プロフィール
生年月日 | 1988年3月29日 |
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死没日 | 2014年12月12日(26歳没) |
英字表記 | Shako Grade |
性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
父 | ミスターシービー |
母 | シュアンス |
母の父 | ダンディルート |
生産 | 川島牧場(北海道新冠町) |
馬主 | (株)シャコー |
調教師 | 矢野照正(美浦) |
主戦騎手 | 蛯名正義、柴田善臣、江田照男など |
戦績 | 45戦3勝 |
主要勝鞍 | 東京スポーツ杯(OP、1994年) |
獲得賞金 | 3億2559万円 |
シャコーグレイドは重賞勝利こそないものの、ミスターシービー産駒では最多の賞金を獲得している。
母父ダンディルートはフランス出身で、引退後種牡馬として日本に輸入された。競走馬としてはG3を3勝に留まり、種牡馬としてもわずか9歳で亡くなったものの、決して多くはない産駒の中からビゼンニシキ(ダイタクヘリオスの父)、トウショウペガサス(グルメフロンティアの父)、トウショウゴッド(ヌエボトウショウの父)などの重賞馬を輩出した。
半弟には1998年の日経賞を制したテンジンショウグン(1990年生、父ノーアテンション)がいる。
※本記事の表記は旧馬齢表記(現在の表記より+1歳)を用いる。
経歴
クラシックを目指して
1990年11月、三浦・矢野照正厩舎からデビュー。
新馬戦・続いて500万円下葉牡丹賞と柴田善臣を鞍上に2連勝と順調なデビューを飾るも、その後オープン特別で2着2回と勝ちきれず。
1991年2月、重賞初挑戦として共同通信杯4歳ステークスに出走。勝てばクラシック戦線に向け大きく前進するレースだったが、5着に敗れる。
若葉ステークス
3月、皐月賞への望みをかけ、2着までに皐月賞の優先出走権が与えられるトライアル競走・若葉ステークスに出走。
だが、このレースには一頭の大物がいた。この世代におけるのちの二冠馬、「貴公子」「奇跡の帝王」トウカイテイオーである。その父は皇帝シンボリルドルフ……シャコーグレイドの父ミスターシービーが、同じ三冠馬どうしながらどうしても勝てなかった相手という因縁もあった。
テイオーは単勝1.2倍の圧倒的1番人気、グレイドはそれに次ぐ6.7倍の2番人気に推された。
しかし、トウカイテイオーはあまりに強かった。中団待機から最終直線で悠々抜け出して楽勝。シャコーグレイドはテイオーの背後をマークしてレースを進めたが追い抜くことができず、それどころかテイオーに追いすがろうとしたためにラストの伸び脚が鈍り、4番人気アサキチに差され3着。皐月賞の優先出走権確保すら逃してしまった。
皐月賞、大穴の2着
結局、3歳時の2連勝しか勝ち鞍のないグレイドは、運よく抽選を突破して何とか皐月賞本戦に立つことができた。しかしこの実績では前走から評価は急落、18頭中の16番人気(75.7倍)という立場であった。
だが、蛯名正義を鞍上に後方17番手待機で道中を進めたグレイドは、3角から徐々に進出を開始。最終コーナーでも10番手付近であったが、最終直線でトウカイテイオーをも上回る上がり最速タイの末脚で猛烈に追い込む。好位先行から悠々と抜け出し勝利したテイオーには1馬身差届かなかったものの、低人気から2着に食い込んだ。
この2着によりグレイドはテイオーの対抗馬の一頭たる存在に評価を回復、次なる日本ダービーでのリベンジを期すこととなった。
なおこの皐月賞、1着トウカイテイオーは単勝2.1倍の本命決着だが、上記の通り2着シャコーグレイドは16番人気、3着は共同通信杯を制した5番人気イイデセゾンである。
いわゆるヒモ荒れ(1着は順当も、2着に思わぬ穴馬が来ること)だが、当時の馬券は単勝・複勝・枠連しかなかったため枠連の5,440円が最高払い戻しであった。今であれば三連複・三連単がいい金額になりそうだが……。
余談ながら、お笑いコンビ・爆笑問題の田中裕二は、「シャコーグレイドは中山競馬場の経験が豊富で常に馬券内と安定しているのに(ここまで6戦中4戦が中山2000mで全て3着以内だった)、それにしては評価が低すぎではないか」という点に注目し、トウカイテイオーの8枠との枠連を購入して大当たり。これによりすっかり穴党になったという。
