誘導
- JRAにかつて所属していた競走馬・種牡馬。
- 1をモチーフとしたウマ娘プリティーダービーに登場するウマ娘。→エイシンフラッシュ(ウマ娘)
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「閃光の剣士」
合力で叩き斬るのではなく
巧技をもって肉を裂く
その閃光にも似たひと振りが
いまだお前の手に宿るなら
さあ敵兵の群れを断て
民衆の望みを背負い
呼吸は静か抜刀は鮮やか
くすみひとつない鋼が走る
丁寧に研がれた刃がきらめく
相手陣深くまで突撃は続く
そう待っていたのはその姿だ
喝采に自身の心も満ちていく
降りそそぐ祝福と賛辞に
剣士は黙して最敬礼を捧ぐ
- 『名馬の肖像』2024年天皇賞(秋)
概要
2007年生まれの競走馬。馬名の由来は「エイシン(冠名:馬主の社名)」「フラッシュ(閃光)」
母親が妊娠した状態でドイツから輸入され、日本で出産した持込馬である。
経歴
2009年7月12日、阪神競馬場芝1800m新馬戦でデビュー。5番人気6着。2戦目の未勝利戦で勝ち上がった。
2010年、京成杯を制し重賞初勝利。ステップレースを使えず直接皐月賞に臨み11番人気ながら3着に入る。
次に挑んだ日本ダービーでは7番人気。スローペースからゴール前で、ダービー史上最速となる上がり3ハロン32.7秒の瞬発力を発揮し1着。
秋は神戸新聞杯から始動、1番人気に推されるがローズキングダムの2着。ジャパンカップ8着、有馬記念7着。
2011年は春の天皇賞2着、宝塚記念3着、有馬記念2着など力は見せたものの、未勝利に終わる。
そんな状況が続く中で出走した2012年秋の天皇賞。このレースは2005年以来の天覧競馬(天皇が観戦される競馬のこと。この時は天皇皇后(当時。現在の上皇上皇后)両陛下が観戦)となった。そんな中、5番人気に推されていたエイシンフラッシュは直線で抜け出し鋭い末脚を再び発揮して1着。一昨年ダービー以来の勝利を収めた。
そして、勝利騎手となったミルコ・デムーロ騎手(当時短期免許で来日)は下馬し膝をつき跪ぐ、欧州スタイルの最敬礼で恭しく礼を行った。この紳士的な姿に観客からは大きな拍手喝采が送られた。
本来の競馬施行規程ではこのような途中下馬は不正(レース前に重りを積んで検量→重りを捨てて軽くなった状態でレースに出る→こっそり重りを拾ってレース後の検量に向かう、など)防止のため、検量が済むまでは馬の異常など止むを得ない場合を除いて禁止されている。
そのため、この時はアクシデントかと思った係員が駆けつけた他、JRAも審議を行ったが、両陛下に対する敬意を汲んでかデムーロ騎手に対し処罰は無かった(一応真面目な考察をすれば、両手が見えなくなる瞬間がほぼなかった点(下馬してからは右手は手綱、左手はヘルメットを保持しており、一瞬デムーロ騎手が馬体の死角に入ったものの、不正が疑われる動きがなかったため)、下馬した直後から最敬礼を終えて検量が行われるまでの間、係員が付き添い続けたことや中継カメラで撮影されていたことに伴い第三者の監視下にあった点から、審議はされたものの、不正と思われる行為がなかったため、お咎めなしになったと思われる)。
- なお、後にデムーロ騎手が語ったところによると、「勝った場合は両陛下に挨拶するよう事前に依頼されていたが、勝って嬉しかったことと段取りが分からなかったことでパニックになっていた」「2005年の天皇賞(秋)勝利時の松永幹夫騎手と、台覧競馬となった2007年日本ダービー勝利時の四位洋文騎手の最敬礼をビデオで確認していたが、2人とは違うことをしたいと思い下馬しての最敬礼を選んだ」とのこと。また、先述した止むを得ない場合以外での途中下馬禁止の規則についても知っていたが、今回は特別だと思っていたという(ただ規則破りをしたのは事実なので、後に裁決委員にすごく怒られたとのこと)。
ただ、デムーロ騎手のコメントにもあるように事前の通告で勝利した騎手は、貴賓席の天皇皇后両陛下に礼をすることは指示されていたようだが、そのやり方について説明していなかった線もある。というのも、2005年の時も含め、馬上で脱帽し、"騎乗したままの状態で敬意を示すこと"が通例となっていたため、途中下馬の規定も含め、JRA側はそうするだろうと思い込んだ可能性もあり、指示不足という観点からお咎めなしとなった可能性もある。
2013年には毎日王冠を勝利し、その他3つのレースでも3着を取るなど健闘していたが、ジャパンカップ10着を最後に引退。2014年シーズンから種牡馬入りした。
産駒は重賞勝利が長らく出なかったが、2022年にオニャンコポンが京成杯を勝利。重賞初勝利を奇しくもエイシンフラッシュと同じレースで達成した。
その後、同年の京都大賞典をヴェラアズールが制し、勢いそのままに挑んだジャパンカップも勝利。産駒初のGⅠ馬となった。
余談
黒く美しい毛色と艶に加え端正な顔立ちを持ち、イケメン競走馬のうちの一頭として扱われることもある。
馬体の仕上がりも素晴らしいものであったが、その頭抜けた好馬体に反して負けるレースも多く、ファンからは「馬体詐欺」と呼ばれることもあった。
すさまじい瞬発力を持っているものの脚を使える時間が一瞬で、まさに「閃光」であった。スローペースからの猛ダッシュが決まればかなりの強さを発揮したが、展開によって着順が大きく変わるため、馬券師たちを悩ませた馬だった。
また、調教で素晴らしい動きを見せ、どのレースでも勝利を期待させてくれる馬として藤原調教師は身内でアイアンホースと称えていたという。
「エイシンフラッシュ」という馬名は2代目に当たり、初代は1978年生まれ、父フラッシュライト・母テッソビューチー・母父テッソの牡馬で中央・地方で合計2勝を挙げている。