した52系も投入されたが、70系に置換えられる形で短期間で飯田線に転出した。


横須賀線に転属した42系は横須賀色に塗り替えられ、70系と混成されて運用された。

田町電車区に配置され伊東線でも運用された。

クモハ42001・005・006が1957年に宇部線小野田線に転属したほかは1960年代まで活躍し、113系に置換えられる形で飯田線・身延線に移った。


1953年の車両称号規定改正に伴い、クハ58形はクハ47形100番台、モハ64形はモハ31形(2代目)、モハ42形4扉改造車はモハ32形(2代目)に改造されたほか、オールロングシート化されクハ55形となっていたクロハ59形がクロスシート化されクハ68形(2代目)となっている。

1959年の形式称号規定改正に伴い制御電動車に新記号「クモハ」が制定され、電動車は全車「クモハ」に改称されたが、これに伴いモハユニ44形はクモハユニ44形とカタカナ5文字の珍形式として話題になった。


1950年代後半に飯田線に移った車両は、当初黄かん色に青2号の専用塗装「飯田線快速色」に塗られたが、後に湘南色を経て横須賀色に統一された。

1960年代に身延線に移った車両は低屋根化され横須賀色のまま運用された。

同時期には大糸線にクモハユニ44形が転入し、続いて各地から旅客車が転入、塗装をスカイブルー単色に塗り替えて運用された。

宇野線など岡山地区でも51系・80系と共に4扉車クモハ32形や3扉車クモハ51形が運用された。

京阪神地区では1970年代に運用を離脱した。

1977年に福塩線に70系が導入された際、クモハがなく入換に不便だったため岡山地区に配置されていたクモハ32000が転属、105系に置換えられるまで活躍した。

また入換機兼高槻電車区の職員輸送車としてクモハ32002が1980年代初頭まで現役だった。


中部地区では身延線が1981年、大糸線が1982年に115系の投入に伴い、飯田線は1978年に80系が、1983年に119系が投入されたことで置き換えられ廃車となった。


しかし1957年に横須賀線から宇部線・小野田線に転属したクモハ42形は前面に黄色の警戒色を纏って運用され、105系の投入によって旧型国電の置換えが進む中でも小野田線本山支線用として残存。クモハ42005は国鉄分割民営化と同時に廃車となったが、他2両はJR最後の営業用旧型国電として活躍した。

民営化後の動向はクモハ42の記事も参照。


関連タグ編集

旧型国電

32系 40系 52系 51系

クモハ42

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