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プロフィール編集

性別
毛色黒鹿毛
誕生日1985年3月21日
死没2012年頃?
モガミ
スイートスワニー
母の父パーソロン
5代内のインブリードAvena5×5(母内インブリード)
産地北海道静内町
管理調教師境征勝美浦トレーニングセンター
馬主シンボリ牧場

現役時代編集

1988年1月、中山開催の新馬戦(ダート・1800m)でデビューし勝利。その後は芝・ダートの中長距離戦を走り、3勝を収める。しかし900万クラスで好走しながらも頭打ちとなったため、6歳から障害競走へと転向する。


初戦は落馬により競走中止となるが、2戦目では3着。3戦目では2着に6秒差をつけるという勝ちを収め、400万クラスでも連勝してオープン入り。オープンで2戦するも5着に終わりその後放牧へ出された。


半年ぶりの出走となった91年1月の障害オープンで昇級後3戦目にして初連対。次走の春の東京障害特別では前年の秋の中山大障害の勝利馬であるワカタイショウに3馬身半差をつけて優勝。その後中京障害ステークスを経て春の中山大障害に臨むがシンコウアンクレーを捕らえきれず2着に終わる。


夏の間は休養し、9月の復帰戦で勝利。秋の東京障害特別では1番人気に推され、メジログッテンをハナ差で凌いで勝利。同じく1番人気で迎えた秋の中山大障害は残念ながらシンボリモントルーに突き放されて2着。


1992年シーズンはオープン競走2着の後、2月に東京障害特別3連覇を目指して春の東京障害特別に出走するが、スタンド前連続障害で転倒したユーワラムジェットに接触し6着。続く阪神障害ステークスでも9着に終わった。

続いて春の中山大障害に出走。ここではこれまでの不調がまるで嘘のようなジャンプと走りを見せ、シンボリモントルーに50馬身近い差をつけて圧勝する。

秋の中山大障害でも勝利を収め、見事春秋連覇を達成した。


1993年春の中山大障害で5着となったのを最後に現役を引退した。


引退後編集

引退後は世田谷の馬事公苑で競技馬として生活し、福島県南相馬市の相馬農業高校に移り、クリエンスグレーの名前で馬術競技馬として活躍。県高校総体の一部門で優勝するなど好成績を収めている。

2011年の東日本大震災に伴う福島第一原発事故で移動先の高校が被災。同県岩瀬郡鏡石町の岩瀬農業高校へ避難したが、2012年以降消息が分からなくなっている。

ある資料によると元いた学校・避難先の学校双方が資金難で維持費を出せなくなり、関係者が何とか助けられないか奔走したものの助けることが出来なかったとされる。

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