4歳その後
しかし、5月26日の日本ダービーはトウカイテイオーが悠々と二冠を決める中で8着に敗退。これで若葉ステークスからテイオーに3連敗を喫し、結果的にこれが生涯最後の対戦となった。
夏の休養を経て、クラシック最後の一冠菊花賞を目指し秋は京都新聞杯から始動し、ナイスネイチャの2着。
テイオーの骨折休養によって混戦模様となった菊花賞は、レオダーバンの5着。クラシックの冠には届かなかった。
年末には初の古馬重賞として鳴尾記念に出走も、再びナイスネイチャに敗れ4着。
「万年入着馬」の日々
……この1991年クラシック世代の「善戦マン」というとナイスネイチャがとみに有名だが、少なくともネイチャは上記のように重賞をいくつも勝っている。いっぽう、グレイドはクラシック三冠戦線を戦い抜いたものの、気が付けば未だに「主な勝鞍:葉牡丹賞(500万下)」のまま4歳を終える。
彼の勝ちきれない日々はその後も続く。
1992年(5歳)、アメリカジョッキークラブカップ2着、日経賞3着、新潟大賞典3着、アルゼンチン共和国杯2着…。重賞で馬券に絡むことは何度もあれど、1着が取れない。
1993年(6歳)、日経賞で2年連続の3着、新潟大賞典で前年よりひとつ順位を上げ2着…。この年の春季には、実に菊花賞以来のGⅠの舞台として天皇賞(春)と宝塚記念に出走するが、8着・7着(そしてこの宝塚が結果的にグレイド最後のGⅠ出走となった)。
もちろん重賞で何度も馬券に絡める馬は十分な実力者であり、4着・5着で掲示板を確保することもたびたび、グレイドはコツコツと賞金を獲得し、すでに2億円以上を稼いでいた。
しかし、勝ち鞍が遠い。いつしか付いたあだ名は「万年入着馬」。それでも、レースに出ればちょこちょこ複勝馬券にはなってくれるため、一定の予想人気は維持し続けた。
はなむけか意地か、東京スポーツ杯
1994年(7歳)秋、グレイドが「万年入着馬」を続ける中、競馬界にひとつのニュースが流れた。
トウカイテイオー、引退。
前年の有馬記念、まる1年ぶりの復帰戦でグランプリに挑んで奇跡の復活勝利を挙げたテイオーだったが、以前の骨折箇所を再び痛めるなど、94年はレースに出られないまま引退の決断が下されたのである。
10月23日、東京競馬場でトウカイテイオーの引退式が行われ、日本ダービー優勝時のゼッケン20を着用したテイオーとの別れを競馬ファンが惜しんだ。
その日の東京競馬場は重賞のない日で、メイン競走はオープン特別の東京スポーツ杯。芝2400m、すなわち日本ダービーと同じコースである。
江田照男騎乗のシャコーグレイドはこれに出走。1枠1番、奇しくもダービー(1枠2番)と同じ白帽子であった。
道中ずっと最後尾のグレイド。しかし、最終直線で上がり最速の末脚を発揮しごぼう抜き。2着エイシンテネシーに2馬身半差をつけ、3歳の葉牡丹賞以来3年10か月振りの勝利を挙げた。
競馬ファンは「先にターフを去る同期に、引退のはなむけの勝利を挙げたのだ」「かつてはライバルと言われた相手の前で、みじめな姿は見せられないというグレイドの意地の勝利だ」と噂しあった。
引退
主要勝鞍をオープン特別に更新したグレイドは、1995年(8歳)も現役を続行。
1月の金杯(東)で3着など、貫禄の万年入着馬ぶりで地道に賞金を稼いでいたが、5月のオープン特別・メイステークス7着を最後に引退した。
戦績45戦3勝、しかし獲得賞金3億2559万円は、ミスターシービー産駒の最多額である。
引退後
引退後は黒鹿毛の美しい毛並みを買われて福島競馬場で誘導馬として勤務。
その後は、岐阜県の牧場「牧歌の里」に乗馬として身を落ち着けた。
2014年、すでに26歳と高齢の域にあったが、なんと福島県を舞台とする時代劇映画『超高速!参勤交代』に出演。佐々木蔵之介演ずる主役の殿様の乗馬という役回りで、まさかの銀幕デビューを果たした。流石に高齢もあり、激しいアクションシーンは他の馬が務めていたようだが、スタッフロールには単独でシャコーグレイドの名も載っている。
映画公開から半年後の2014年12月12日、老衰のため死去。26歳没。
関連項目
シダーブレード:アニメ『ウマ娘プリティーダービー』に登場するアニメオリジナルウマ娘。史実のシャコーグレイドに相当する役回りのキャラクター。