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路線データ編集

路線延長10.9km
軌間1067mm
駅数15駅
電化区間全線直流電化(1500V)
複線区間全線
閉塞方式自動閉塞式
保安装置東急形ATS
最高速度80km/h

概要編集

東京都で完結し、品川区東五反田に所在する五反田駅から、荏原、雪谷を通り大田区蒲田に所在する蒲田駅を結ぶ、東急電鉄(東急)の路線である。五反田でJR山手線、旗の台で東急大井町線、蒲田で東急多摩川線と接続している。


駅一覧編集

駅ナンバリングの路線記号は池上(IKegami)のIK

駅が所在する自治体は、品川区と大田区のみ。

駅ナンバリング駅名読み接続路線備考
IK01五反田ごたんだJR山手線都営浅草線高架駅
IK02大崎広小路おおさきひろこうじ
IK03戸越銀座とごしぎんざ都営浅草線戸越駅は戸越銀座商店街経由で徒歩連絡
IK04荏原中延えばらなかのぶ地下駅。都営浅草線・東急大井町線中延駅は中延スキップロード商店街を挟んだ反対側にある。
IK05旗の台はたのだい東急大井町線ここまで品川区↑
IK06長原ながはら地下駅。ここから大田区↓
IK07洗足池せんぞくいけ
IK08石川台いしかわだい
IK09雪が谷大塚ゆきがやおおつか雪が谷検車区が所在。
IK10御嶽山おんたけさん
IK11久が原くがはら
IK12千鳥町ちどりちょう
IK13池上いけがみ池上本門寺の門前駅。東急最後の構内踏切設置駅だった。
IK14蓮沼はすぬま
IK15蒲田かまた東急多摩川線・JR京浜東北線戦中までは目蒲線蒲田駅とは線路・駅舎は別だった(後述)。

使用車両・運行形態編集

全列車各駅停車・ワンマンで運転されており、3扉18m級車両・3両編成で運転されている。通し運転のほかに、五反田〜雪が谷大塚、蒲田〜雪が谷大塚の区間運転、多摩川線の出入庫を兼ねた雪が谷大塚〜蒲田〜多摩川(蒲田駅でスイッチバック)、五反田〜蒲田〜多摩川(同)の運転がある。車両そのものは多摩川線と共通運用。



エピソード編集

シマハイイロギツネ

1976年にこの路線を舞台にした悲恋を描いた、そのものズバリ「池上線」という歌が発表された。

作詞の佐藤順英はこの曲に相当入れ込んでおり、「この曲を世に出すために作詞家になった」と語っていた。

しかし「すきま風に震えて」など当時この路線で使われていた車両(東急初代3000系・上画像の電車)をdisりかねない表現があったため、東急が「あのー、ウチとしては新しい車両に取り替えるつもりなんですけど・・・」と、挨拶とタイアップの依頼に来た佐藤に苦言を呈した事があった(発表そのものに関しては特にクレームは付けてはいない)。

もっとも、多摩川線の「前身」である目蒲線は、「目蒲線物語(おおくぼ良太)」というコミックソングで相当侮辱されてしまっているのだが…(ただし、目蒲線物語に関しては東急からの苦情は皆無だったとおおくぼは語っている)。

当時の東急は田園都市線の開発を優先しており、池上線や目蒲線には昭和初期に製造された初代3000系など旧型車両が平成のはじまりまで走っていた。

この曲を歌った西島三重子は「ヒットした意識はない」と語っているが、有線放送などを通じてじわじわとヒットし、やがて池上線にも新車が入るようになったことから、旧型車両が走っていた時代を懐かしむ「懐メロ」として親しまれるようになった。

このことから池上線開通80周年を記念したイベントで「名曲池上線号」というイベント列車が運行されることとなり、出演のオファーが来た西島は「今度は大丈夫ですか?」と訊ね事情を知らない東急の担当者を驚かせている。

西島は2012年にアンサーソングとして「池上線ふたたび」なる曲を発表している。




池上線の前身「池上電鉄」について編集

もともと池上線は、池上電気鉄道(以下、池上電鉄)という会社が敷設した路線で、現在の目黒線・東急多摩川線の元となる目黒蒲田電鉄(以下、目蒲電鉄)より先に開業した路線である。

特に池上~蒲田間は1922年に開業しており、現存する東急の路線では最古の区間である(これより古いのは既に廃止された玉川線および天現寺線渋谷~渋谷橋のみ)。

また、支線として1928年に開業した雪ヶ谷(現在の雪が谷大塚駅より北東側にあった)〜新奥沢(現在の奥沢駅の南方、世田谷区東玉川にあった)間の新奥沢線も存在し、開業前には省線国分寺駅を目指す計画もあった。


…が、なんとこの会社は開業当時から苦しい経営が続く。

しかも開業用の新車の導入も遅れていたため、とりあえずは静岡鉄道から電車を買い付けてどうにか開業に間に合わせたのだが、なかなか思うように業績は上がらない。


そこで、有力政治家の高柳淳之助なる人物が支援を表明したまではよかったが、「建設資金を集める」とか言ってダミーの会社をバンバンおっ立て、何も知らない地方の投資家からお金をごっそり吸い上げては、私財をため込むという「やるやる詐欺」に近いことをしていた。

結局なかなか路線は伸びずに業績は上がらず、しかもこのタイミングで目蒲電鉄が開業してしまった


結局、お金大好き高柳氏は池上電鉄から手を引き、池上電鉄は結局のところ目蒲電鉄の傘下に入ったのち、最終的には買収されてしまう。新奥沢線も目蒲電鉄に買収された直後の1935年に廃止になった。

ちなみに高柳氏は後にガチで詐欺をやらかしてしまい、臭いお食事を召し上がるハメになってしまった。


余談だが、東急電鉄は戦後、静岡鉄道に電車を2両売り渡しているが、皮肉にもその電車は池上電鉄出身のデハ3250形だった。


蒲田駅の逸話編集

買収後、蒲田駅については前述の通り別々の鉄道会社(池上電気鉄道・目黒蒲田電鉄)によって開業したため、戦中までは駅舎が別々に存在していた。目蒲線(現・東急多摩川線)は現在一つ隣の矢口渡駅から南下し、道塚駅を経て、いったん国鉄線の線路沿いに出、カーブして蒲田駅に着く、というものであったが大東急時代の1945年6月、空襲により蒲田駅~道塚駅~矢口渡駅間が焦土となったため、8月の終戦前後に矢口渡駅からの線路を南東方向に切り替えて直接池上線蒲田駅に乗り入れるルートで再建。なお、この線路切り替えにより、道塚駅は廃止された。

1968年に高架化され、現在の形となっている。


関連項目編集

東急電鉄 東京急行電鉄 東急 1000系 7000系 ワンマン


外部リンク編集

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