概要
1963年から1983年にかけて国鉄が新製・投入した近郊形電車。
寒冷地や勾配区間がある路線向けの車両であり、基本設計を同じくする113系に抑速ブレーキや半自動扉機能等が付加されており、153系を源流とする東海顔の1種。
そのため見た目はほぼ同一であるが、湘南色やスカ色などでは先頭車正面の帯の角度で見分けることが可能である。例えば湘南色であれば下半分の緑色が斜めに切れていれば113系、正面ドアに合わせるように垂直になっていれば115系である。が、編成が僅かかつ時期も短かったものの例外が存在した時期もあるため、100% の見分け方が存在しない。側面を見ると扉半自動機構装備のため扉に大型の取っ手が装備されている他、扉が開状態だとこの取っ手部分の引き残しが見られるのが特徴。
ドアはもちろん自動で開けれるのだが、115系の使われる地方線区では気候が厳しく、外気が入って面倒くさいために手動扱いにされることが日常的。ドアポタン付きは西日本の40N改造車などに限られ、東日本では21世紀の今日に手でドアをこじ開けるという切ない光景が広がっていた。中央東線運用車には一時期、スカ色に塗装変更され制御回線を変更されたサロ165が急行運用において併結されていたことがある。
国鉄分割民営化に際しJR東日本・JR東海・JR西日本に承継され、2023年現在はJR西日本山陽地区で運用されている。このほか、長野新幹線及び北陸新幹線金沢開業時にJR東日本から経営分離されたしなの鉄道や、老朽車両の置き換えとして伊豆急行に一部車両が譲渡されている(伊豆急では2008年に全廃となった)。
JR東日本
高崎線からは2003年までに、宇都宮線からも2005年までに全車引退(ただし両毛線からの乗り入れは2016年春まで残存)してしまった。最終的には高崎地区・中央東線及び長野地区・新潟地区の3地区で活躍していたが、2015年に長野地区、2018年に高崎地区から引退。最後まで残っていた新潟の3両編成7本21両も2022年3月12日のダイヤ改正で運行終了(前日にその旨が発表)となり、同社では運行終了となった。
しかし、下記の通り高崎車の1両が車籍を残したまま長野総合車両センターに留置されており、今後の動機は不明だが2023年現在も形式消滅とは至っていない。
中央東線・長野地区
中央東線及び長野地区では2013年春より211系による置き換えが進行。まず2両編成がしなの鉄道譲渡のために先行して置き換えられ、3両編成も2グループに分けての置換えが進められた。加えて豊田の115系も2014年12月に一斉に長野の211系に置き換えられ、2015年3月をもって長野の残留車も全車置き換えが実施され、11月には残っていた3連1本も運用終了。全車が運用を完全に終了した。なお先述の3連1本を含め状態のいい3両編成の一部は新潟に移籍。
しかし、訓練車の3連1本が2019年10月に廃車解体されるまで残存したため、車籍自体は2019年まで存在していた。
当初から長野地区では1000番台が主力であったが、投入当時の悪化した国鉄財政から冷房本体は搭載しない冷房準備車として登場。JR移行後搭載工事がなされるが、工期を短縮するために車内に風洞を設置せず、装置本体から直接冷風を吹き出させる簡易型改造車も見られ、晩年まで運転された。信越線運用車では、昨今流行の広告ラッピング車のはしりとして「コカコーラ塗装」が存在していたことがある。該当編成は後に通常の新長野色に変更されるが、さらにまわりまわってしなの鉄道に譲渡され再び同じコカコーラ広告復刻色となる。
北陸新幹線部分開業におけるしなの鉄道移行の際は、同じ長野色でもATSにP型を搭載する長野車とSNのみの松本車とで振り替えが実施され、SN搭載車が譲渡対象となった。
置き換えが完了した3両編成に引き続き、上記の通り6両編成も2015年10月に置き換えが完了。これにより、篠ノ井駅以南からは115系が姿を消すこととなった。篠ノ井駅以北ではしなの鉄道の車両が引き続き乗り入れる(北限は妙高高原まで)。特に2014年12月まで運行されていた豊田の車両は最後のスカ色として知られ富士急行にも乗り入れていた。なおスカ色は後に意外なところで復活することとなる。詳細は後述。
高崎地区
高崎線撤退後も湘南色をまとい両毛線や上越線・信越線で活躍を続けていた。
しかし後継車に置き換えられ2018年春に運用を終了。これによりJR東日本管内からリバイバルではない生え抜きの湘南色が消滅してしまった。(なお、上記の通り長野地区に湘南色の115系が1本だけ残っていたが、こちらは訓練車になっており工場の一般公開日以外は見る・乗ること不可能であった…と思いきや思わぬところで湘南色も復活することになった。詳細は後述)。
高崎車は全廃されたと思いきや、元T1040編成のクモハ115-1030のみ車籍が残された状態で2023年現在も長野総合車両センターに留置されているため、JR東日本からの形式消滅には至っていない。
