※現役時代の馬齢は旧表記で記載。
経歴
父はアメリカ三冠馬シアトルスルーの半弟シアトルダンサー。
馬主は大樹ファーム。
主戦騎手は柴田善臣。
1995年11月5日の新馬戦で8着だが、翌週の未勝利で勝利した。
500万下の葉牡丹賞も勝利し、初の重賞ラジオたんぱ杯3歳ステークス(現・ホープフルステークス)に挑むが(騎手はこの時のみ坂本勝美)、ロイヤルタッチの11着に大敗する。
年が明けて1996年。4歳初戦に弥生賞を選択したが、ダンスインザダークの7着に敗れた。
外国産馬のため、当時の規定でクラシック戦には出られなかったため、陣営はこの年に新設されたNHKマイルカップを目標に、まずは毎日杯を勝利した。
そして、第1回NHKマイルカップ。出走18頭のうち、14頭が外国産馬だった中で、タイキフォーチュンは4枠7番で出走(4番人気)。
1分32秒6でマイルを駆け抜け栄えある初代王者に輝いた。
しかしその後は1度も勝つことなく、1997年のジャパンカップ(14着)を最後に引退。
その間の安田記念はタイキブリザード、ジャパンカップの前週のマイルチャンピオンシップではタイキシャトルと、同じ大樹ファームの馬が勝利している。
引退後は種牡馬となるも目立った産駒は出ず種牡馬を引退。
その後はフォスターホースとして北海道ひだか町本桐牧場で余生を過ごしている。
2020年に去勢手術が検討されたが、高齢の為見送られている。
↑タイキフォーチュンの近況(2020年8月5日)
2024年4月6日にフラワーパークが32歳で死去したことによりタイキフォーチュンが(確認がとれる中では)存命最高齢のGⅠ・JRA重賞勝利馬となった(次点は同期で生まれが3ヶ月遅いイシノサンデーであったが同年8月18日に死去。同時点での次点は1歳下のメジロドーベル)。