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サッカーボーイ

さっかーぼーい

サッカー少年。またはキャラクター名、曲名、競走馬の名前などに使用されているタグ。
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曖昧さ回避編集

  1. サッカー少年を意味する英単語。
  2. 悪魔城ドラキュラ』シリーズに登場する敵キャラクター。⇒サッカーボーイ(悪魔城ドラキュラ)
  3. NHKみんなのうた放送曲。1993年6月・7月初回放送。歌は仲代奈緒。
  4. 1985年生まれの競走馬88世代)。本項で解説。
  5. 1990年4月27日にゲームボーイで発売した携帯ゲーム機初のサッカーゲーム

サッカーボーイ(競走馬)編集

日本の競走馬種牡馬

1987年から1988年にかけて現役生活を送った。

強烈な末脚を武器にマイル路線で活躍し、主な勝ち鞍は阪神3歳ステークス(1987年)、マイルチャンピオンシップ(1988年)など。

内国産種牡馬を排除していた社台グループが考えを変えるきっかけとなり、社台スタリオンステーションで種牡馬となった。


やや小柄だがプロポーションの美しい尾花栗毛の馬で「貴公子テンポイントの再来」などと言われた。

しかし、ディクタスの子孫に見られる「ディクタスアイ」と呼ばれる三白眼の持ち主。


気性が非常に激しかった。

甥にあたるステイゴールドが社台スタリオンステーションを訪れた際には激しく威嚇したというエピソードが残っている。


プロフィール編集

生年月日1985年4月28日
英字表記Soccer Boy
性別
毛色栃栗毛
ディクタス
ダイナサッシュ
母の父ノーザンテースト
競走成績11戦6勝
近親ステイゴールド ショウナンパンドラ スノードラゴン

馬主は社台レースホース。栗東小野幸治厩舎。


THE WINNER編集

'88年マイルチャンピオンシップ

走ることに、安心なんて求めるな。

危険と呼ぶか。冒険と呼ぶか。

見る者すべての心を搔き乱す、その末脚を人は愛した。

その馬の名は、「サッカーボーイ」。

無難を笑え。マイルチャンピオンシップ

2012年JRA「THE WINNER」CMより


来歴編集

※馬齢は数え表記

1987年8月9日、函館競馬場芝1200m新馬戦でデビュー。圧倒的な1番人気に応え、9馬身ぶっちぎりで1着。

暮れの阪神3歳ステークスではパドックで大暴れしたものの、いざ本番のレースでは8馬身差の圧勝で、1.34.5のレースレコードで、来年のクラシックの期待と、かつて同レースを優勝した名馬テンポイントに通じるところから、「テンポイントの再来」と称されるほどだった。同日行われた朝日杯3歳ステークスを勝ったサクラチヨノオーを抑え、同年のJRA賞最優秀3歳牡馬受賞。


1988年、4歳クラシックは弥生賞から始動、サクラチヨノオーとの初対決となり1番人気に推されるも、そのチヨノオーに及ばず3着。皐月賞の優先出走権こそ得られたが、レース本番前になり蹄が悪化したため皐月賞を回避せざるを得ず、体勢を立て直してNHK杯(GⅡ、芝2000m)に出走してこちらも1番人気に推されたが、4着に敗れる。


そして迎えた日本ダービーでは1番人気に推されるが、大外枠22番、さらに折り合いを欠くなどしてサクラチヨノオーの15着と大敗。主戦の河内洋も敗因は気性面から2400mは持たないと振り返っている。

その後、中日スポーツ賞4歳ステークス(当時芝1800m)に出走、ここでは皐月賞馬ヤエノムテキに次ぐ2番人気となるが、レースではヤエノムテキに1/2馬身差をつけて1着。実況した杉本清も「サッカーボーイよみがえりました!」と述べるほどだった。


夏のローカルでも出走し、同年の函館記念(GⅢ、芝2000m)では56kgのハンデでシリウスシンボリメリーナイスマックスビューティら並みいるGⅠ馬を抑えて1番人気に推され、レースでは2着メリーナイスに5馬身差で圧勝。この時の走破タイム1.57.8は当時の芝2000m日本レコードタイムで、初の2000mを1分57秒台での走破だった。30年以上経った現在も函館競馬場のコースレコードとして残っている。


秋シーズンは管理する小野幸治調教師は菊花賞を推し、馬主側である社台レースホースの吉田勝己らは天皇賞(秋)を目標に推したが、その緒戦となるであろう京都新聞杯(当時芝2200m)出走を前に捻挫を起こして出走を回避、菊花賞・天皇賞(秋)ともに断念することになってしまった。


そして陣営が選んだのはマイルチャンピオンシップ。ここでは1番人気に推され、中段待機でレースを始め、最後の直線で前述にもある怒涛の末脚を繰り出して2着ホクトヘリオスに4馬身差で圧勝、史上初の3歳馬による制覇達成。

有馬記念タマモクロスオグリキャップに次ぐ3番人気となるが、ゲートの中で暴れ、スタートも出遅れて最後方からのレースとなり、4位入線だったがスーパークリークが失格となり繰り上がって3着。


同年のJRA賞最優秀スプリンターを受賞。


古馬になった1989年はマイラーズカップを初戦として選ぶが、骨折、そして秋シーズンまで脚部不安がつきまとったこと、さらに父ディクタスが1989年9月に死亡したことを受け、陣営は協議の結果サッカーボーイの引退を決定。1990年シーズンから種牡馬となった。


この時、馬主の社台ホースレースの代表であった吉田善哉と次男・吉田勝己との間でサッカーボーイの繋養先について衝突があった。父・善哉は「輸入種牡馬と国産馬の間にはまだレベル差がある」と言って、サッカーボーイを社台ファームで繋養するのを拒んだが、次男・勝己はサッカーボーイの種牡馬としての成功に確信があり「大手であるうちが内国産種牡馬を育てられないとは情けない」と父に反論した逸話があり、この一言でサッカーボーイが社台ファームに繋養されることになった。


種牡馬入りしてからはナリタトップロードヒシミラクルといったGⅠ馬を多く輩出、同期のオグリキャップやスーパークリークと比べても圧倒的な種牡馬成績を残している。


2011年、蹄葉炎の悪化などにより26歳で没した。


種牡馬成績編集

主な産駒編集


母父としての主な産駒編集


外部リンク編集


関連タグ編集

競走馬 88世代

ディクタストライカ(ウマ娘):『ウマ娘シンデレラグレイ』に登場する、サッカーボーイをモチーフにしたと思われるウマ娘。名前が違うのは大人の事情

SWEET三国志劉備が母親から「お前の体の中にはサッカーボーイの血が流れているのです!!」という冗談を言われる。

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