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プロフィール編集

名前マイネルダビテ
品種サラブレッド
性別
毛色青鹿毛
誕生日1984年5月3日
死没日2021年1月31日
デュール
ニホンピロチャイナ
母父チャイナロック
産地北海道新冠町
管理調教師栗田博憲(美浦トレーニングセンター)
生産者村田光雄
馬主岡田牧雄

馬主の岡田牧雄氏は「マイネル軍団の総帥」として知られた岡田繁幸氏(競走馬生産牧場「ビッグレッドファーム」及び一口馬主クラブ「サラブレッドクラブ・ラフィアン」創設者)の実弟。

現在はメロディーレーンタイトルホルダー姉弟を生産した競走馬生産牧場「岡田スタッド」や、スマートファルコンなどを繋養している種牡馬繋養牧場「レックススタッド」の代表を務めている。


馬名に「マイネル(ドイツ語で『私の』)」と付いているが、牧雄氏の勝負服のデザインはサラブレッドクラブ・ラフィアンのもの(赤、緑袖赤一本輪)ではなく、「水色、白山形二本輪」(岡田スタッドグループの一口馬主クラブ「ノルマンディーサラブレッドレーシング」の勝負服『水色、白山形二本輪、袖白縦縞』とは袖が白縦縞かどうかという点のみが異なる)異なっている。


経歴編集

1984年5月3日、村田光雄牧場で生まれる。評判の馬がいるという話を聞いて村田光雄牧場を訪れた岡田牧雄氏は、評判の馬とされた馬とは別の馬の動きを気に入って購入を即決した。それが後のマイネルダビテである。


競走名を付ける際、当初はマイネル旧約聖書ダビデを組み合わせたマイネルダビデで登録を検討したが、濁点が3つ続くのは縁起が悪いと占い師に言われマイネルダビテと名付けられた。


1986年8月、函館開催の新馬戦でデビューし4着。2戦目で勝ち上がり、函館3歳ステークスで重賞に初挑戦し2着と好走する。


1987年、京成杯より始動して2着。次走の共同通信杯で重賞初制覇となった。なお牧雄氏は生産者としても活動しているが、前年に所有していた繁殖牝馬ほぼ全部が馬鼻肺炎ウイルスにより流産するという悲劇に見舞われ、牧場経営が窮地に陥っていた。そんな時にマイネルダビテが共同通信杯で勝利したことで賞金を得ることができ、牧場の窮地を救ったという。

続く弥生賞で3着に入着し、皐月賞への優先出走権を得るも皐月賞本番では17着と惨敗。5月の日本ダービーは22着。UHB杯での4着を経て福島民友カップで3勝目。


1988年は勝ちきれないレースが続いたが、連覇を狙った福島民友カップで再び勝利。以後は勝利に恵まれず、1989年の福島民友カップを最後に引退した。


引退後は種牡馬入りせずに、牧雄氏の所有する牧場である岡田スタッドで功労馬として繋養され、2019年にはシンザンの保持していたJRA重賞勝利馬の最長寿記録を更新。2020年5月3日には満年齢で36歳を迎えたが、2021年1月30日、放牧中に転倒し息を引き取った。享年36歳8ヶ月と27日という大往生だった。


牧雄氏はその死に際して、「(ノルマンディーサラブレッドレーシングの所有馬で史上初の無敗三冠牝馬デアリングタクトとどっちが思い入れあるかって言ったら、圧倒的にダビテですよ。私にとっては無二の存在です。」とその思い入れの強さを語っている。

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