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119系

ひゃくじゅうきゅうけい

国鉄が導入した直流用近郊型電車。主に飯田線で使用された。
目次 [非表示]

概説編集

飯田線における旧型国電の置換を目的として1982年から新製され、翌1983年より営業運転を開始した直流近郊形電車。


105系をベースとして長距離で駅間距離が短く閑散区間もある飯田線の実情に応じ設計された。国鉄分割民営化前後の一時期静岡近郊の東海道本線近距離列車(するがシャトル)に使われたことがある以外は一貫して飯田線(中央本線直通含む)専任で運用されていた。

1984年頃に越後線および弥彦線弥彦駅東三条駅間電化に備えて耐寒・耐雪仕様の本形式を投入する計画があったが、国鉄の財政悪化に伴い115系の余剰車で賄われる形となり、本形式は実質的に飯田線専用形式となった。


製造時はクハ118+クモハ119+クモハ119の3両編成を組んだL編成9本と、クハ118+クモハ119の2両編成を組んだS編成15本が組成された。


国鉄分割民営化時に全車両JR東海に承継され(JR東日本への乗り入れ運用も存在していた)、一部車両が単行運転用として両運転台式に改造された他、非冷房だった編成も1991年までに冷房化が行われた。その後、長らく飯田線の主として運用されてきたが、2009年8月にE4編成が登場時の塗装に復元され注目を集めた。

しかしどうやらそれが死亡フラグだったようで2011年11月より213系および313系への置換が開始され、2012年3月のダイヤ改正で全車が置き換えられ廃車となり、JR東海に残る国鉄時代の電車は211系0番台が2編成8両のみとなった。


なお、2004年10月の台風23号による土砂崩れによって、R4編成は一足早く廃車となっている。


しかしワンマン運転に対応した5300番台はえちぜん鉄道へ譲渡され、2013年より改造を受け同社7000形として活躍している。


構造編集

車体編集

前述の通り105系(3扉新製車)のそれが基本である。但し、105系では従来の近郊型同様運転台寄りのドアと運転台との間に開き窓を作れるほどのスペースがあったが、119系では扉自体を可能な限り前に寄せるためにこの分を後へずらし、第1ドアと運転台の間には戸袋窓もない。

また、製造年時のわずかの差で、119系では最初から防蝕構造を進めた構造(≒201系量産車)とされている。

車内はセミクロスシートであるが、「体格の向上」を理由にシートピッチ・シート幅とも引き上げたあとの近郊型の座席が基本のため、通路幅はその分かなり狭くなっている。

国鉄末期の「するがシャトル」用車には先行してAU75Gクーラーが搭載されたが、JR移行後には工期が短く改造コストが抑えられるC-AU711クーラー搭載の方針に改められている。

塗色は当初は天竜川をイメージしたターコイズブルー(青22号)にライトグレー(灰色9号)の帯であったが、このライトグレーの帯は当初塩ビ製シートを貼り付けていたためイタズラで剥がされることが多かった。

するがシャトル用転属車はクリーム地に赤の複雑なパターン塗装とされ、後にクリーム地に湘南帯のJR東海標準色・床下グレーに統一された。最晩年に登場時塗装のリバイバル車が現れたが、床下はグレー塗装のままであった。

なおJR東海標準色への塗り替えは基本的に冷房化と同時に行われていたが、最後に冷房化されたI15編成(クハ118-23+クモハ119-31)のみ一時期非冷房のままJR東海標準色に塗り替えられ異彩を放っていた。


主回路編集

ベースの105系用制御器に抑速ブレーキ機能を付加しただけである。また、この主制御器の設計はそのままJR東日本の107系に流用されている(駆動するモーターがMT55からMT54に変わっているだけ)。

付随台車のDT21は101系の廃車発生品とされ、当時の鉄道ジャーナル誌に「リサイクル電車」と紹介されたこともあった。

JRからの引退後、転用先・えちぜん鉄道7000形で使用電圧が大きく異なるため主回路の改造流用はされず、新品のインバータ制御の三相交流モーターとなった。但し主回路機器が今風になっているのとは逆に、60年前の基本設計(DT21)であるコイルばね式台車(DT33)がそのまま使われている。


