概要
個人経営の零細牧場で生産され、父母とも実績がなく、最低価格で購入されたが、1991年のクラシック戦線で活躍した。
桜花賞を落鉄したまま走って敗れ「裸足のシンデレラ」と呼ばれた。
来歴
1989年、2歳になっても買い手が付かず、6月の特別市場で日本中央競馬会(JRA)に最低価格の500万円で購買された。JRA日高育成牧場で育成される。
1990年、抽籤により磯野俊雄の所有となり(抽籤馬)、「イソノルーブル」と名付けられた。栗東トレーニングセンターの清水久雄厩舎に入厩。
9月8日、中京競馬場の新馬戦(芝:1,000m)で五十嵐忠男騎手が騎乗しデビュー。3歳レコードで1着。
11月17日、中京競馬場の3歳抽せん馬特別(ダート:1,400m)で1着。
12月22日、京都競馬場のラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス(芝:1,600m)で1着。重賞初勝利となった。
1991年2月3日、エルフィンステークス(芝:1,600m)で1着。
3月17日、松永幹夫騎手に乗り替わり、報知杯4歳牝馬特別(芝:1,200m)で1着。
4月7日、桜花賞(芝:1,600m)に出走し1番人気に推された。右前脚を落鉄し、観客の歓声で興奮したイソノルーブルが暴れたため打ち直すことが出来ず、そのまま出走しシスタートウショウの5着に敗れた。事前にJRAから落鉄したままの出走である旨のアナウンスが無かった事が問題とされた。
5月19日、優駿牝馬(芝:2,400m)に出走。シスタートウショウにハナ差先着し、1978年のファイブホープ以来となる抽籤馬によるクラシック勝利となった。
11月10日、エリザベス女王杯(芝:2,400m)で16着に敗れた。レース後、右前種子骨靭帯炎が判明。療養を続けたが、復帰できず引退となった。
1992年、村下農場(浦河町)で繁殖牝馬となる。
2011年、繁殖牝馬を引退し、村下農場に功労馬として繋養される。
2013年12月7日、老衰により死亡。