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岡部幸雄

おかべゆきお

日本の元騎手。20世紀後半から21世紀初頭にかけて、中央競馬におけるトップジョッキーの一人として活躍した。
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概要編集

日本の元騎手

20世紀後半から21世紀初頭にかけて、中央競馬におけるトップジョッキーの一人として活躍した。

通算成績:18647戦2943勝。騎手大賞2回を含め多くの賞を受賞した。


来歴編集

1948年10月31日、群馬県強戸村(現在は太田市)に誕生。実家は農家農耕馬を飼っていた。身長が低い事にコンプレックスを抱いていたが騎手として有利なことを知り、中学生時代より騎手を志す。


1964年より馬事公苑第15期長期騎手講習に入学。同期には福永洋一柴田政人伊藤正徳などがいて、後に「花の15期生」と呼ばれた。

1967年、鈴木清厩舎中山競馬場)に入り、3月に騎手デビュー。兄弟子の高橋英夫を見習って技術を磨く(高橋は調教師となった後、岡部を騎手として起用する事が多かった)。


1971年6月6日、カネムヒロ優駿牝馬を勝ち、GⅠ初勝利。

1984年、シンボリルドルフで史上初の無敗のクラシック三冠を達成。シンボリルドルフに乗れなくなるのを避けるため、フリーランスの騎手となった。

1985年、シンボリルドルフが初のGⅠ7勝馬となる。

1993年から1994年にかけ、ビワハヤヒデでGⅠ3勝。

1998年8月16日、タイキシャトルジャックルマロワ賞に勝ち、自身初の海外GⅠ勝利。

2002年10月27日、シンボリクリスエス天皇賞(秋)を勝ち、当時史上最年長の(53歳11か月28日)中央GⅠ勝利。


2005年2月20日のレースをもって騎乗を自粛し、3月20日、引退。

当時中央史上最多の2943勝を記録したが、2008年に武豊騎手が更新。八大競走の内、桜花賞だけは勝てなかった。最年長GⅠ勝利記録も2023年に武豊騎手が更新。大阪杯にて54歳19日に更新した。


引退後は「自分の肌に合う職業ではない」として調教師には転身しなかったが、2006年より「JRAアドバイザー」として裁決委員や審判業務を行う決勝審判委員に対する指導、若手騎手に対する技術指導を行うアドバイザーを務める傍ら、フリーランスの競馬評論家的活動も行っていた。


2009年からはJRA裁定委員会外部委員に就任し、引き続き裁決委員や審判業務を行う決勝審判委員に対する指導などを行っている。競馬評論家活動も継続しているが、「JRA関係者」という項目に該当する為、競馬法で禁止されている予想行為はしない。


人物編集

フリーランス騎手、エージェント制導入の先駆け的存在であり、能力を認めながらもそのレースで騎乗できない馬への依頼を、自分と親しい柴田善臣田中勝春に振り向けるなど、良い馬に乗る事に貪欲だった。

武豊が騎手になってから最も影響を受けたとされる人物。

シンボリルドルフ騎乗時の岡部が一冠、二冠、三冠と指を立てていくポーズは、武自身も「いつか自分もやりたい」と憧れていたという(後年、武はディープインパクトでこれを実現させた)。


私生活においては家庭を大切にし、騎手としての全盛期においても「仕事と家庭、どちらか優先しなければならない状況に直面したならば躊躇なく馬をやめる決断をする」と公言していた。

それでも騎手時代は子供の学校行事に一度も出席できなかったり、妻の出産に一度も立ち会えないなど、家族との交流が制限されていたという。

引退後は父親と旅に出たり子供の学校行事に参加するなど、家族との交流に努めている他、「好きなこと」「現役時代にできなかったこと」に挑戦し、新たな趣味としてスキューバダイビングサーフィンなどを始めた。


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