誘導
2022年5月5日に実装告知がされたウマ娘プリティーダービーのウマ娘のタグは、シンボリクリスエス(ウマ娘)。
※ウマ娘正規実装前の物も混ざっていますが、ウマ娘に関してはこちらの誘導先のタグを使用することを推奨。
概要
2000年代初頭にJRAで活躍した競走馬で、種牡馬としても実績を残した。
ティーケイは和田孝弘(シンボリ牧場社長)の持ち馬で、クリスエスは種牡馬として多くの活躍馬を出していた。シンボリクリスエスは日本でサンデーサイレンスに代わる種牡馬として活躍させるべく、和田がブリーディングを考えた。
最大出走体重540kgという黒鹿毛の大きな馬で、態度も堂々としていた。
同じシンボリ牧場所有のシンボリクリエンスとよく間違われた。
ニックネームは「ボリクリ」。
堂々とした馬格に反して疲れの残りやすい体質であったこと、また、馬主から無事競走馬生活を終えることを最優先にと頼まれたため、藤沢調教師は調教・ローテーションにかなり気を遣っていたという。
JRAでの通算成績は15戦8勝。
2002年、2003年と2年連続してJRA賞年度代表馬。シンボリ牧場の大先輩シンボリルドルフ(1984年、1985年)以来18年ぶりの快挙だった。
現役時代のライバルはタップダンスシチー(2勝2敗)、ヒシミラクル(1勝1敗)など。
種牡馬としてエピファネイアなど、ブルードメアサイアー(母の父)としてレイデオロ(2017年の東京優駿で優勝)、オジュウチョウサン(中山グランドジャンプを5連覇)などを輩出。
エピファネイア産駒のデアリングタクトが2020年に無敗の牝馬3冠を達成するなど、孫世代でも活躍馬が出ている。
2019年に種牡馬を引退し、千葉県のシンボリ牧場で余生を送った。
2020年12月8日、蹄葉炎のため、21歳で死亡。
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ヒーロー列伝
漆黒の帝王
≪ヒーロー列伝No66≫
名馬の肖像
ここへきた理由
何故ここにいるのかと
問われた若者は
相手に吠えかかろうとする
練達の師が彼の肩に手を置く。
止まらなかった身震いが
自然とおさまっていく。
そうだ言葉ではなく
結果で教えてやればいい。
君がここへやってきた
たった一つの理由を。
(2019年天皇賞(秋))
戦績
2001年
2002年
- 1月27日、セントポーリア賞に出走し2着。
- 2月9日、500万下のゆりかもめ賞に出走し3着。
- 3月10日、中山競馬場の3歳500万下に出走し3着。
- 4月6日、500万下の山吹賞に出走し勝利する。
- 4月27日、青葉賞に出走し勝利する。
- 5月26日、東京優駿に出走しタニノギムレットの2着。
- 9月22日、神戸新聞杯に出走し勝利する。
- 10月27日、天皇賞(秋)に出走し勝利する。施行距離短縮後に3歳で天皇賞を勝利したのは、バブルガムフェロー以来6年ぶり2頭目。
- 11月24日、ジャパンカップに出走しファルブラヴの3着。
- 12月22日、GI馬9頭(シンボリクリスエス・ファインモーション・イーグルカフェ・ヒシミラクル・ナリタトップロード・エアシャカール・テイエムオーシャン・ノーリーズン・ジャングルポケット)が顔を揃えた豪華メンバーの有馬記念に出走し勝利する。
2003年
- 前年で引退、種牡馬入りの予定だったが、現役を続行することとなる。
- 6月29日、宝塚記念に出走しヒシミラクルの5着。再び長い休養に入る。
- 11月2日、休養明けで天皇賞(秋)に出走し連覇する。
- 11月30日、ジャパンカップに出走しタップダンスシチーの3着。
- 12月28日、引退レースとなる有馬記念に出走し勝利する。レコードタイム更新、有馬記念史上最大着差となる9馬身差での圧勝だった。
余談
2002年の青葉賞にて、それまで鞍上を務めていた岡部幸雄、横山典弘のどちらも騎乗できないということになり、当時骨折明けだった武豊に騎乗を依頼。レースは無事快勝したのだが、レース後に武豊が言ったのが「良いですねこの馬!秋には絶対よくなりますよ!」。……実際、夏を越してからGI勝ちを連発しているので間違いはなかったのだが、シンボリクリスエスでダービーにも手が届くかも、と考えていた藤沢師は「秋かよ!」と内心ツッコミを入れていたという。
しかも当のダービーはその武豊が騎乗するタニノギムレットに差されて2着敗戦。
藤沢師にはこの敗戦が相当堪えたらしく、タニノギムレット陣営が次走に秋の神戸新聞杯を選んだと聞くや、シンボリクリスエスも同レースに使うと決定。預けていた外厩に神戸新聞杯に向けての仕上げ、調教のペースアップを指示したという。ところが、肝心のタニノギムレットが屈腱炎を発症してレースを前に引退。リベンジの機会は永遠に失われてしまった。
この記事の過去版含め、いくつかのメディアで「引退レースの有馬記念前に、藤沢師は珍しく強めの調教をかけた」という記載があるが、これについては冒頭に書いた通り、まず無事に種牡馬入りさせることが求められていたのに、わざわざ引退戦で強い調教をかけるようなことはしない……と藤沢師が自ら否定している。