上田交通
うえだこうつう
長野県で不動産事業などを営み、東急グループに属する。とは前述の通り
鉄道
2005年に上田電鉄へと分社したことで、現在は持ち株会社となっている。
元々は2社の鉄軌道事業者(上田温泉電軌と丸子鉄道)が別々に運営しており、丸子線を丸子鉄道、それ以外を上田温泉電軌が運営していたのを、戦時中の陸上交通事業調整法によって統合し、上田丸子電鉄としたものである。その後、鉄道路線を相次いで廃止したことで、1969年に社名を現在の上田交通へと変更した。
現在の営業路線は別所線1つまで減ったものの、一時期は5路線を抱えていた。
廃止路線(括弧内は最終運営事業者名)
青木線(上田温泉電軌)(上田-青木間 11.4km)
西丸子線(上田丸子電鉄)(下之郷-西丸子 8.6km)
丸子線(上田丸子電鉄)(上田東-丸子町 11.9km)
真田傍陽線(上田交通)(電鉄上田-本原-傍陽 11.7km+本原-真田 4.2km)
※先述のとおり全て上田交通の前身となる企業である。
主な車両
- 1形(1110形)
上田温泉電軌が開業にあたり、玉川電気鉄道から譲り受けた4輪単車。最初に開業した青木線や別所線で使用され、最後は西丸子線で使用された。
- 4250形
真田傍陽線で使用されたもので、上田温泉電軌時代にデナ100形として登場した合造車の4251〜4254号と、他社から譲り受けた4255〜4257号(タイトル画像の車両が4257号)が存在した。路線廃止後は少なくとも合造車1両と4255〜4257号が上田原車庫へ回収されたが、別所線で再起したのは4257号だけで、4256号は弘南鉄道へ譲渡、残りはしばらく放置された末に解体された。
- 5250形
楕円形の戸袋窓から、「丸窓電車」の愛称でお馴染みの車両。上田温泉電軌時代にデナ200形として登場し、1986年の引退まで製造当時の原型を概ね保っていた。そのため鉄道友の会より「エバーグリーン賞」を受賞している。現在も3両全車が上田市内で保存されている。
- 3210形
戦後間もない頃に、当時東急へ経営委託をしていた相鉄や静岡鉄道から譲り受けたもので、元目蒲電鉄1形(電車とバスの博物館にレプリカが展示されている)。のちに一部はガソリンカーの車体へ載せ替えられ、3220形に改称した。
- 4360形
丸子線で使用されたもので、元東急3100形(東横電鉄100形)。ここまで来ればお分かりいただけるであろうが、かつての上田電鉄では東横線、目蒲線(目黒線+多摩川線)、玉川線の開業時に用いられた車両が使用されていたことになる。
- 5270形(初代)
元東急クハ3220形に、国鉄富山港線で使用されていた伊那電気鉄道買収車を譲り受けた5260形の電装品を組み合わせて登場したもの。このクハ3220形は戦災復旧車で状態が悪かったため、東急廃車後に車庫の詰所として使用されていたものを上田電鉄へ払い下げたという、とんでもない経歴を有している。丸子線で使用され、廃車後は小諸市内で車体のみひっそりと保存されているらしい。
なお別所線で使用されていた2代目は、元長野電鉄600系であるため別物である。
- クハ270形272号、273号
元相鉄クハ2500形で、さらに元を辿れば東急キハ1形ガソリンカーを電車へ改造したものである。相鉄時代に流線型の前面を丸妻へ作り変えたため、側面や台車以外にガソリンカー時代の面影はなかった。
- クハ290形
老朽化した付随車や制御車を淘汰するため、東急旧5000系の中間車サハ5350形に運転台を取り付けた車両。愛称は「平面ガエル」。なぜこのような車両が導入されたのかといえば、本形式は種車が種車だけに車体が軽いことで、出力の小さな電車でも余裕でけん引できるためである。制御装置の都合から、主に5250形とコンビを組んで活躍した。
- 5000系/5200系
1986年に別所線の近代化のために東急から譲り受けたもので、ご存知旧5000系および5200系。5000系は鎌倉武士をイメージした塗装に塗られて使用された。譲渡された中にはそれぞれのトップナンバーが含まれており、それらは廃車後に東急へ返却された。また5200系クハ5251号は、廃車後も下之郷電車庫内で倉庫として用いられており、時折イベントで展示される。
- 7200系
元東急7200系で、1993年の冷房化にあたり入線した。長野県下の私鉄では初の冷房車であるとともに、冷房化100%を初めて達成した。当初は緑色の帯で使用されたが、2005年に7253Fと7255Fがそれぞれ「丸窓電車」のラッピングを施された上で「まるまどりーむ号」となった(画像の車両)。7251Fと7252Fは上田電鉄発足後に紺とクリームの帯へ変更されたほか、7254Fは帯無し仕様で活躍した。2008年から1000系と6000系へ置き換えられ、2018年に引退した。
- 1000系
元東急1000系のうち、池上線や多摩川線で用いられていた1000N’系と呼ばれるグループで、2008年に登場した。長野県下の普通鉄道を営業する私鉄 (それ以外を含めるとここが初)では、初のVVVFインバータ制御車である。
1001Fと1002Fは東急時代の外装で使用されていたが、1002Fは2008年の秋より1003Fと共に「自然とともだち号」となった。このうち1002Fはのちに「れいんどりーむ号」へと変更されている。1004Fも東急時代の外装で使用されていたが、7200系の代替として新たな「まるまどりーむ号」となった。
ここまで記したうち、1003Fだけは一度も東急時代の姿で営業運転に就いたことがない編成である。
- 6000系
元東急1000系で、2015年に登場した。本形式の登場と7200系の全廃によって、上田電鉄は長野県下の普通鉄道(それ以外を含めるとここが初)では、初めて営業用車両のVVVFインバータ制御車への統一を果たした。営業開始より車体ラッピングが施され、一般公募で決定した「さなだどりーむ号」の愛称が付与されている。
なお上田交通の電車に採用された紺とクリームのツートンカラーであるが、国鉄より譲り受けた5260形が富山港線で使用されていたときに、たまたま横須賀色と同じ紺とクリームに塗られていたのをそのまま採用したものである。
光の当たり加減によっては黒っぽく見えるので、鉄道模型を嗜む方にとっては調色が難しい色でもある。
バス
東急グループであったがゆえ、塗装は東急バスと同様のものを採用していた。最初は貸切バス用の旧塗装を採用し、続いて「マーキュリーカラー」と呼ばれる塗装を採用し、東急バスからの移籍車を除いて基本的にはそれをアレンジした塗装に塗られていた。東急バスからの移籍車は、当初は在来車同様の貸切バス旧塗装であったが、のちに7200系に合わせた銀色+緑帯を経て、最終的に東急バスそのままの塗装で使用するようになった。
現在は分離され、上電バスを経て上田バスになっている(上田バスに改称してから完全に離脱)。こちらも上田交通から離れているが、同じ東信地方に所在する元東急グループの草軽交通と同じグループの傘下となっている。