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東急目蒲線

とうきゅうめかません

東急目蒲線とは、過去に東急電鉄が運営していた路線の名称である。メイン画像は同線で使われた東急7700系電車。
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概要編集

2000年(平成12年)8月6日まで存在していた東京急行電鉄(現・東急電鉄)の路線。東京都品川区目黒駅から大田区蒲田駅までを結ぶ路線だった。

東急の前身の一つである目黒蒲田電鉄が開通させた、東急の創業路線である。

同時に、インターアーバン・観光路線・資源輸送路線などの要素を兼ね備えていない純粋に都市開発のためだけに作られた鉄道路線として日本最古参の部類に当たる。

現在の東急目黒線及び東急多摩川線にあたる区間で、末期は4両編成での運行だった。

目黒〜多摩川(同日「多摩川園」から改称)〜武蔵小杉間が目黒線、多摩川〜蒲田間が東急多摩川線に分離され、目蒲線の名称は消滅した。

なお田園調布〜多摩川間の旧目蒲線の線路は現在は営業列車は走行せず、東急多摩川線・池上線の車両搬入・搬出や長津田工場への出入場、事業用車の運転時に使用されている。


系統分離後編集

詳細は東急目黒線及び東急多摩川線の項を参照。


目黒線編集

目黒線は分離後の同年9月26日から営団地下鉄(現・東京メトロ)南北線都営三田線との相互直通運転を開始。翌2001年(平成13年)3月28日から埼玉高速鉄道線との相互直通も開始された。

また目蒲線時代から行われている連続立体交差事業により、旧目蒲線区間の大部分が地下化又は高架化されている。

2008年(平成20年)6月22日東横線との並走区間を日吉まで延長。

2023年(令和5年)3月18日からは東急新横浜線経由で相鉄本線いずみ野線との相互直通が開始され、東横線のバイパス路線としての色が強くなっており目蒲線時代の面影は薄くなっている。


東急多摩川線編集

東急多摩川線は池上線と車両を共用し、編成を3両に減らしてローカル線のように引き続き運用されている。

ただし、現在蒲田駅と京急空港線京急蒲田駅を結ぶ新線を建設し羽田空港へのアクセスルートを確保する計画(蒲蒲線)があり、実現すればこちらも大きく変貌する事が予想される。


駅一覧編集

駅名及び路線名は全て系統分割直前のもの


使用車両編集

目蒲線時代の車両のみ記載。

3両編成編集

東京急行電鉄5000系

奥沢検車区雪が谷検車区奥沢班所属。

ラッシュ時は目黒〜田園調布間の区間列車に限り4両で運行した時期があった。

1989年(平成元年)3月19日の目蒲線4両化までに全車が引退。


4両編成編集


雪が谷検車区奥沢班所属。

7000系以外は分離直前の2000年(平成12年)8月4日まで4両編成で運用された。7200系は目蒲線の4両編成の運用が終了した同日に定期運用を終了。

残りの車両は分離までに3両化され、分離後は東急多摩川線で運用。


余談編集

東急の創業路線としてのルーツを持つ目蒲線だが、前述の通り長らく3両編成の初代3000系が行き来するだけの地味な印象は拭えなかった。そのイメージをある意味決定的にしたのが、1983年(昭和58年)におおくぼ良太が発表した歌謡曲「目蒲線物語」である。

同曲は擬人化した目蒲線目線の歌詞なのだが、最大の特徴はとにかく盛大に目蒲線をディスりまくる。

一例を挙げると、歌詞中で「あってもなくてもどうでもいい」等と言われる始末。

しかしこの曲は続編や姉妹曲が作られる程のヒット曲となり、ある意味目蒲線の知名度向上にも繋がった。



関連タグ編集

東急電鉄 東急目黒線 東急多摩川線

東急新玉川線:同日に消滅した路線名称。こちらは現在田園都市線の一部となっている。

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