ゴールドシチーとは
- 1984年生まれの競走馬。主にこの馬について記述する。
- 2014年生まれの競走馬。馬名にシチーと付いているが友駿ホースクラブの持ち馬ではなく、初代とは別馬主。
- 1をモチーフとしたウマ娘プリティーダービーに登場するウマ娘。→ゴールドシチー(ウマ娘)
概要
※馬齢は数え表記
1986年6月15日、札幌競馬場ダート1000m新馬戦でデビュー。
阪神3歳ステークス優勝。優駿賞最優秀3歳牡馬受賞。
1987年はスプリングステークスから始動。5番人気6着。
日本ダービーはサクラスターオー離脱も、マティリアルが1番人気、ゴールドシチーは2番人気。メリーナイスの4着。
秋は神戸新聞杯から始動。二冠牝馬マックスビューティが1番人気1着。ゴールドシチーは4番人気3着。
京都新聞杯は2番人気。3位入線だったが失格。
菊花賞はメリーナイスに次ぐ2番人気。サクラスターオーと半馬身差の2着。
鳴尾記念では4歳馬ながら56.5kgを背負い1番人気。先行したが伸びず6着。勝ったのは3番人気のタマモクロス。
1988年は大阪杯4着、天皇賞(春)5着、京都大賞典3着、ジャパンカップ12着。
1989年は大阪杯3着、天皇賞(春)11着、宝塚記念10着。
引退後は宮崎で過ごしていたが、1990年5月に牧場で骨折、安楽死処置。
余談
- 栗東トレーニングセンター清水出美厩舎に入厩したゴールドシチーは美しい尾花栗毛から当初「もし走らなかったらディズニーランドで乗馬にしてもらおう」という話も出た。
- 「馬なのに早く起こそうとすると暴れる」ぐらい寝起きが悪く、コースにやってくるのは既に他の馬が調教を終えた後の朝10時ごろ。そしてついたあだ名は午前10時の男。気性難にして起床難である。
- 引退後に繋養されていた宮崎の牧場で乗馬の訓練を受けていた。しかし気性が悪いために訓練は遅々として進まず、放牧中に重度の骨折を発症した。スタッフが異変に気付いて駆けつけた時、彼は目に涙を浮かべながら三本足で立ってじっと痛みに耐えていたという。故障した原因は現在でも不明。
外部リンク
2代目ゴールドシチー
馬名は「父名の一部+母父名の一部」。
GⅠ勝ち馬の馬名が再利用されたことで注目される。
平成2年以前の3歳GⅠ優勝馬の馬名が保護対象でないことは、意外な事実と受け止められている。