京成杯
けいせいはい
1961年に創設された、4歳(現3歳)馬限定の重賞競走(GⅢ)。
その名の通り中山競馬場近辺を沿線とする京成電鉄より寄贈賞の提供(スポンサー協力)を受けている。
基本的に1月中旬開催。
創設からしばらくは芝外回り1,600mコースで設定。
1970年代は東京競馬場の芝の同距離コースでの開催が続いたが、1980年以降は原則中山競馬場開催に戻される。
1999年距離をジュニアカップと入れ替えで2,000m(中山競馬場では内回り)に変更。
現在はホープフルステークスや弥生賞ディープインパクト記念と共に、同じ競馬場と距離の皐月賞の前哨戦としてクラシック戦線を見据えた出走馬の調整においても重要とされているのだが...。
微妙な立ち位置
JRAの公式で「クラシックレースに向けて各馬の将来性や距離適性を占ううえで重要な競走であり、同じ競馬場と距離の皐月賞の前哨戦となっている」という解説をしており、毎年頭数だけならフルゲートに近い頭数となる年が多いのだが、スケジュールの影響で前哨戦としての評価は高いとは言えなかった。
スケジュール面で言えば、同レースは1月開催であるが、同時期に行われるシンザン記念とフェアリーステークスとの開催時期が近いことに加え、前年12月のGⅠ重賞に参戦していた競走馬も含め、参戦を希望する馬によってはローテーションの間隔が短くなり、調整が難しくなるという難点があった。また、2歳重賞に参戦していない馬から見れば、12月にレースをしていなければスケジュール的には余裕ができるものの、11月までの2歳戦で収得賞金を加算できていれば、賞金の観点から京成杯に参戦する理由がなかった。そのうえ、重賞勝ちを狙う馬にとっては、時期だけで言えば同条件の12月末のGⅠのホープフルステークスの開催時期も近いため、それ目的ならむしろ多少無理してそちらを狙う方が価値があり、ローテーションを重視するなら、2月と3月の3歳限定重賞への参戦のほうが馬の調整も余裕をもってできるというメリットもあり、クラシック戦線を断念した馬であったとしても、1月に無理して活動をスタートさせる必要がないという相対的な不利があった。
そのうえで他のレースを見ていくと、シンザン記念とフェアリーステークスは両者根幹距離の1600mなため、単純に距離適性の見極めに使いやすく、前者は基本京都競馬場開催のため、栗東トレーニングセンター所属の馬(いわゆる関西馬)が遠征せずに参戦できるという隠れたメリットがあり、後者は中山競馬場のため、関西馬は遠征が必要になるものの、牝馬限定戦なため、牝馬のクラシック路線の始動戦や牡馬との対決を意識しなくてよいというメリットがあった。
2月で言えば共同通信杯ときさらぎ賞が3歳限定重賞となるが、両者の開催内容は違うものの、結果的に馬の能力差が少ない時期と重なる可能性が高いため、力試しの重賞として参戦させやすいという背景もあった。また、前者は東京競馬場で開催されるレースでもあるため、東京優駿(日本ダービー)を筆頭に年内に東京競馬場で3歳馬も参戦できるGⅠも含めた重賞の馬場の経験に加え、非根幹距離の1800mだがこの成績に基づいて距離適性の見極めの材料にもなりえた。後者の方は基本京都競馬場の開催だが、同条件の距離適性のテストや関西馬が遠征せずに参戦できた。それらにより、クラシック三冠を狙う馬ならこれらの重賞を前哨戦として皐月賞へ挑戦するという計画を立てやすく、狙わない馬でも3歳馬の初戦もしくは初挑戦の重賞として参戦という立ち位置にもなっていた。
3月になれば、クラシック三冠を狙う馬ならスケジュール的に厳しくなるものの、この月には弥生賞・スプリングステークスの2つの重賞とリステッド競走の若葉ステークスが皐月賞への優先出走権を得られるため、獲得賞金を加算し、皐月賞も含む重賞での賞金による足切りの可能性を減らしつつ、その権利獲得も狙えるというメリットがあった。また、皐月賞までの間隔が短くなるため、前哨戦としての最終判断や叩きも兼ねてレースに参戦するという選択肢もできた。