番台区分編集

100番台編集

1987年に豊橋駅豊川駅間の区間運転増発に備えてL編成のクモハ119を1両外し、運転台を増設する両運転台化が行われた。9両が改造され、クモハ119形100番台となった。

番号は種車の番号が若い順に101から振り直されているが、0番台側の改番は行われなかったため欠番が生じている。

1989年から1990年にかけて冷房化が行われ5100番台となった。

編成記号は一貫してM○○。


5000番台編集

2両編成のうち民営化後の1989年から1991年にかけて冷房化された、C-AU711クーラーを搭載した車両。原番号+5000が附番された。

国鉄時代にAU75クーラーを搭載した車両は改番されていないためこの点でも識別可能。

また車内に一部の扇風機が残存しており併用されることもあった。

編成記号は飯田線に戻って来た0番台を含めてI○○だったが、2002年に大垣運輸区に転出してからは285系と重複したためかE○○に変更された。


5300番台編集

飯田線天竜峡駅辰野駅間のワンマン運転開始に備えて1999年から2000年にかけて5000番台2両編成7本を改造した車両。原番号+300が附番された。編成記号はR○○。

運賃箱・整理券発行機・運賃表示器の設置、客用扉の半自動開閉スイッチの設置、これに伴う一部戸袋窓の閉鎖が行われた。

前述のとおり2004年の土砂崩れでR4編成が廃車となったため、その代替として2005年にE3編成が改造されR8編成となった。


東海道線での運用編集

前述の通り、国鉄末期の昭和61年11月 静岡地区の増発の為に2両編成8本が新しい塗装で興津駅静岡駅島田駅間の「するがシャトル」に抜擢された。そして間合いで2両編成を4組連ねた細切れの8両編成で東海道を上り、沼津で切り離して御殿場線の裾野まで足を伸ばした。しかし113系より鈍足で高規格の東海道線の高速運転には不都合かつ2両編成のため混雑が激しく、JR化後すぐに211系に受け継ぐかたちで古巣の飯田線に帰り、JR東海標準色に変更される。アルプスを望む場所から都会へ、そしてまた山へ まさに『アルプスの少女ハイジ』のハイジである。先行して冷房改造された際のAU75Gクーラーが晩年に至るまで特徴となっていた。

するがシャトル時代の編成記号はSSで、これはそのまま211系5600番台に受け継がれた。また211系の「するがシャトル」幕は119系の専用塗装を模した図柄になっていた。

飯田線に戻ってからしばらくはするがシャトル色のまま運用に就いており、するがシャトル色+登場時塗装+JR東海標準色の混結運用まで見られた。


しかし飯田線に戻っても119系は静岡車両所に所属し後に大垣車両所に転属、検査などで回送だが、東海道を力走するシーンは見られた。


中央本線での運用編集

1985年から1986年にかけて中央本線塩尻駅辰野駅間の区間運転に導入されたこともある。

当時の方向幕に「塩尻」の表示がなかったため「普通」幕を掲出して運行したが、末期に「塩尻」幕が追加された。

123系の投入に伴いこの区間での定期運用は消滅した。

また諏訪湖祭湖上花火大会や全国新作花火競技大会の開催日には観客輸送で富士見駅まで足を伸ばすことがあったが、こちらは終始「臨時」幕を掲出していた。


アニメ作品に登場編集

平成初期~中期の飯田線を代表する形式ということもあって、沿線が舞台となるアニメ作品に登場することが多い。

特に有名なのは『究極超人あ~る』のOVA。飯田線を舞台にしたスタンプラリーが題材となっていることもあってJR東海標準色、登場時塗装ともに登場しているが、本来はするがシャトル色またはJR東海標準色の車両のみが搭載しているAU75クーラーを登場時塗装の車両が搭載している場面があり、一部の鉄道オタクから作画ミスと指摘されることがあった。

当時の鉄道模型雑誌で119系のグリーンマックスの板キット製品をベースにした徹底工作でこの仕様を再現した記事もあったが、当然ながら塗装が違うだけで実在する形態の車両であるため全くといってよいほど違和感がなかったとか。


関連タグ編集

飯田線 115系 121系 213系 313系

107系(主回路設計を流用)

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