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概要編集

アイルランドで生産されたイギリス競走馬繁殖牝馬

直線一気の追い込みを武器に活躍した。

主な勝ち鞍はオークスステークス(2010年)、アイリッシュオークス(2010年)、エリザベス女王杯(2010年、2011年)、香港カップ(2010年)、アイリッシュチャンピオンステークス(2012年)など。

レパーズタウン競馬場(アイルランド)には2014年7月にスノーフェアリーの銅像が建てられた。


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あれは妖精

お集まりのレディたちに告ぐ

麗しき美貌への嫉妬も

女王の寵愛に対する猜疑心も

捨て去るのが身のためだ


ご存知の方もいよう

あれは正真正銘の妖精である


あなたたちの意趣返しなど

通用するはずもないのだ

むしろその艶やかな力に

たちまち魅入られるだろう


 「名馬の肖像」2022年エリザベス女王杯


プロフィール編集

性別
毛色鹿毛
インティカブ
ウッドランドドリーム母父チャーンウッドフォレスト
生産者ウインドフラワー・オーバーシーズ・ホールディングス(アイルランド)
馬主アナモイン社(アイルランド)
調教師エドワード・アレクサンダー・リーパー・ダンロップイギリス
競走成績21戦8勝-
  • イギリス:13戦3勝
  • アイルランド:3戦2勝
  • フランス:2戦0勝
  • 日本:2戦2勝
  • 香港:1戦1勝

略歴編集

2007年

2月12日、パティノ夫人(クリスティーナ・パティノ)が代表を務めるアイルランドの馬産団体「ウインドフラワー・オーバーシーズ・ホールディングス」の牧場で誕生。

父・インティカブはマイラーGⅠ勝利は無かったがドバイデューティーフリー(現在のドバイターフ)で2着、母・ウッドランドドリームもマイルを中心に走り11戦1勝、母父・チャーンウッドフォレストはマイルGⅠを3勝と、マイラー寄りの血統だった。


2008年

タタソールズセールに出品されたが買い手がつかず、1800ユーロ(当時の為替レートで約22万5千円)で主取りとなり、パティノ夫人の馬主団体アナモイン社の所有馬となった。


2009年

ウィジャボードを手掛けたエドワード・アレクサンダー・リーパー・ダンロップ調教師(ニューマーケット競馬場)に預けられた。

6月23日、ニューベリー競馬場の未勝利戦でデビュー。レディパターンの3着に敗れた。

7月8日、リングフィールド競馬場の未勝利戦に出走し、初勝利を飾る。

8月1日、スポーティングベットドットコム牝馬ステークスに出走し、シーズオーケーの2着に敗れた。

8月8日、スウィートソレラステークスGⅢ)に出走し、ロングラッシーズの4着に敗れた。

8月29日、プレスティージステークス(GⅢ)に出走し、セントフロムヘヴンの3着に敗れた。

10月24日、ラドリーステークスリステッド)に出走し、エレクトリックフィールの9着に敗れた。


2010年

5月19日、ハイトオブファッションステークス(リステッド)に出走し、直線一気の追い込みで1着。強い勝ち方だったため、パティノ夫人は2万ポンドの追加登録料を払いオークスステークス(GⅠ)に出走登録。

6月4日、オークスステークスに出走。内を突いて伸び、リメンバーウェンメーズナーなどとの末脚勝負を制し1着。重賞初勝利となった。パティノ夫人は42500ユーロの追加登録料を払いアイリッシュオークス(GⅠ)に出走登録。

7月18日、アイリッシュオークスに出走。爆発的な末脚で最終直線を独走し、2着に8馬身差をつけて圧勝した。

8月19日、ヨークシャーオークス(GⅠ)に出走し、ミッデイの2着に敗れた。

9月11日、セントレジャーステークス(GⅠ)に出走し、アークティックコスモスの4着に敗れた。陣営は賞金を稼ぐためアジア遠征に向かう。

11月14日、日本でエリザベス女王杯(GⅠ)に出走。特定の競走を勝った馬が入着すると報奨金が出る事になっており、オークスステークスもその対象だった。最終直線で2着以下を瞬く間に置き去りにし圧勝。レース後、ライアン・ムーア騎手が不注意から上腹帯を外した状態で検量に臨んだのが分かり厳重注意処分となった。ジャパンカップ(GⅠ)にも出走予定だったが疲労が回復しなかったため回避し、香港カップ(GⅠ)へ向かう。

12月12日、香港で香港カップに出走。最後方からレースを進め、残り300mから豪脚を披露し1着。

カルティエ賞最優秀3歳牝馬に選出された。


2011年

3月、ドバイシーマクラシック(GⅠ)から始動の予定だったが、右前脚の脚部不安により回避。

6月、プリティーポリーステークス(アイルランドGⅠ)で復帰する予定だったが直前で回避。

7月2日、エクリプスステークス(GⅠ)に出走。直線に入っても全く伸びず、ソーユーシンクの4着に敗れた。

7月30日、ナッソーステークス(GⅠ)に出走し、ミッデイの2着に敗れた。

9月3日、アイリッシュチャンピオンステークス(GⅠ)に出走。ソーユーシンクが先頭に立つのを見計らって外側から仕掛けるが抜くことが出来ず、半馬身差の2着に敗れた。

10月2日、凱旋門賞(GⅠ)に出走し、デインドリームの3着に敗れた。

10月15日、チャンピオンステークス(GⅠ)に出走。残り2ハロンで進路が塞がれてしまい、シリュスデゼーグルの3着に敗れた。昨年に続きアジアへ遠征。

11月13日、エリザベス女王杯に出走。ゴール前でホエールキャプチャアパパネの間から鋭く抜け出し、1着。香港へ向かう。

12月、香港ヴァーズ(GⅠ)出走の予定だったが、左前脚に屈腱炎を発症し回避。長期の休養に入る。


2012年

8月19日、フランスへ渡り、ジャンロマネ賞(GⅠ)で復帰。1着入線するが、11月に屈腱炎治療のための抗炎症剤が残留していたのが分かり、禁止薬物使用を理由に失格となった。

9月8日、アイリッシュチャンピオンステークスに出走。残り1ハロンでナサニエルを競り落とし、コースレコードで1着。

10月、凱旋門賞出走のためフランスへ渡るが、直前に屈腱炎が再発し回避。


2013年

7月、復帰のため治療が続けられていたが、屈腱炎が再発し引退が決まった。


2014年

パティノ夫人所有のまま、アイスランモアスタッド(アイルランド)で繁殖入り。


関連タグ編集

10世代 競走馬 繁殖牝馬 アイルランド

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