他にも、条件戦止まりの馬であれば、オープン馬のレースに参戦する場合、格上挑戦となるため、条件戦より出走メンバーが強くなるパターンになりやすく、特に重賞のレースで理由もなく成績が悪ければ、戦歴に傷がつくリスクも背負うことになる。それなら、獲得賞金の加算も兼ねて条件戦で確実に稼いでオープン入りが確定してから検討するという選択肢や格上挑戦でも皐月賞までの間に複数回リステッド競走が行われているため、それを経由して皐月賞も含む重賞へ挑戦という選択肢と比較されてしまう要因もあった。
その結果、京成杯は、獲得賞金の一気に加算して他の3歳限定重賞への参戦しやすくするための足掛かりにするというメリットはあったが、ステップレースと紹介されている割には、様々な理由によってメンバーレベルが低いと称された年度が目立つことになった。実際、2023年の出走頭数は9頭。出走頭数が一桁となったのは1994年以来。その前年は16頭立てであったが、フルゲートを記録した最後の年は出走可能頭数を17頭に拡大した2015年。ただ、擁護するなら大半は二桁頭数でフルゲートに近い頭数も複数年続いている時期もあるため、重賞に対する評価自体は低くはないのだが、結果的にとりあえず重賞のタイトルが欲しい馬が参戦するレースという位置づけとなってしまっていた。
過去の本レースの優勝馬のうち、1981年のテンモンから2010年のエイシンフラッシュの間、G1級競走を勝利する馬は出なくなっていた。それどころか、重賞路線でも勝てなくなり、これが最初で最後の重賞での勝ち星となってしまった馬も少なくない。ただ、これが京成杯以降の成績が悪いという意味だけではなく、重大な故障で半年~1年を棒に振ったり、同レース以降オープン戦ですら勝ち星を挙げられずに引退に追い込まれた優勝馬も少なくなくを、別の意味での最後の勝利というジンクスもあった。現に京成杯の勝利馬のうち、エイシンフラッシュが同じ年の東京優駿(日本ダービー)を制する活躍を見せ、このジンクスを破った馬と言えたが、同馬以降では特筆する活躍を残せず、古馬以降に重賞を勝てた馬としては2012年のフェイムゲームが、同レース以降の重賞で勝利した経験がある競走馬という条件で見れば、2018年のジェネラーレウーノを最後に途絶えていた。
さらに勝利馬より2着以下で終わった馬が活躍することも少なくない。実際、2004年は勝利馬となったフォーカルポイントは同レースを含む15戦3勝でキャリアを終えたのに対し、3着のキングカメハメハは後に日本ダービーを勝利し、生涯成績だけ見れば8戦中7勝で、いわば京成杯以外すべて勝利という結果を残した。4着のスズカマンボも2005年天皇賞(春)制覇も含め19戦4勝と成績面ではフォーカルポイントを上回っていた。そのため、2004年が例外的に見えるが、ようは勝利馬より2着以下のほうが獲得賞金で上回ったケースは珍しくないうえ、故障せずに掲示板に乗る成績を記録し続けて馬主に利益を還元することに成功しているだけでも充分な実績であり、結果的に京成杯の勝利馬という実績が低く見られる一因となってしまった。
そのため、前述した通り、皐月賞の前哨戦として重要とは書かれているが、このレースから皐月賞を制した馬は出ていなかった。しかし、2023年、ソールオリエンスが同レースを勝利しそのまま皐月賞へ直行して勝利し、皐月賞の前哨戦としての役割を初めて果たした。また、この時の6着であったシャンパンカラーがNHKマイルカップを勝利し、久々にステップレースとしての役目も果たすこととなった。さらに翌年にはダノンデサイルがこのレース優勝から皐月賞除外を経て日本ダービーを制覇。2年連続でクラシック勝ち馬を輩出し、以前までの評価がV字回復しつつある。