概要
1963年から1983年にかけて国鉄が新製・投入した近郊形電車。
寒冷地や勾配区間がある路線向けの車両であり、基本設計を同じくする113系に抑速ブレーキや半自動扉機能等が付加されている。
そのため見た目はほぼ同一であるが、湘南色やスカ色などでは先頭車正面の帯の角度で見分けることが可能である。例えば湘南色であれば下半分の緑色が斜めに切れていれば113系、正面ドアに合わせるように垂直になっていれば115系である。
側面を見ると扉半自動機構装備のため扉に大型の取っ手が装備されている他、扉が開状態だとこの取っ手部分の引き残しが見られるのが特徴。
ドアはもちろん自動で開けれるのだが、115系の使われる地方線区では気候が厳しく、外気が入って面倒くさいために手動扱いにされることが日常的。ドアポタン付きは西日本の40N改造車などに限られ、東日本では21世紀の今日に手でドアをこじ開けるという切ない光景が広がっていた。
国鉄分割民営化に際しJR東日本・JR東海・JR西日本に承継され、2014年現在もJR東海を除く2社で運用されている。このほか、長野新幹線及び北陸新幹線金沢開業時にJR東日本から経営分離されたしなの鉄道や、老朽車両の置き換えとして伊豆急行に一部車両が譲渡されている(伊豆急では2008年に全廃となった)。
JR東日本
高崎線からは2003年までに、宇都宮線からも2005年までに全車引退(ただし両毛線からの乗り入れは2016年春まで残された)してしまった。最終的には高崎地区・中央東線及び長野地区・新潟地区の3地区で活躍していたが、2015年に長野地区、2018年に高崎地区から引退。最後まで残っていた新潟の3両編成7本21両も2022年3月12日のダイヤ改正で運行終了することがダイヤ改正直前3月11日に発表された。
中央東線・長野地区
中央東線及び長野地区では2013年春より211系による置き換えが進行。まず2両編成がしなの鉄道譲渡のために先行して置き換えられ、3両編成も2グループに分けての置換えが進められた。加えて豊田の115系も2014年12月に一斉に長野の211系に置き換えられ、2015年3月を持って長野の残留車も全車置き換えが実施された。なお状態のいい3両編成の一部は新潟に移籍。
当初から長野地区では1000番台が主力であったが、投入当時の悪化した国鉄財政から冷房本体は搭載しない冷房準備車として登場。JR移行後搭載工事がなされるが、工期を短縮するために車内に風洞を設置せず、装置本体から直接冷風を吹き出させる簡易型改造車も見られ、晩年まで運転された。信越線運用車では、昨今流行の広告ラッピング車のはしりとして「コカコーラ塗装」が存在していたことがある。該当編成は後に通常の新長野色に変更されるが、さらにまわりまわってしなの鉄道に譲渡され再び同じコカコーラ広告復刻色となる。
北陸新幹線部分開業におけるしなの鉄道移行の際は、同じ長野色でもATSにP型を搭載する長野車とSNのみの松本車とで振り替えが実施され、SN搭載車が譲渡対象となった。
置き換えが完了した3両編成に引き続き、6両編成も2015年10月に置き換えが完了。これにより、篠ノ井駅以南からは115系が姿を消すこととなった。篠ノ井駅以北ではしなの鉄道の車両が引き続き乗り入れる(北限は妙高高原まで)。特に2014年12月まで運行されていた豊田の車両は最後のスカ色として知られ富士急行にも乗り入れていた。なおスカ色は後に意外なところで復活することとなる。詳細は後述。
高崎地区
高崎線撤退後も湘南色をまとい両毛線や上越線・信越線で活躍を続けていた。
しかし後継車に置き換えられ2018年春に運用を終了。これによりJR東日本管内から湘南色が消滅してしまった。(なお、長野地区に湘南色の115系が1本だけ残っているが、こちらは訓練車になっており工場の一般公開日以外は見る・乗ることが非常に難しい…と思いきや思わぬところで湘南色も復活することになった。詳細は後述)。
高崎車は全廃されたと思いきや、元T1040編成のクモハ115 1030のみ車籍が残された状態で2022年現在も長野総合車両センターに留置されている。
新潟地区
新潟地区では115系と言っても0番台、500番台、1000番台など数種類が存在し、リニューアル改造車と未更新(魔放置)が存在していた。冷房装置が付いているものの、トイレがない2両編成や先頭化改造された中間車など、いろいろ鉄分が多い方には楽しめる場所であった。
E129系の投入によって一気に廃車が進み、2016年春に上越線、2018年春に白新線・羽越線から撤退。この時生え抜き組(上記のラインナップ組)は全車運用離脱。以後は長野からの移籍組である1000番台7編成21両のみとなっていたが、これらも2022年3月12日のダイヤ改正をもって運行が終了した。
JR東海
民営化時に99両を継承。主に静岡地区で活躍していたが、313系の大量増備により2007年までに全車引退した。同社の113系同様、大きな改造は施されず概ねオリジナルの形態を保っていた。床下がグレーとなっていたのが特徴。なお、冷房装置は国鉄時代に改造されていた車輛はAU75クーラーを搭載するが、JR移行後に冷房改造された車両は改造コストの関係からすべて集約分散型C-AU711インバータークーラー搭載となっている(1000・2000番台はAU75前提の冷房準備車であったが、室内部分に冷房用風洞の準備がなされていないなど問題も多く、結局他車同様にC-AU711搭載とされた。MGは当初から冷房車と同等であったため、屋上にインバーター装置は搭載しない)