新潟地区
新潟地区では115系と言っても0番台、500番台、1000番台など数種類が存在し、リニューアル改造車と未更新(魔放置)が存在していた。冷房装置が付いているものの、トイレがない2両編成や先頭化改造された中間車など、いろいろ鉄分が多い方には楽しめる場所であった。
E129系の投入によって一気に廃車が進み、2016年春に上越線、2018年春に白新線・羽越線から撤退。この時生え抜き組(上記のラインナップ組)は全車運用離脱。以後は長野からの移籍組である1000番台7編成21両のみとなっていたが、これらも2022年3月12日のダイヤ改正をもって運行を終了。同年中に全て廃車されて姿を消した。
JR東海
民営化時に99両を継承。主に静岡地区で活躍していたが、313系の大量増備により2007年までに全車引退した。同社の113系同様、大きな改造は施されず概ねオリジナルの形態を保っていた。床下がグレーとなっていたのが特徴。
なお、冷房装置は国鉄時代に改造されていた車輛はAU75クーラーを搭載するが、JR移行後に冷房改造された車両は改造コストの関係からすべて集約分散型C-AU711インバータークーラー搭載となっている(1000・2000番台はAU75前提の冷房準備車であったが、室内部分に冷房用風洞の準備がなされていないなど問題も多く、結局他車同様にC-AU711搭載とされた。MGは当初から冷房車と同等であったため、屋上にインバーター装置は搭載しない)
国鉄時代は、身延線用2000番台は国鉄赤2号地にクリーム10号の地域色となっていたが、東海道・御殿場線などとの車両共通運用の関係からすべて湘南色に統一されてしまった。
1998年にリバイバルで塗装が復元された編成があったが、「ブドウの色」という指示に工場の手違いから国鉄ぶどう色2号を塗られてしまうという椿事が発生、二日で再入場し正規の赤2号に塗り戻されるというハプニングがあった。
その後も、JR東日本の所有する車両が中央本線(塩尻~中津川間)と飯田線(辰野~飯田間)に乗り入れていたが、2014年に211系に運用を置き換えられた。
JR西日本
所属車両の殆どが中国地方で運用されており、民営化後も永らく主力車両として活躍している。また、切妻の先頭車化改造や体質改善工事による転換クロスシート化、俗に末期色と呼ばれる単色化など、さながら魔改造というべき車輌が数多く存在した。
山陰地区
福知山線・山陰本線・舞鶴線では、それぞれ電化開業にあたり113系と共に投入された。
寒冷地を含むことからパンタグラフを増設したり、短編成化にあたりクモヤ145風の食パン顔に改造されたのが特徴であった。
2000年代後半からは221系や223系に追われる形で運用を減らし、2022年に最後まで残存した編成が廃車されて消滅した。
舞鶴線向けに改造された編成の一部が2008年に山口地区に転出しており、こちらは2022年現在も現役である。
岡山地区
113系・117系と共に主力の座を保持している。
岡山駅を中心に、ステンレス車である213系やその後継である223系5000番台と共存しているため、広島地区よりはマシと言われてきたが、その広島は先述の通り一足先に115系を全廃したことから、逆にこちらが国鉄天国となってしまった。
ラッシュ時には広島地区と相互乗り入れが行われており、広島車とは床下の色(岡山は黒、広島はグレー)で区別できた。広島車が引退した頃から岡山車も床下をグレーに変更している。
所属する内の3両編成2本のみ湘南色を維持しており、ファンから高い人気を誇る。これは地元利用者の要望を受け、特別に単色化の対象外としたことで実現したもの。
2023年度より227系に置き換えられる予定。
広島地区
國鐵廣島の主として長年に渡って君臨しており、その中で数多くの珍車が在籍してたことでも知られた、全国屈指の115系天国であった。
暖地用後期型3扉車の2000番台、広島シティ電車政策で登場した2扉の3000番台といった生え抜き組の他、首都圏から転入してきた0・300番台やその先頭車化改造車、113系や117系からの改造編入車、チクビームといった珍車たちも数多く存在。改造・更新工事や塗装変更等もあって常に話題を振りまいていた。
2015年から後継の227系が投入され、以降は急速に廃車が進んだ。2扉車は2016年春のダイヤ改正で撤退。残る車両も2019年春のダイヤ改正で全車引退し、42年間にわたる広島地区での活躍に幕を閉じた。ちなみに4両編成2本だけは波動輸送用として岡山区に転属したが、これも1年あまりで廃車されている。
山口地区
岡山地区同様、115系が主力に君臨している。
2扉の3000・3500番台が主力であり、転換クロスシートに座れる確率が高い地区である。
