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クーリンガー

くーりんがー

1999年生まれの日本の競走馬。中央・地方問わずダートで9歳まで活躍し、特に佐賀記念には5度出走して全連対を果たし「ミスター佐賀記念」の異名を持つ。芦毛の巨体とズブい性格から「白すぎる馬」「牛」などと評され、ルックスでも人気を博した。
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プロフィール

生年月日1999年6月16日
英字表記Koolinger
性別
毛色芦毛
フォーティナイナー
クールアライヴァル
母の父Relaunch(USA)
生産浦川日成牧場(北海道浦河町)
調教師岩元市三(栗東)
主戦騎手和田竜二
戦績61戦10勝
獲得賞金4億8508万円(JRA1億9438万円 + 地方競馬2億9070万円)
主要勝鞍サラブレッドチャレンジカップ('02)、佐賀記念('04)、名古屋大賞典('04・'05)、マーチステークス('05)、マーキュリーカップ('06) ※いずれもGⅢ

※レース格付けは当時の表記。


父フォーティナイナーはアメリカでG1を4勝。引退後の種牡馬としても成功し1996年北米リーディングサイアー。同年日本に輸入され、日本ではダート戦線で活躍馬を輩出。35歳まで生きた長寿馬でもあった。なお、優秀な種牡馬成績から、アメリカ時代の産駒エンドスウィープ(スイープトウショウラインクラフトアドマイヤムーンらの父)・トワイニング(ノンコノユメらの父)らも種牡馬として輸入されている。

戦歴

3歳(2002年)

明け3歳の2002年1月、和田竜二を鞍上にデビュー。3戦目の未勝利戦で勝ち上がり、3歳OP・昇竜ステークスまで3勝を挙げて6月のユニコーンステークスで重賞初挑戦するが、6着入線からの降着処分で10着に終わる。7月のジャパンダートダービーも直前で出走取消。しかし9月の金沢・サラブレッドチャレンジカップ(GⅢ)で重賞初制覇。GⅠ初出走となった盛岡・ダービーグランプリは3着。

4歳(2003年)

2003年は始動戦の平安ステークスで13番人気(単勝218倍)からスマートボーイの2着に食い込み、馬連13万円超の万馬券を演出する。次に2月の佐賀記念(GⅢ)も2着。この時はまだ知る由もないことだが、この2003年から2008年まで、故障で走れなかった2006年を除きクーリンガーは佐賀記念に5度出走し全て連対(2着以上)の記録を残すこととなる。3月のマーチステークスは3着。

5歳(2004年)

2004年は年始の平安Sで2年連続の2着。2月の佐賀記念、3月の名古屋大賞典(GⅢ)を連勝し重賞3勝。年末のジャパンカップダートタイムパラドックスの7着、東京大賞典アジュディミツオーの3着。

6歳(2005年)

2005年、3年連続出走となった平安S5着から始動。佐賀記念2着、名古屋大賞典を連覇で重賞4勝目。マーチステークスでは6番人気から重賞5勝目を挙げ、JRA開催のレースでは初重賞となった。6月の帝王賞はタイムパラドックスの5着、7月のマーキュリーカップ5着後は左前浅屈腱炎のため約10ヶ月の休養に入る。

7歳(2006年)

2006年5月に復帰、7月の盛岡・マーキュリーカップ(GⅢ)で重賞6勝目。年末の東京大賞典は9番人気からブルーコンコルドの2着。クーリンガーが最もGⅠに近づいた瞬間であった。

8歳(2007年)

2007年は自身4回目の出走となる平安S11着から始動。この年以降は勝ち鞍を挙げられず、同じく4回目出走の佐賀記念2着・ダイオライト記念2着・マーキュリーC2着が最高着順だった。

9歳(2008年)

2月の佐賀記念で貫録の2着に食い込み、これを最後に引退。故障で走れなかった2006年を除く5度の出走機会で全連対(1勝2着4回)の記録を残し「ミスター佐賀記念」と評されて現役を退いた。


ライバルのユートピアとは1勝3敗、ミツアキサイレンスには3勝全勝。

引退後

引退後は種牡馬として30頭ほど輩出した後、主戦騎手に「指示に忠実に従う、とにかく乗りやすい馬」と絶賛されるほどの乗馬適性の高さを見込まれ乗馬となった。

2013年から新冠町のホロシリ乗馬クラブに繋養され、かつては長く第一線で鎬を削った馬にもかかわらず非常に気性は穏和で、乗馬初心者が乗っても動じないことからクーリンガー先生と親しまれた。その後、高齢により乗馬クラブを退厩した後は2020年より岩内町のホーストラストに移動し、功労馬として繫養されている。

余談

クーリンガー白すぎ問題

クーリンガーについて言及しなければならないのがその外観だろう。かなり早いうちから毛が白くなったことに加え530kgという巨漢、しかも胴周りも足もぶっといというサラブレッドというよりのような見栄えであった。主戦の和田竜二武豊から「牛がいるぞ」と冷やかされていたといい、パドックでも迫力のある姿は常に注目を浴びていたが、それだけで話は終わらない。GⅠホースであるサンライズバッカス(2007年フェブラリーS制覇)は、たまたま同じ厩舎に芦毛馬がおらずその見慣れない外見を苦手としていたが、特にクーリンガーを見ると必ずビビッて落ち着きをなくしてしまい本来の走りができなくなっていたという。遂にバッカスを管理する音無秀孝調教師から「同じレースに出したくないからスケジュールを教えてくれ」と問い合わせが来るようになってしまった。また、同じくGIホースで芦毛恐怖症のユートピアからも苦手にされていたという。なお、ユートピアはクーリンガーと同じフォーティナイナー産駒である。

引退後も放牧場で昼寝をしている彼を見た記者には「巨大なぬいぐるみみたい」と書かれているくらいだから相当なものである。

和田竜二との関係

現役61戦中55戦で和田竜二が騎乗し、全国どこの地方競馬場にもほぼ赴き騎乗した。26戦全てを共に戦ったテイエムオペラオーをも上回り、ぶっちぎりで和田が最多回数レースで騎乗した馬である。

のちに和田は「ズブい(騎手が強く指示しないと加速しない、エンジンのかかりが悪い)馬を強く追って何とか走らせることができる騎手」として定評を得るが、クーリンガーは乗馬時代のエピソードにも表れているように大変にズブい馬であったため、和田の「闘魂注入」はこの馬によって鍛えられたともいわれる。

2018年、和田がホロシリ乗馬クラブを訪れ久々にクーリンガーに跨った際も、昔を憶えていたのかいつもと違うキレのある動きを見せていたという。

関連タグ

競走馬 02世代 芦毛 白いの

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