デュランダル(競走馬)
でゅらんだる
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伝説の聖剣
それは英雄だけが
帯びることを許された
伝説の聖剣
いまこそ抜け
強く振り下ろせ
力まかせに突き刺せ
冷酷なまでに硬い刃で
万物を斬り裂き
非情なほど鋭い切っ先で
すべてを貫き破るのだ
≪「名馬の肖像」2018年マイルCS≫
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父サンデーサイレンス、母サワヤカプリンセス、母の父ノーザンテースト。
2003年のスプリンターズステークス優勝、2003・2004年マイルチャンピオンシップ連覇。
他、2004年高松宮記念2着、2004・2005年スプリンターズステークス2着など。
2003年・2004年のJRA賞最優秀短距離馬を受賞。
引退後種牡馬となり、主な産駒としてはエリンコート(2011年優駿牝馬優勝)、フラガラッハ(2012年、2013年中京記念連覇)など。
短距離レースでは絶対的に不利とされる追込で頂点に立った馬であり、直線一気の切れ味は馬名の由来となった聖剣の如く伝説となっている。
ただ、この戦術、実はデュランダルはその荒い気性のせいでどうしてもゲート内で落ち着けないため、出遅れをカバーするためにこの戦法を取るようになったのが本当のところ。3歳時に騎乗した武豊からも「後ろから行って大外を回った方が走る」という進言があり、大外回りの追い込みが基本戦術となっていった。その後主戦騎手となった池添謙一氏曰く、「この馬は直線だけ勝負すればいいと分かっていた」とのこと。
直線が長い東京競馬場で行われる安田記念や天皇賞(秋)には出走させたい、という思いも陣営は抱いていたが、裂蹄を起こすなどの問題もあって出走は叶わず、調教師、騎手共々このことは残念がっていた。
裂蹄を起こした際にはアメリカから専門家を呼び寄せ、当時まだ日本では行われていなかった最新の処置を施すなどしたが、結局放牧に出して蹄が伸びるのを待たざるをえなかった。また2005年には生命の危機ともいわれる蹄葉炎も発症したが懸命の治療を経てレース復帰を果たし、スプリンターズSにて生涯最速の末脚を繰り出した(結果はサイレントウィットネスの2着)。
こうした蹄の弱さゆえにたくさんのレースを使うことができず、GⅠ初制覇後はGⅠレース以外に出走させていない。
余談だが、2003年のセントウルステークス以降主戦騎手としてコンビを組み、デュランダルに初のGⅠタイトルを齎した池添謙一は、後の自身のキャリアを作るきっかけとなったデュランダルに対して非常に深い思い入れがあるようで、携帯電話の待ち受け画面はデュランダルの画像にしているという。
引退後は毎年会いに行き、死後も墓参りをしており(近年はコロナ禍などの諸事情のためかなかなか行けなかったようだが、2022年8月には自身の公式twitterで3年ぶりに墓参りをした様子をアップしている)、これらのエピソードから「デュランダルは池添の心に突き刺さった聖剣」と言われることもある。
また2024年9月15日中京競馬場で行われたダート新馬戦において池添騎手騎乗のキタノサワヤカが最後方追走から一気に差し切って勝利した(9頭中8番人気だった)。母の母はマルカサワヤカ(デュランダルの1つ上の全姉)。
池添謙一騎乗、デュランダルに縁のある馬での直線一気の追い込み勝利だった。
デュランダルの産駒には前述したフラガラッハの他、カリバーンやオートクレール、クラウソラス等、同じように聖剣の名を冠したものが多い。
種牡馬として社台スタリオンステーションで過ごした後、ブリーダーズスタリオンステーションに移動した。
そちらではなるべく落ち着けるよう小さな厩舎で過ごしていたが「牧柵を蹴る」「馬房の壁を蹴る」等の行動が多かったため、怪我をしないよう「牧柵の隙間を板で埋めて木の壁状にする」「馬房の壁を厚いゴム張りにする」といった特別な環境で過ごしていた。
種牡馬が後ろ足で蹴るのはめずらしくはないが、デュランダルはなぜか前脚で蹴ることのほうが多い珍しいタイプだったらしい。
(デュランダルが亡くなった後はその特別な馬房と放牧場はシンボリクリスエスが使用していた)
勝利時の鞍上のハデなガッツポーズで有名な2003年マイルCS。
2着ファインモーションに騎乗していた武豊騎手が「おめでとう!」と声をかけたにもかかわらずガッツポーズを繰り出し続け「おめでとうって言ってるやろ!」とちょっと怒られてあわてて振り向いた。