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概要編集

国鉄が発足した1950年東海道線80系電車(湘南電車)が緑とオレンジ色の2色塗りで登場したのを受け、海沿いに向かう横須賀線には「を表現した色」としてクリームツートンカラーの塗装が採用された。ただしこの説には異論があり、1940年に開催されるはずだった東京オリンピックのイメージカラーを転用したとの見解もある。

蛇足になるが1940年東京オリンピックに備えて31系32系40系などに試験塗装が施され、赤茶色単色のもの(A案)とクリーム色と海老茶色のツートンカラーのもの(B案)が存在したとされる。

1949年に32系のモハ32028の片面に湘南色、もう片面にスカ色を塗装した「お化け電車」がその原点とされる。

翌1950年1月ごろから32系から正式に採用され、以後横須賀線の標準塗装となったことから「横須賀色」または「スカ色」と呼ばれるようになった。


採用当初は暗めの塗装(青2号(ウルトラマリン)+クリーム2号(キハ55系準急色と同じ))だったが、その後113系の登場に合わせて色彩が変更(青15号(インクブルー)+クリーム1号(薄茶黄)。20系客車583系と同じ)された。これについても塗料の統合・標準化のために20系客車・583系電車に用いられているものと同じ塗料に変更したとする見解もある。



採用車種編集

113系の運用拡大や115系の登場により、横須賀線ならびに総武快速線、さらには千葉支社管轄の総武本線(千葉駅以東)、外房線内房線成田線(東線)や中央本線(立川駅および高尾駅以西の中央東線)でも見ることができた。115系やその前任である中央東線用の70系で採用されたものは、「山スカ」と呼ばれることもある。

首都圏以外では関西圏において、横須賀線から転用されて1970年大阪万博開催時の臨時快速や、万博閉幕後に新設された新快速で使われた113系が有名。その後113系は湘南色に、新快速は専用塗装の153系に改められた。


国鉄分割民営化後は横須賀線・千葉地区・中央東線のみに集約され、新形式では1994年に113系の置き換え用として導入されたE217系で初採用された。登場時は青色部の色彩が濃かったが、機器更新施工後は淡い色合いへと変更されている。

2020年からはE235系1000番台がラインナップに加わったほか、2021年には成田線開業120周年を記念し、松戸車両センター所属のE231系0番代にも施された(「成田線開業120周年記念ラッピング」も参照)。

また、えちごトキめき鉄道ET127系では「田島塗り」と呼ばれる旧塗装ラッピングの第2弾としてスカ色を導入している。


湘南色と比べると癖が少ないカラーリングからか、導入当初も含め旧型国電への導入例も多く、国鉄時代は本州の直流電化路線で比較的数多く見ることができ、昭和末期の旧型国電では事実上の標準塗装となっていた。


阪和線に導入された70系が黄色と緑の快速色からこの色へと変更され、福塩線に転属後もこの色で運用された。

その他、32系や70系などが地方転出した際にそのまま使われた例も多く、信越本線篠ノ井線などの信州地区をはじめ、飯田線身延線の車両も順次スカ色に塗り替えられた。

身延線は元横須賀線車両が多かったため早期にスカ色が標準塗装となったが、飯田線では過渡期には湘南色とスカ色の混色編成も見られた。

山手線などから御殿場線に転属した72系も同様にぶどう色からスカ色に塗り替えられた。




関連タグ編集

国鉄色 湘南色

末期色 茶道部(JR西日本)

富山港線…当路線でかつて使用されていた買収国電が、この色に類似するツートンに塗装されていたことがある。

上田交通…上記の富山港線で使用されていた電車の払い下げがきっかけで、この色に似た紺とクリームの塗装を採用した。

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