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タイキシャトル

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たいきしゃとる

日本の競走馬、種牡馬(1994-2022)。1998年JRA賞年度代表馬受賞。顕彰馬。史上最強マイラーと評される事が多い。

概要

生年月日1994年3月23日
没年月日2022年8月17日
英字表記Taiki Shuttle
性別
毛色尾花栗毛
デヴィルズバッグ
ウェルシュマフィン
母の父カーリアン
5代内のインブリードHail to Reason3×5/Mahmoud5×5
競走成績13戦11勝(うち海外1戦1勝)
馬主大樹ファーム
所属藤沢和雄厩舎
主戦騎手岡部幸雄
近親タイキファイヤー(半弟)

1994年3月23日、アメリカのTaiki Farm(大樹ファーム所有)で生産された競走馬で、1990年代後半にJRAの短距離レースで活躍した。

主な勝ち鞍はマイルチャンピオンシップ(1997年/1998年)、スプリンターズステークス(1997年)、安田記念(1998年)、ジャック・ル・マロワ賞(1998年)など。

1999年のJRA賞年度代表馬顕彰馬に選出された。

2022年8月17日、老衰による心不全の為死去。

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ヒーロー列伝No.45

世界を制覇した夏。

ワールドカップの余韻さめやらぬフランスに、JAPONの文字が鮮烈に踊った。

シーキングザパールに続く2週連続の日本馬による海外G1制覇……。

ドーヴィル競馬場、芝1600mの国際G1レース「ジャック・ル・マロワ賞」に挑戦した

タイキシャトルは、2着に1/2馬身の差をつけて世界の強豪たちを圧倒。

世界に「日本馬ここにあり」を強烈に知らしめた。時あたかも1998年8月…。それは、

日本馬の世界挑戦の歴史に燦然と輝く1ページとして、永遠に記される夏となった。

2011年JRA CM安田記念

98年 安田記念

大雨のなかの無敵、タイキシャトル。

可能性は人を熱くする。

名馬の肖像2017年安田記念

高く飛べ

瞳にうつるのは

ただこの一戦の勝利ではなく

ゴールの先に広がる未来。

湿った芝を滑走路にして

いま大器は羽ばたく。

風に乗って往け。

誰よりも高く飛べ。

荒天なれど視界は良好。

勲章を手にして帰還することが

君に課されたミッションだ。

名馬の肖像2022年マイルチャンピオンシップ

知られるべき名前

鬼神のごときアスリートよ

前衛たるアーティストよ

俺たちが心から誇りに思う

国を越えた英雄たちよ

そうだ君たちの名は

広く知られるべきだったのだ

ああそれにしても

その実力を訝しむ声を

称賛に塗り替えるのが

こんなにも痛快なことだとは

戦績

1997年4月19日東京競馬場でデビュー。主戦騎手は岡部幸雄(97年スワンステークスとマイルチャンピオンシップのみ横山典弘が騎乗)。

ユニコーンSで重賞初制覇、スワンSで重賞2勝、同年のマイルチャンピオンシップでGI初制覇、スプリンターズステークスも優勝。

マイルチャンピオンシップでサイレンススズカと対戦。逃げたキョウエイマーチにサイレンススズカが並びかけた結果、前半800mのラップが44.6秒、1000m56.5秒の殺人的な超ハイペースに。その結果逃げ馬のみならず後続馬もろともバテバテとなり、3番手追走のヒシアケボノも失速する中でタイキシャトルは4番手から出走馬中最速の上がり3ハロン36秒1で抜け出した。

キョウエイマーチはハイペースの逃げから2着に踏み止まったが、サイレンススズカは15着。

この世代は、春の安田記念でスピードワールドが不本意な臨戦過程ながら3着に入り、タイキシャトルが前走のスワンステークスで優勝し、マイルチャンピオンシップの人気でも着順でも上位を占めた。

この年、JRA賞最優秀短距離馬受賞。年度代表馬はエアグルーヴ

1998年6月14日、欧州遠征を前に挑んだ安田記念。前述のJRA CMでもあるとおり、多摩地方の大雨で稀に見る昭和47年以来26年ぶりの超不良馬場の中で行われたが、97年香港ダービー馬オリエンタルエクスプレス(鞍上ダグラス・ホワイト)らを尻目に「日本に敵はいない!」とばかりに安田記念を制覇。

1998年6月14日 東京競馬場

実況:渡辺和昭(ラジオたんぱ

同年、海外遠征しジャック・ル・マロワ賞で優勝し、日本馬として史上2頭目の海外G1制覇達成。鞍上の岡部幸雄騎手は自身初の海外G1制覇となった。

帰国後マイルチャンピオンシップ史上3頭目の連覇、史上3頭目の古馬マイルGI春秋制覇。

ラストランのスプリンターズステークスは3着で、レース後に引退式が行われた。

この年のJRA賞では最優秀短距離馬、最優秀5歳以上牡馬を受賞し、史上初めて短距離馬として年度代表馬に選出されている。

種牡馬引退後

2017年に種牡馬を引退、引退馬協会のフォスターホースとなり、イーストスタッドに預託され、同牧場で繁養されていた2歳下で同じくフォスターホースのメイショウドトウと仲良しに。以降はメイショウドトウと行動を共にすることが多くなり、翌年の2018年にはドトウ共々ヴェルサイユリゾートファームに移転。翌年1月にはドトウ共に去勢手術を受け無事成功。

2019年には後輩のアドマイヤジャパンがタイキシャトルの鼻息の匂いを嗅いで悶えたりする面白動画を撮られたりしていた。

2021年にはドトウと一緒にノーザンレイクファームに移転し、ドトウやキリシマノホシ号、タッチノネガイ号、その産駒のタッチデュール号、猫のメトらと共にのんびりと余生を過ごしていた。

おやつタイム終了で諦めるタイキシャトルと諦めきれず粘るメイショウドトウ。

パーソナルスペースを大事にし侵されると追い払う一方、寂しがり屋でもあり、自分だけで放牧されると動かなくなってしまう。

また、イタズラ好きであり、人間が自分の近くで何かをしているとポジションを修正してからわざわざ足を踏みに行くイタズラをよく行っている。本気で踏み抜いているわけではないため怪我をする様なダメージを負わされることはないが一応危ないので、踏まれそうになるとすぐ足を退けるようにしているらしい

2022年8月17日、老衰による心不全の為死去した。前日まで夜飼いと人参、黒砂糖一粒を食べるなど普段と変わらず食欲旺盛で上述のイタズラもするなど元気だったが、翌朝5時ごろには既に息を引き取っていたという。奇しくも自身が制したジャック・ル・マロワ賞が3日前に開催されたばかりだった。

前述通り食欲旺盛であったため、衰弱の果ての死ではなく、また馬房の中は特に荒れた様子もなかった(苦しんでのたうち回った跡がなかった)ことから、なんらかの急病による発作などではなく、いつも通り元気に生き、いつも通りに眠り、そのまま目覚めることなく天国へ旅立つ、理想的な天寿を全うしたと見られる。

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