国分寺駅
こくぶんじえき
東京都国分寺市にあるJR東日本・西武鉄道の駅。JR中央本線(中央線快速)と西武鉄道の国分寺線・多摩湖線の乗り換え駅となっている。
南口はロータリーが整備されているが、全体的に駅周辺は狭い。南口は京王バス、北口は他に小田急系の立川バスと西武バスが乗り入れている。JRの駅ビルであるセレオ国分寺に丸井がキーテナントとして入店している。
ロフトはこちら側にある。
一方、元々寂れていた北口は再開発が進み、2018年4月には大型商業施設ミーツ国分寺がオープン。さらに高層マンションが二棟立ち南口にも負けない豪奢な外見に変貌した。
東急ハンズはこちら側にある。
国分寺線、多摩湖線はそれぞれ単式1面1線の駅である。
元々、多摩湖線の乗り場は国分寺線5番線の隣である6番線を使用していたが、現在の7番線に移設されたため番号が飛んでいる。
なお、6番線は現在も欠番だが、国分寺線と多摩湖線いずれかを1面2線に拡張した際に使用することを想定して空き番にしてある。
近況
JR東日本
- 2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員は、94,864人である。
- 多摩地区のJRの駅では立川駅、町田駅、吉祥寺駅に次いで多く、八王子支社では立川駅、吉祥寺駅に次いで多い。
- この数値は武蔵小杉駅や船橋駅などより少ないが、同じ八王子支社の八王子駅や三鷹駅よりは多い。
西武鉄道
年度別利用状況比較表
事業者名 | JR東日本 | 西武鉄道 | |
---|---|---|---|
年度 | 乗車人員 | 乗降人員 | 乗降人員 |
2008年(平成20年)度 | 107,847人 | 215,694人 | 116,055人 |
2009年(平成21年)度 | 106,315人 | 212,630人 | 115,005人 |
2010年(平成22年)度 | 105,883人 | 211,766人 | 114,779人 |
2011年(平成23年)度 | 104,731人 | 209,462人 | 112,056人 |
2012年(平成24年)度 | 106,523人 | 213,046人 | 114,577人 |
2013年(平成25年)度 | 108,819人 | 217,638人 | 117,475人 |
2014年(平成26年)度 | 108,022人 | 216,044人 | 116,316人 |
2015年(平成27年)度 | 111,325人 | 222,650人 | 118,392人 |
2016年(平成28年)度 | 111,679人 | 223,358人 | 118,792人 |
2017年(平成29年)度 | 112,800人 | 225,600人 | 119,242人 |
2018年(平成30年)度 | 113,368人 | 226,736人 | 120,121人 |
2019年(令和元年)度 | 112,090人 | 224,180人 | 117,796人 |
2020年(令和2年)度 | 78,422人 | 156,844人 | 83,466人 |
2021年(令和3年)度 | 86,199人 | 172,398人 | 93,722人 |
2022年(令和4年)度 | 94,864人 | 189,728人 | 104,586人 |
2022年(令和4年)度 | 108,271人 |
北口と南口にバス停がある。
国分寺駅北口
立川バスと京王バス中央、西武バスが発着。京王バスは受託しているコミュニティバスのぶんバスが乗り入れる。
ぎんてつバスも以前は国分寺駅入口(駅から少し離れた早実通り南側の森薬局前)にあったが、こちらに移転している。
- 立川バス
- 寺51:昭和病院前行(逆向きは寺51-1)
- 寺52:回田循環右回り
- 寺53:回田循環左回り
- 寺54:回田本通入口行
- 寺55:花小金井駅南口行
- 寺56・57:大沼団地行(逆向きは寺56-1、寺57-1)
- 寺50(到着のみ):上水営業所発
- 京王バス中央
- ぶんバス本多ルート
- 西武バス
- 寺71:武蔵野美術大学行
- 寺72:小平営業所行
- 銀河鉄道バス
- 小平国分寺線:小平駅南口行
国分寺駅北入口
このバス停は西武バスのみ発着し、かつては「国分寺車庫」を名乗っていた。場所は西武多摩湖線ホームの隣。
- 寺61・62:小平駅南口行
- 寺63:ルネサス武蔵行
- 寺64:新小平駅循環
- 番号なし(到着のみ):小平営業所発
土休日ダイヤでは寺61のみ運行する。
国鉄下河原線
1973年(昭和48年)まで、東京競馬場前駅まで延びる中央本線の支線(貨物支線は途中から分岐して下河原駅まで。通称「下河原線」)が営業されていたが、武蔵野線開業により廃止された。途中にあった北府中駅は武蔵野線の駅に編入された。廃止後しばらくは下河原線の廃ホームが南口に残っていたがいたが昭和末期のバブル期の再開発で消滅した。
駅近く(西国分寺駅寄り)に国鉄の教育施設である中央鉄道学園があり、そこまでの引き込み線も存在したが、国鉄分割民営化時に廃止された。跡地は団地や都立武蔵国分寺公園、総務省情報通信政策研究所、都立多摩図書館の敷地となった。
本線の南側すぐ横に並行する下河原線と併用していた引き込み線の線路は平成末期まで残っていたが、現在すでに撤去された。
東急の前身「池上電鉄」にも乗り入れ計画が
戦前には東急池上線の前身・池上電鉄が現在の雪が谷大塚駅の北東側にあった旧・雪ヶ谷駅より、当駅をめざして新奥沢線を計画し、1928年10月に新奥沢駅(現在の世田谷区東玉川二丁目にあった)まで開業させたものの、世界恐慌の影響で国分寺駅までの建設は頓挫した。新奥沢線自体も目蒲電鉄(現・東急目黒線、同多摩川線および同大井町線)に池上電鉄が合併してから間もなく廃線。わずか7年のみの短命に終わっている。
もし新奥沢線が予定通りに国分寺駅まで全通し、かつ現在に至っていれば、当駅にはさらに東急電鉄の駅も設けられていたことになる。