かつては広島地区と共にネタ車の宝庫だったが、227系投入によりそれらが一掃されてからは2扉車の4両編成と山陰地区から転入した2両編成に統一された。
2023年3月改正よりワンマン運転を開始している。
京阪神地区
1992年、221系の投入により新快速運用を追われた117系と交換する形で、岡山電車区の115系31両が網干電車区に転入。113系同様に高速化改造を施され、車番に+5000を付与して識別した。運用は113系と共通だった。
車両不足に対応する一時的な転属だったため、223系の増備に伴い岡山・山口地区への再転出が進み、2004年に113系と共に撤退した。
全車とも転出先で高速化を解除され、車番も元に戻されている。
しなの鉄道
開業時にJR東日本から1000番台の3両編成11本を継承(1本は後に廃車)。ただし保安装備の都合から元々走っていた編成ではなく、松本所属の編成を一旦長野へ転属させたうえで譲渡された。
開業前に塗装変更が間に合ったS3編成を除いて、当初はJRの塗装のまま運用されたが、後にしなの鉄道オリジナルカラーに変更された。
2012年には小諸を舞台としたアニメ『あの夏で待ってる』のラッピングを施された編成も登場。
2013年3月に、169系の老朽化(に加えて、篠ノ井以北に乗り入れるために必要な保安装置の対応ができないと判断されたこと)による置き換えとワンマン運転の拡大を目的に、JR東日本から2両編成を7本譲り受けている。
2015年3月に信越本線・長野ー妙高高原を北しなの線として譲渡されるのにあわせ、3両編成5本を譲渡された。
2015年3月時点で3両編成15本、2両編成7本を保有している。だがこちらも地元新聞等の報道によると置き換え計画が進行しており、2020年7月からはE129系をベースとした新型車両SR1系の導入が開始され、115系2編成に廃車が発生した。
最終的には「ろくもん」以外の115系は全廃となる模様である。
S8編成は観光列車「ろくもん」に改造され、しなの鉄道線内のほか臨時列車として南は塩尻・北は上越までの運行実績がある。
まさかの湘南・スカ色復活
2017年春より、かつて115系がまとった色の復活が始まり、第1弾の旧長野色を皮切りに湘南色・スカ色・さらに国鉄時代に一時期走行したコカ・コーラ色(2020年に終了)が復活。ろくもん・しなの鉄道色・新長野色(2022年廃車)と合わせカラーバリエーションが豊富となっている。なお、長野地区へ新製配置された115系1000番台は元々湘南色であり、S16編成ならびにS9編成は車両生涯上、初めてスカ色を纏ったことになる。ゆえに車歴的な観点から言えば、厳密にはスカ色はリバイバルではない。
これらは「ろくもん」を除いて共通運用である。
伊豆急行
2000年、100系の老朽置き換えのため親会社の東急8000系を導入する計画だったが、当時は8000系に廃車が出ていなかったためその「つなぎ」としてJR東日本から113系・115系を譲り受け200系として運用することとなった。
115系を種車としたグループは3両編成で、中央東線で運用されていた車両である(中には低屋根車モハ114-800も含まれていた)。
前述のとおり「つなぎ」でしかないため大掛かりな改造は行われなかった。
予定通り東急で8000系の廃車が発生すると順次置き換えが開始され、2008年に全廃となった。
模型化よもやま話
2023年現在日本の鉄道模型で主流とされるNゲージに於いて、115系の完成品の登場は意外と遅く、当時の大手二社から1984年にほぼ同時の発売であった。当時のNゲージはまだ「発展途上」の段階であり、マニア向けのキットも含めてようやく国鉄型の基幹となる形式が出揃いつつある時期であることを考慮すれば妥当なところだろう。
しかしながら21世紀に至るまで、両社ともシートピッチ拡大型の1000・2000番台しか発売されていない状態であった。これは1980年代前半のNゲージのユーザーが極端に若年層に偏っており、当然のように「最新型」ばかりを求める風潮があったためである。
そのため本来多数派であるはずの0・300番台は存在しないかのように1000番台でお茶を濁されてしまい、さらに両社のラインナップが(113系も含めて)ほぼ完全にバッティングするおまけまでついてしまった。
その後分割民営化による新型車・新製品ラッシュもあって、「国鉄近郊型」のジャンルは完全に置き去りにされてしまい、21世紀に入って新興メーカーによる新規製品が登場ようになるまで、約15年に亘る「ねじれ」現象は長らく続いたのである。(その間0・300番台が欲しければ、手間をかけて板状キットを組むのが当然だった)
近年では0・300番台各種が(国鉄仕様も含めて)各社から製品化され、ようやくラインナップが埋まるなど充実の方向にある。(1000・2000番台シリーズの金型が、基本的に113系と共用する約40年前の設計であり、それらの製品を現行レベルに引き上げる意味もある。)