国鉄時代は、身延線用2000番台は国鉄赤2号地にクリーム10号の地域色となっていたが、東海道・御殿場線などとの車両共通運用の関係からすべて湘南色に統一されてしまった。
1998年にリバイバルで塗装が復元された編成があったが、「ブドウの色」という指示に工場の手違いから国鉄ぶどう色2号を塗られてしまうという椿事が発生、二日で再入場し正規の赤二号に塗り戻されるというハプニングがあった。
その後も、JR東日本の所有する車両が中央本線(塩尻~中津川間)と飯田線(辰野~飯田間)に乗り入れていたが、2014年に211系に運用を置き換えられた。
JR西日本
所属車両の殆どが中国地方で運用されており、民営化後も永らく主力車両として活躍している。また、切妻の先頭車化改造や体質改善工事による転換クロスシート化、俗に末期色と呼ばれる単色化など、さながら魔改造というべき車輌が数多く存在している。
広島地区
國鐵廣島の主として長年に渡って君臨しており、その中で数多くの珍車が在籍してたことでも知られた、全国屈指の115系天国であった。
暖地用後期型3扉車の2000番台、広島シティ電車政策で登場した2扉の3000番台といった生え抜き組の他、首都圏から転入してきた0・300番台やその先頭車化改造車、113系や117系からの改造編入車、チクビームといった珍車たちも数多く存在。改造・更新工事や塗装変更等もあって常に話題を振りまいていた。
2015年から後継の227系が投入され、以降は急速に廃車が進んだ。2扉車は2016年春のダイヤ改正で撤退。残る車両も2019年春のダイヤ改正で全車引退し、42年間にわたる広島地区での活躍に幕を閉じた。
岡山地区
113系・117系と共に主力の座を保持している。
岡山駅を中心に、ステンレス車である213系やその後継である223系5000番台と共存しているため、広島地区よりはマシと言われてきたが、その広島は先述の通り一足先に115系を全廃したことから、逆にこちらが国鉄天国となってしまった。
ラッシュ時には広島地区と相互乗り入れが行われており、広島車とは床下の色(岡山は黒、広島はグレー)で区別できた。
広島車が引退した頃から岡山車も床下をグレーに変更している。
山口地区
岡山地区同様、115系が主力に君臨している。
4両編成の運用はほぼ2扉車であり、転換クロスシートに座れる確率が高い地区である。
かつては広島地区と共にネタ車の宝庫だったが、227系投入によりそれらが一掃されてからは車齢の若い編成に統一された。
しなの鉄道
開業時にJR東日本から1000番台の3両編成11本を継承(1本は後に廃車)。ただし装備の都合から元々走っていた編成ではなく、松本からの移籍車が譲渡された。
当初はJRの塗装のまま運用されたが、後にしなの鉄道オリジナルカラーに変更された。
2012年には小諸を舞台としたアニメ『あの夏で待ってる』のラッピングを施された編成も登場。
2013年3月に、169系の老朽化(に加えて、篠ノ井以北に乗り入れるために必要な保安装置の対応ができないと判断されたこと)による置き換えとワンマン運転の拡大を目的に、JR東日本から2両編成を7本譲り受けている。
2015年3月に信越本線・長野ー妙高高原を北しなの線として譲渡されるのにあわせ、3両編成5本を譲渡された。
2015年3月時点で3両編成15本、2両編成7本を保有している。だがこちらも地元新聞等の報道によると置き換え計画が進行しており、2020年7月からはE129系をベースとした新型車両SR1系の導入が開始され、115系2編成に廃車が発生した。
最終的には「ろくもん」以外の115系は全廃となる模様である。
しなの鉄道所有の115系1編成が観光列車「ろくもん」に改造され、しなの鉄道線内のほか臨時列車として南は塩尻・北は上越までの運行実績がある。
まさかの湘南・スカ色復活
2017年春より、かつて115系がまとった色の復活が始まり、第1弾の旧長野色を皮切りに湘南色・スカ色・さらに国鉄時代に一時期走行したコカ・コーラ色が復活。ろくもん・しなの鉄道色・新長野色と合わせカラーバリエーションが豊富となっている。なおろくもん以外は共通運用となっている。
伊豆急行
2000年、100系の老朽置き換えのため親会社の東急8000系を導入する計画だったが、当時は8000系に廃車が出ていなかったためその「つなぎ」としてJR東日本から113系・115系を譲り受け200系として運用することとなった。
115系を種車としたグループは3両編成で、中央東線で運用されていた車両である(中には低屋根車モハ114-800も含まれていた)。
前述のとおり「つなぎ」でしかないため大掛かりな改造は行われなかった。
予定通り東急で8000系の廃車が発生すると順次置き換えが開始され、2008年に全廃となった。
⇒伊豆急行200系
関連イラスト
主な運用路線(過去のものを含む)
東北本線 高崎線 上越線
信越本線 越後線 白新線 羽越本線
中央本線 篠ノ井線 大糸線
東海道本線 飯田線 身延線 御殿場線
山陽本線 伯備線 呉線 可部線 山陰本線 舞鶴線
富士急行線 しなの鉄道線 伊豆急行線