メリーナイス
めりーないす
ヒーロー列伝No.26
四白 流星 六馬身。
四白流星の鮮やかな肢体が、ダービーのゴールを駆け抜けたとき、2番目の馬は6馬身も離されていた。
根本騎手をして、「後ろの足音は聞こえなかった」と言わしめた。圧勝である。
しかし、メリーナイスは、その負けっぷりも、また凄かった。その危うさが好きだったというファンが大勢いた。
軽やかな時代の風に乗った、新しいヒーローだったのかもしれない。
1986年
8月3日に函館でデビュー。1番人気の期待に応えて勝利を収めるも2戦目のコスモス賞では4着、3戦目のりんどう賞ではサクラロータリーにアタマ差で届かず2着に敗れる。
2度の敗北を経て出走したいちょう特別では勝利を収め、GⅠ・朝日杯3歳ステークスへと出走する。有力馬サクラロータリーの回避により混戦模様となり、メリーナイスは2番人気に推され、レースでは直線で力強く抜け出してホクトヘリオスに1馬身半差つけて優勝を収めた。
1987年
スプリングステークスより始動。マティリアル相手に9着に沈み、皐月賞でも7着。
続く東京優駿ではサクラスターオーが不在の中、4番人気に推された。
レースでは4コーナーで先行集団に取り付くと直線で差を広げ続け、逃げを打っていたサニースワローに6馬身差をつけて圧勝した。
このレースの勝者は映画『優駿 ORACION』の主人公オラシオンのモデルになり、レースの映像が映画に使われるとフジテレビが大々的に宣伝しており、優勝したメリーナイスはめでたく映画出演の権利を得たのだが、撮影スタッフが1番人気のマティリアルにだけカメラを向け、メリーナイスを全く撮影していなかったのであった。
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秋はセントライト記念より始動。これに勝利して菊花賞に臨むもサクラスターオーに9着と敗北。
年末の有馬記念に出走し、3番人気に推されるもスタート直後に騎手を振り落として落馬。カラ馬でトコトコと走る様子はメリーナイスの馬券を買っていない者にとっては笑いを誘う光景となったが、その後サクラスターオーが骨折し、治療の甲斐なく死ぬこととなった。