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経歴編集

1967年4月10日生まれ、熊本県合志市出身。身長162cm、体重49kg。


1986年山本正司厩舎から騎手デビュー、1991年イソノルーブルオークスを制しGⅠ初制覇。


1996年、ゼネラリスト(同年シンザン記念及び1997年金鯱賞優勝馬)の調教に臨んでいた際に落馬した上、同馬に蹴られて左腎臓半分の摘出を余儀なくされる重傷を負う。しかし、同年秋に復帰するとファビラスラフィン秋華賞を制し、復活のGⅠ制覇を成し遂げた。


1997年キョウエイマーチ桜花賞を制し、「騎手として」3人目の牝馬三冠を達成。


2000年チアズグレイスで桜花賞2勝、ファレノプシスの引退レースでエリザベス女王杯を制し「騎手として」史上初の牝馬四冠を達成。


2005年にはヘヴンリーロマンス秋の天皇賞を制し、競走後にヘルメットを外し馬上から天皇・皇后へ最敬礼を行った。


2006年、調教師試験合格に伴い騎手引退が決定。最終騎乗日となった2月26日はメインレースである阪急杯を15頭立て11番人気のブルーショットガンで勝利し、続いて最終レースも勝利してJRA通算1400勝を達成して引退。「今日一日は自分のところに競馬の神様が降りてきたような気がする」とレース後の引退セレモニーでコメントしている。なお、デビューから引退するまで一貫して山本厩舎所属だった。

また、調教師転向の理由は、師匠の山本の定年が近付いてきたことから山本の夢を受け継ぎたいと考えたこと、そして度重なる怪我と持病の腰痛の悪化により騎手としてのキャリアに区切りを付けることを決心したためであった。


2007年より、山本厩舎の管理馬と馬房を引き継ぐ形で開業。

調教師となってからはダンスアジョイレッドディザイアレッドキングダムラッキーライラックなどを手掛けている。


特徴・人物編集

愛称名は「ミッキー」。


騎手時代に得意としたのは逃げと先行。一方で腰痛の持病を持っており、追い込みは苦手としていた。


牝馬限定戦で活躍することが多かったことから牝馬の幹夫(松永)と呼ばれ、中央で勝った6回のGⅠは全て牝馬での勝利だった、牡馬での中央GI勝利もメジロブライトなどでチャンスはあったのだが、先述した腰痛が災いしたこともあり活かせなかった。

地方ではレギュラーメンバーやカネツフレーヴで牡馬でもGIを勝っている。


その端正な甘いマスクからファンから人気が高かった他、真面目かつ穏やかな性格から厩舎関係者やマスコミ関係者からも慕う者は多かった。


関連タグ編集

JRA 騎手 調教師

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